タタラは呪術的産鉄集団
ダイダラボッチの巨人(大入道)伝説に始り、一つ目小僧、一本足の案山子(唐傘)、河童、天狗に赤鬼靑鬼等々は、古代タタラ産鉄縁の妖怪です。また計器も機器も何もない時代のこと、より良い鉄を吹くためには祭祀は元より巫女(宇成女)による呪術はまさに神懸り、あとは頼りになるのはタタラ師達の経験と技能が不可欠の存在だった。
伊豆七島では「嘘をいうと鍛冶屋を呼んでくるぞ」という口碑がありますが、これも古代産製鉄との曰くがありそうです。
日向神社(多幸湾)のダイダイアラシ(=ダイダラ坊伝説/柳田国男)に始まり、古代砂鉄採取の鉄穴流し(カンナナガシ)、タタラ(踏鞴)製鉄に纏わる古い字名や伝承・伝説等との関係が明らかになりつつあります。
そして、ここ神津島の砂鉄に関するこれら条件について、検証していく中
で、古代タタラ製鉄の一大拠点であり供給地だったらしいことが火の着いた導火線の如く次々に判ってきました。
大和王朝成立に先立って、日本各地に鉄をつくる技術を持った土着の「産鉄民」が歴史の表舞台に表れることなく闇の如く存在していた。高僧として知られる行基(668or677 ~749)、空海(=弘法大師 774~835)、慈覚大師(=円仁 794~864)や役小角(634~701/伊豆大島配流)達は、全国を探索、鉱山開発の修験僧として多くの産鉄地や温泉を発見したり、呪術者であると同時にすぐれた鉱山師(山師)でもあったなど文献には記されています。
産業技術集団で祭祀族の阿波忌部氏は、大和朝廷の成立に深く関わっていた
と著されています。また、凡そ2・3世紀頃阿波徳島を起点に麻や穀(カジ)、粟や五穀の胤などを携え列島各地に進出、黒潮海流沿えに東遷途中ここかしこにその足跡を残し房総半島をも拓いた。阿波国の穀霊神オオゲツヒメと優秀な胤を伝蕃した阿波忌部氏とは、深く結びついていた・・・
要約すると阿波咩命と事代主命大神は、阿波忌部の助力を得て阿波徳島から胤を携え伊豆半島と伊豆諸島を拓き、阿波咩命は神津島に、主大神は三宅島から伊古奈姫とともに白濱神社へ、更に白濱を経て三島市三島大社に遷座し大名神として奉祀されたとのことです。事代主大神の宮居が、正后である阿波咩命の神津島でなく伊古奈姫の三宅島であったことは謎の残るところです。
伊豆三島大社には、事代主と大山祇の二柱が祭神として祀られていることは周知のとおりです。沢史生著「ゆのくに伊豆物語」では、コトシロヌシとオオヤマツミの両方の眷族が訪れ神として伊豆にやってきた。そして、強引に伊豆の豪族神(先住民族・国栖首領)の妻や娘と婚姻を結ぶことによって勢力の根をおろしていった。阿波咩神は、最初は大山積神(アタ族)と契ったその後に、事代主神(カモ族)に一族もろともが略奪されたとあります。
伊豆諸島を始め伊豆半島には、古代産鉄資源とともに製鉄の好立地下にあったことが最たる理由であった。
〝鉄を制するものは倭国を制す〟沢史生著「伊豆物語」には、弥生時代に鉄を追って、皇系との結びつきが強かったアタ族(オオヤマツミ)やカモ族(コトシロヌシ)を始め、いくつかの古代豪族が伊豆(国)へ雪崩れ込んできた。また『豆州志稿巻之七』(秋山文蔵:1800) にも、伊豆(国)の産物の雑物中「砂鉄」として「…新島、三宅島にはもっとも多し」と著し書き添えられています。時代は下って古事記編纂(712)の頃は、日本は弥生時代から続いてきた鉄争奪の戦国時代の只中におかれていたとも記されています。
沢史生著「閉ざされた神々」には、日本の古代豪族が鉄資源を求めて相互侵略を始めるのは二世紀頃で、黒潮を利して先ず伊豆諸島に上陸し、伊豆半島に来たのは紀元前一世紀中頃だろうとしています。また、オオヤマツミ系のアタ族の後を追うように次にやって来たのが、コトシロヌシ系のカモ族であった。元来が航海神であって鉱山神のオオヤマツミは、熊野から黒潮海道沿えに大島を足掛かりに島伝いに伊豆諸島を開拓、その後伊豆半島に上陸したと考えられている。コトシロヌシは、逆に内陸伝いに半島から島に来たと見られています。
因みに伊豆半島の南側が賀茂郡でカモ族系、北側半分の田方郡はアタ族系と云われています。
~日忌様、海難法師、二十五日様は伊豆七島の古代産鉄由縁の祭事~
各島共通項としては、海や山の仕事は休み、大声や物音を立てずに静かにしている、戸締まりをして早く寝て戸外に出ない、灯りは消して外に漏らさない、外で用便をしない様に土間にダラ桶(おまる)を置く等々が禁忌となっている。これを破ったりすれば災いを招き天罰が下されると云う、所謂怖ろしい祟り神の到来と見なされています。
ダイダラ坊が深化したであろう日向(多幸:古くは多子)の猫又伝説についても同様です。伊豆の猫越山(ネッコ)や持越山(モッコス)は金鉱山として知られていますが、ここでのタタラ達を畚衆(モッコ)と呼んだり、黄金をネコと言ったそうです。鉄穴流しで沈殿した砂鉄もネコと称し、このネコが猫になり運搬用のモッコになって、現代の一輪車のこともネコと呼ぶようになった。また黄金を抱く招き猫の元とも云われています。
神津島では猫の皮を使ったことで、ダイダラボッチ(ダイダイアラシ)から猫になり、猫又伝説に深化していったのではないか、と云うことです。長野県諏訪にも、砂鉄製鉄よりも古い錫の採掘に関わるダイダラボッチの伝説が残っているようです。
伊豆七島の古代史は、オオヤマツミがコトシロヌシに侵略された伝承で覆い尽くされている。・・・伊豆島々の祖神や祭事は、今まで大きな謎とされて来ましたが、議論の余地は残しながらも古代鉄文明・文化が大きな要因だったことが今回判明し私的には得心いたしました。
猫の伝説=ダイダラボッチ=タタラの古代製鉄民族
かな
ダイダラにしろ猫又にしろ
とても恐れられていた(恐ろしい)民族だったよう
「嘘をいうと鍛冶屋を呼んでくるぞ」とかね
なまはげみたいな立ち位置
伊豆七島の奇祭でも
灯りを消して物音をたてず家にこもる
まるで何かの到来に怯えているよう
カモ族ってあの賀茂氏のことでしょ
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