2014年11月14日金曜日

デフラグ



 
150 :名無しさん :2014/11/12(水) 04:10:54
どうして最近はあめでものが食べられるようになったんだろう
ぼんやりとだけど味も覚えている
今まで食べられない、欲しいものは買えない、会いたい人は見つからない
そしてあめの中で手に入れた漫画なんかは読めなかった
そういうものかなーと想っていたんだけど
漫画なんかはなんとも想ってないと読める
読みたい、読むぞーと意気込むとそこで目覚める
明晰夢で強い感情があると行動できないみたいだけど

あめで食べているものは特に食べたいとは感じていないものだ




漫画を読む=データを読んでいる

これまで手に入らなかったデータが入るようになっている


食べ物はどうなんだろう
何かのエネルギー体だろうから本来はあまりいいものとは想えないけど

ただ夢でエネルギーを得られるようになったのはいいことかもしれない
今までできなかったはずだから





ちょうど夢のことを考えていたのです
どうして人はいい夢を見れないんだろうって
夢の話って大抵記憶の断片  わけのわからない詰まらないものだったり
悪夢だったりしますよね
追いかけられる夢だとか  落っこちる夢だとか
夢自体を見れない人もたくさんいる


楽しい夢を見ている人ってほとんど聞かない



そしてね
どんなに現実が幸せそうでも
夢が楽しくなかったら  楽しい夢を見れなかったら
その人の現実は楽しいものじゃないと想うのです
たとえどんなに恵まれているように見えても
深層心理が夢に現れているから


だから楽しい夢の話をほとんど聞かないってことは
どんなに私たちが恵まれて平和な時代を過ごしていても
本当は恐怖を抱えているんじゃないかって
囲われた中で脅えながら暮らしている幸せなんじゃないかって

そんなことを考えていたんですよね


子供の時は空を飛んだり楽しい夢を見ている人も
大人になってから自由な夢を見れない人が多いですよね


ユーミンの歌でも
子供の時は神様がいて不思議に夢も叶えてくれた
と歌ってる

この人は子供の時から夢の力があって
ずっと夢からエネルギー貰えてたんでしょうね

そういう一部の人が現実でも力を得られる
夢を奪われている人は現実も奪われているわけで


まずは夢の変化から始まるんでしょうね
現実が変わる前に  みんなの見る夢が変わってくる




私は相変わらずショボい夢ばかりですけどね・・・   (ー_ー;)





キューバはね  社会主義国で
全体的に貧しいけれど
国民に老後の心配がないの

だから自殺が多かったり老後の不安を抱える日本人を
なぜ?って想うらしい


キューバの人たちが私たちよりもいい夢を見ているなら
私たちよりもずっと幸せかもしれない




夢解きができる人は
夢は全部予知夢だという
ただ夢を見たときにその意味がわからないだけで


だとすると
楽しい夢が見れないならば  楽しい現実もやって来ないわけで
夢は確かに未来の現実を予測している


一方で夢は潜在意識のゴミでもあったりする
夢で記憶をデフラグしている
だから夢自体は潜在意識のウ●コみたいに
不安や恐れをスッキリさせるために見ている部分もあるんですよね


大きな夢に向かっていたり願望を前にしたとき
そのプレッシャーを夢で解消していたりする

幸せすぎて幸せが壊れるんじゃないかと想う気持ちが逆に
夢に現れたり


それとね
千と千尋で神様たちが湯屋にゴミや汚れを捨てて
きれいになって帰っていくじゃないですか?


あれが夢でもあるなと想ったんですよね

誰かが悪夢というかいやなイメージの夢を見させられているとき
誰かがエネルギー満タンになってたりする


エネルギーの質量交換  等価交換の法則を考えたら
エネルギーが吸われたり取られたりすると
その代わりに必ず要らないモノを置いて行かれるのですよ
厄を置いてかれるってことですね


知識としてはわかっていても
それが実感できるようになったということは
そろそろ夢が変わってきているんじゃないかと想う


バレると跳ね返りますからね



分断されて保存されている  記憶というデータ
個人の夢は個人の記憶をデフラグしているかもしれなく


夢の世界のクーデターはもしかしたら
分断されていた私たちの記憶を
さらにデフラグしたのかもしれない


データの最適化が終われば
空きスペースにさらにデータを  宇宙からデータを入れることができる
サクサクと処理スピードも上がるよね



11/11の日の連続したニュースを読み解いていると
つくづく現実って数珠繋ぎのように繋がっているんだなと想う

まったく関係ないように見えるニュースも
何かで繋がっているから同じ日に起こる


私たちが小説や物語を読むとき
映画やドラマを観るとき
そこに書かれている描写や映し出されたシーンに
意味のないものは何一つないように

現実に起こる全ても壮大な物語の中にあって
どの事件もどのイベントも  どのシーンも
何かを語るために起きていて

私たちはずっとこの現実という大きな物語の中に生きている
時代という物語


















0 コメント:

コメントを投稿