崖の上のポニョ
2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦(とものうら)を非常に気に入り、準備として2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもった。本作の構想もこの時に練り自身を極限に追いつめる鬼気迫った姿がNHKで放送された。この宮崎の行動に対し、妻の出した条件は「生きてる証拠として、毎日絵手紙を出すこと」だったという。
社員旅行の旅先が
映画のロケーションになった
どっかで聞いたような・・・w
千と千尋もそうだった
鞆の浦で花魁道中 15人あでやかに変身 広島・福山
この広島県福山市の鞆の浦
花魁が今でもいるということは
昔は遊郭があって
それもかなり古くて大きいものだったと想う
鞆の浦――大可島
大可島の麓には遊廓が栄え1678年に記された「色道大鑑」には国内を代表する25の遊郭のひとつにも挙げられていて遊郭建築の遺構も残っている。
平家との縁も強い
平家谷
源平屋島合戦のあと、鞆の浦に上陸した平家方は旧沼隈町能登原(福山市)に陣取り、田島に陣した源氏方と対峙、平家方は清盛のおい能登守教経(のりつね)が指揮、源氏方は扇の的で有名な那須与一を陣頭に合戦におよんだが、平家方が敗れて壇の浦目指して落ちのびたという。
源平合戦の主戦場でもあった
遊女のコードがある地の旅館に
創作のため監督がこもったのは
この地のコードを手繰り寄せるため
チャネリングね
千と千尋ほどあからさまじゃないけれど
ポニョも遊女のコードで作られた作品
創作のために籠るだけで別に死ぬはずものないのに
毎日絵手紙を要求した奥さんは
旦那を通してこの地の遊女コードを読み取るため
絵には想念が現れやすいからね
まるで監督の先生のようだね
千と千尋といい
社員旅行の行先が映画の元ネタになるのは
監督が旅先を決定しているのか?
社員に手を引くものがいるのか?
本当は怖いポニョの都市伝説?
入社して間もない若者が、宮崎駿のお気に入りだった女性スタッフに手を出し妊娠させてしまう。いわゆる「デキちゃった結婚」のようなものだ。
アニメ製作の世界は薄給で知られている。・・・しかし後先考えず出産を決意して育児に専念する二人の姿に感化され、社内に出産ラッシュが巻き起こったのだという。
若さ故の無鉄砲と言ってしまえばそれまでだが、宮崎駿はどうやらそこに、現在の閉塞した社会状況を打破して未来を切り開く活力のようなものを見出したようだ。そして、そんな頼りないけれどエネルギッシュな若い親の世代を応援するために、幼稚園を作ったのである。
監督のお気に入りで
幼稚園まで作らせた女性がいる
出産ラッシュを招くほど周囲に影響力のある人
この女性は遊女のコードを持っているのかもしれない
(何かしら繋がりがあるとか)
千と千尋もこのコードによるものなのか
若い女性なら千と千尋を観て
監督の元に引き寄せられた?
最初に観た時はあまり面白くなくて
なにが言いたいのかわからない作品と想ってたけど
改めて観るといろんなシグナルが詰め込まれていて
むしろ随分コンパクトにまとめられているんだなと想った
後半はあっという間だった
なんで崖の上?って想ってたけど
あれは縄文時代の入り江を表していて
縄文時代の古東京湾は岬がたくさんある
ギザギザのリアス式海岸で
三陸海岸のような崖が多かった
縄文時代をオカルト的に考察してみる 2
http://kokuyouseki.blogspot.com/2011/10/65.html
崖の上なんて言うより『丘の上の~』『岬の上の~』
とでも言った方がメルヘンチックなのに
あえて崖の上と言ったのは
あの家が建っている岬の
海との繋がりを伝えたかったから
崖の上は古代
縄文人の墓場だった
縄文の魂が眠る場所
金魚が遊女を表しているのは
知っている人は知っている
自由になあ~れ♪
http://kokuyouseki.blogspot.com/2012/09/248.html
遊女が嫁に行って稼業から足を洗うのを
水揚げという
ポニョは遊女のお水揚げの物語
そのせいか劇中大人にしかわからない性的な表現がw
赤い金魚のポニョは閉じ込められている遊女
赤い珊瑚の塔は遊郭を意味している
海は潜在意識を表していて
さらにその中の遊郭は
囲われている集合無意識を表している
ポニョの妹がなぜあんなにたくさんの金魚たちなのか
稚魚なのか
それは遊郭に囲われているたくさんの遊女の想念を意味している
もしくは遊女から生まれたたくさんの赤ん坊の想念
水子かもしれない
父親だけれども閉じ込めている番人は
女衒のようなもので
「フジモト」という名はつまり
女衒の血筋は藤原
それよりも古い
藤の元となる血筋・・・
主題歌を歌わせた女の子の側には
二人の藤の男が付いている
少女と二人の中年男
子供向けアニメの歌の宣伝にしては珍妙なタッグ
少女には二人の男の見張りがついている
母親である海の女神グランマンマーレは
観音様と呼ばれ
潜在意識の世界で大きな力を持つ
宗教のアイコン
マリアや観音を文字通り表しているともいえるし
生命を育む母なる海の女神でもあり
