「タタラ」古代産製鉄の一大拠点であった神津
昨年(23.8.27)館山での阿波講演会で〝鉄を持って来て呉れた神様〟や〝富、富、富の地名が気になっていました。〝富〟即ち「鉄」であり「金」であり、だったようです。
〝鉄を制するものは倭国を制す〟頃の時代のこと...。
日本では、弥生時代には、既に鉄によって農・漁具や武器が作られ使われていたそうです。そしてここ神津島を始め伊豆七島においては、古代砂鉄産地として、産鉄・製鉄民族アタ(鵜/大山祇:オオヤマヅミ神)族系と鴨(事代主:コトシロヌシ神)族系との鉄争奪戦が長い間繰り返されていたことが文献によって明らかにされつつあります。
話は逸れますが、阿波忌部一族は、阿波徳島を拠点に、凡そ2、3世紀頃から全国各地に麻や穀(カジ=楮)や蚕、優秀な粟や五穀の種などもたらし、黒潮海流沿いに南房総への東遷途中、神津島にも立ち寄り拓いたとされています。昨年、神津島での林博章先生の6.11阿波シンポで、そしてまた、今年の4.15の阿波命神社禮大祭では、吉野川市のきらく連による奉納阿波踊りと続く中、阿波忌部によって祀られたであろう神津島の総鎮守の物忌奈命神社や阿波命神社は、何れも延喜式内社の大社として往昔から島民に崇敬されてきました。
物忌奈命神社って
物部&忌部って感じ
阿波命ってそのまんま
~石の後は、やっぱり鉄だった~
そしてここ神津島には、金比羅宮の他、日向神社、塔ノ沢、千両池、長ッ崎、メッポー(滅宝)山等には、山神、海神、山土神そして鉱山神とも云われる大山祇神(大元祖=愛媛今治大三島町大山祇神社/伊豆三島大社祭神)の小さな祠が6ヶ所も祀られてあることが明らかになっています。
阿波忌部一族が立寄り定大明神三社を祀るほどの価値は何だったのか
タタラ吹き(古代踏鞴製鉄豪族)が島に入って来て操業し、砂鉄の一大産地として鉄をつくり、供給していた島であったと言えそうです。であればこそ、大明神を二つも三つも奉斎しなければならなかったのではないだろうか。聞いたこともなければ見たこともない阿波忌部東遷に続く新たな歴史認識です。石(黒曜石の島)の後はやっぱり鉄(砂鉄の島)だったという訳です。
民俗学者柳田国男によって、全国にタタラ吹き(古代踏鞴産鉄豪族)として砂鉄産鉄地にその足跡が残されていることが著わされている「ダイタラボッチ」(ダイタラ坊・ダイダラ法師・大太良坊・デーデッポetc)の巨人伝説は、神津島においては日向の〝ダイダイアラシ〟はまさしくそれに通じるものとしか思われません
・・・そして、ダイダラボッチから深化(?)したであろう日向の二股尾っぽの猫又伝説だけは、今日までも語り継がれてモニュメント(下写真)まで造られています。
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