ポニョが彼女の娘ということは
遊女はマリアや観音の娘でもあり
海のコードを持つ女性であり
監督はここでダヴィンチコードのように
強い魔力を持つマリアのコードが
どこにあるのか伝えていて
それは遊女にあると言っている
崖の上の宗介の一家は
縄文の魂のありかを表していて
息子が両親を呼び捨てにして
不自然なほど家族の親子関係を対等にしているのは
弥生文化がもたらした父権を中心とする
家族制度に対するアンチテーゼ
母親が旦那よりも強く荒々しく描かれているのは
たくましい女性を中心とした
母系社会の縄文文化を表現している
縄文文化はいかに女性を美しく飾り上げるか
原始社会に見られる母性崇拝の文化だったから
女性の遺骨からはたくさんの装飾品が見つかっていて
それが男性の甲斐性だったという
強い女性の尻に敷かれて振り回される男性たちが
ちょっと情けなく見えるのは彼らがやさしいから
ジャラジャラアクセサリーをつけた
グランマンマーレは縄文の女神のようだし
飾らないリサのスタイルはその真逆
ただあの紺色のTシャツに白いカプリパンツは
海の色と波の色のマリンルック
サーモンピンクのパンプスは
彼女のコードが足元にある――大地との繋がりを教えている
ポニョの持つ魔力は津波と洪水を引き起こし
地球の重力を狂わせ
世界を破壊する力を持つ
でも縄文の末裔宗介に水揚げされると
その魔力は消え失せる
アンデルセンの人魚姫
あれは海という性の世界に生きる女たちが
陸へと憧れる遊女の悲哀だったんだなと想う
愛されなければ泡となって消えてしまう
稼業から足を洗うのはそれだけ命がけで
想いは儚く報われることはない
一番奇妙なキャラはフジモトで
監督の画風ではないキャラ
手塚治虫のブラックジャックを
パロッているようにしかみえなかった
監督は漫画の神様を
夢の世界の女衒扱いしたのかな
それが神様の本当の姿なのか
それとも先人を使って監督の存在を隠したのか
わからない
古代魚を復活させようとする
博士のようなフジモトの姿は
同じく医学博士だった漫画の神様
ブラックジャックへのオマージュ
夢の世界で生命(キャラ)を作り出す半身半神
それが漫画の神様だったのかも
ポニョたちが住んでいた珊瑚の塔には
古代魚を復活させる生命の水が
井戸の中に溜められていて
海という潜在意識の中にある遊郭の
さらにその中の井戸とは
超古代文明とかアトランティスとかムーとか
オーパーツとか
古代魚のように私たちが存在すらも知らない
地球の古い古い生命の謎に繋がっていて
たくさんの人のエネルギーコードが凝縮される遊郭は
監督が映画のネタを拾ったように
血の記憶のデータバンクがあるのかもしれない
脱走した遊女ポニョは
そのデータと力を持つ者で
破壊神となって大洪水を引き起こし
ノアの方舟に乗って沈んだ街をさまよう
宗介の母親のリサの車は
まるで縄文の森のような深い緑の中で発見される
水没から免れたのは
宗介の家がある崖の上と縄文の森や林
現代文明は消え失せる運命・・・
トンネルの先は死後の世界とか
まあ哲学的な解釈がいろいろであるけれども
オカルト的にはちょっとここまで
私にはよくわからなかった
まだ読みこめていない
映画のメッセージとしては
海のコードを持つポニョ(遊女)を探せということなんだろうけど
私には水揚げされて力を失うポニョの力は
潜在意識の海の中で付け替えたものにしか映らなかった
むしろ縄文の岬に住む宗介一家
リサに原住民のコード・ぬしのコードがあるように想う
このシーンを見たときに
これを想い出して
リサはやっぱり聖杯のコードを持つ女性なのかなと想う
コップの種類なんていくらでもあるのに
共に青い縁取りの付いたティーカップ
リサの服の色とガガのコップの色は同じ
ポニョと宗介のコップは
バケツと同じ色したマグカップだったのに
リサだけティーカップだったのが気になった
ピンクのパンプス
ピンクの買い物バッグ
ピンクのエプロン
服が地味なせいか
小物はなぜかピンクばかり
ポニョカラーとグランマンマーレの髪の毛と
フジモトのコートは同じ色
家族の繋がりを表しているのかな
リサ一家でリサだけなぜか名前が洋風
映画では観音の娘・マリアの娘
ポニョにコードがあるように描いているけどね
息子の宗介は純和風な名前
字を変えているけれど
宗助だったら江戸時代のような古風な感じで
吉原の通い客のような感じ
リサはあえて無国籍な名前にすることで
和の文化に対する縄文のアンチテーゼなのかな
失われた聖なる女性
48人の女性の一人は介護職をしているかもしれない
旦那は海の男
遠い漁に出ていた海洋民族
津波の先で観音が現れた時
船の墓場を見たのは
夢の世界でたくさんの男たちが
観音やマリアの餌食になっているのかもしれない
ああそうだ
ポニョやフジモトは結界を張れる能力がある
遊女に女衒
彼らは人の結界の柱
監督はこの映画にかつてないほど
いろんなイメージを投影しているから
いろんな視点から解釈が可能で
死後の世界
胎内の世界
意識下の境界
生物の進化の過程
などなど
なんで監督がそれを
瀬戸内海の鞆の浦で想い付いたのか
宗介とポニョの関係は「恋」ではない!? 宗介にとってのポニョはリサにとっての老人達と同じ!?
恋を成就するにはポニョを人間にする必要があり、それを成し遂げるために、宗介とポニョが試練を乗り越える物語である
この解釈を取ると、実は映画の結末が支離滅裂で意味不明になります。
・・・
すると、この映画は。
宗介とポニョが愛し合っていて一緒になる
という映画ではなく。
ポニョがリサの娘になり、宗介にとって妹以上に大切な妹になる
という映画なのかもしれません。
この映画で一番不可解で
そのために今でも津波の後の解釈が出来ないのは
二人の恋に乗り越えるべき障害などないのに
まるで試練を乗り越えて一緒にならなければ
世界を救えないという後半の流れ
その疑問の最たるものが
グランマンマーレとリサの話し合いで
なんのためのシーンなのかちっともわからない
最後一体何がめでたしめでたしなのか
何の危機があったのかも
だけどこの映画の目的が実は
「 ポニョがリサの娘になる 」
ということだったら?
水揚げされた遊女が 縄文の一族に嫁入りする
入り込む
それが本当の狙いだとしたら?
宗助よりも リサの娘になる
観音やマリア 宗教のコード
海のコードを持つ遊女に
縄文のぬしのコードを継がせる
そこが主眼だったとしたら
女同士で話し合って お膳立てして
宗介が知らない所で 結論はすでに出ていたのも
理解できる
そうしないと地球が滅ぶ
捨てたらボニョは泡になってしまう
そんな脅しによって たった5歳の子供に
約束させたw
あー忘れてた
ポニョは宗介の血を舐めてから
人間になれるようになったんだ
やっぱりぶっとい養分を捕まえて
ぬしの血を コードを探し出せ
そういえば ボニョの大好物は ハム(豚)だった
これ
裏設定の主人公は リサなのよね
世界のほころびは閉じられました
リサ ありがとう
グランマンマーレ あなたも
見方によっては
リサがグランマンマーレから ポニョという
海のコードを引き継いだストーリーに 見えるからね
リサを中心に観ていると
失われた女性のコードがどこにあるか
見えてくるかもしれない
ボニョが嫁入りすると決まったとき
グランマンマーレとともに 去って行くとき
ポニョの妹 稚魚たちが
成長した女性の姿になって 昇天して行った
まるでポニョの水揚げによって
水子の想念が 成仏したように
遊女が力を失えば 潜在意識で囚われている彼女たちが
遊女という宿命から 自由になれば
人類が夢の世界で閉じ込めているものが 解放されて
結界が崩れて
自然の脅威はなくなって
世界のほころびは 閉じられる
海には古代魚が溢れ
森は命を取戻し 古代鳥が帰ってきて
人は健康を取り戻したとき
グランマンマーレの 海のコードが
陸に生きる ぬしへと 引き渡された
ただちょっと気になるのが
世界のほころびは閉じられる
この表現は 崩れかかった世界のバランスが
持ち直したということなんだろうけど
まるで 結界がまた うまく張りなおされたような言い方で
数々の文明批判 左翼的な思想を持つ
この監督の真意が 願望が
実はここにあるように想えるのは
戦闘機や戦術オタクという もう一つの顔が
本当は生命の調和よりも
自分が創造主ではない この世界を 許せなくて
ただ破壊したいだけのように 見えるからかもしれない
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