2015年6月23日火曜日

黒いカラスと橋の下



切られた黒曜石のブレスを作り直して
久しぶりに黒曜石を付けて寝たら
夢を見ました


舞台が大好きな友達が現れて
彼女が「南新橋」と私に告げた


そこに何かがあるらしい


何かの軸
多分舞台だから演芸のベースがあるのかもしれない


そして黒曜石はガラス
黒いガラス
黒いカラス


黒いカラスが南新橋から運んでいる


そんなイメージが見えた



新橋といえばガード下だなあと想って
目が覚めた後にうとうとしていたら


河川敷のとってもとっても大きな陸橋の
橋の下が現れて


そこに昔の乞食のような
音楽や踊りを愛する
ジプシーのような流浪の民がいた
サンカかもしれない



巨大な橋の下に群れる人々のビジョンは
そこに大きな想念の集合体があるようだった



ガード下
橋の下には
大衆が反応する想念がある


だから橋下知事は過大評価されているのかも
なんて想ってみたりした


茶髪でロンゲだった橋下がいつ頃からか
カラスの羽のような奇妙な髪形にしたのも
カラスがガード下から運んでいたからかも?


それでバレちゃったのかもね
橋の下にいた人じゃなく
橋の下から「運んでいた人」だったと




南新橋という地名はないけど
新橋南地というのがあって
烏森のことらしい


カラスって烏森のことだったのね




新橋烏森 花街だった烏森神社の周りに密集する飲食店街
新橋駅西口にはSLが展示された広場がある。ここはニュースで、オジサンたちにインタビューする時には必ず登場する場所である。つまり、東京のオフィス街で働くビジネスマン達が飲み歩く街である。夜の飲食店街になる素養は、「新橋南地」と呼ばれる烏森神社の周辺に形成された花街による。
 「平安時代の天慶三年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが烏森稲荷の起こりである。」(烏森神社HPより)
  烏森神社は鉄筋コンクリート造のモダンな建物であるが、その参道には小さな小料理屋が建ち並んでいる。神社に向かって左側は空き地や建て替わっているもの の、右側には残っている。また、神社の西側、北側の路地にも飲食店が密集している。それらの意匠に和が感じられるものがあり、花街だったことを伝えてい る。新橋には、駅の東側に名門の花街があるが、新橋南地とは格が違う。



旧花街「新橋南地」だった烏森神社周辺を歩いてみた
ちなみに、一般に「新橋の花街」と呼ばれるのは現在の銀座あたりにあった「新橋煉瓦地」と呼ばれるもので、格も雲泥の差があったといわれています。明治政府の大物政治家たちが贔屓にしていたのは「煉瓦地」の方でした。


新橋 (花街)
花街としての新橋(しんばし)は、現在の東京都中央区銀座における花街である。「芸の新橋」と呼ばれ、日本各地の花柳界からも一目置かれている。・・・現在の港区新橋には「新橋南地」(別名、「烏森」)という花街があった。元は本項「新橋」と一緒であったが、その後に分離し、現存しない。




「芸の新橋」は銀座のことになっているけど
本当は烏森  新橋南地の方から生まれて
分離した後銀座の方へ吸収されたような気がする


新橋烏森が
関東の演芸の始まりの集合体なのかもしれない
舞台の始まり

芸能界の軸足


新橋烏森が
カラスが集まる霊地だったからかもしれなく

そこにはもしかしたら
サンカのようなジプシー
流浪の楽団やサーカスがいたのかもしれない


それが後に「芸の新橋」を生む
江戸の芸能の基盤になったのかも


というより  私の直感だと
もともと大衆芸能や演芸は
決まった場所でやるものではなく

流れ者たちが各地を回って見せていた

それが橋の下のような所だったり
川の近くの広場や空き地

そんな場所で芸を見せる集団がやって来て
村人や町人たちを楽しませていた


芸は昔はほとんど
流しだったのね



カラスは彼らからたくさん
運や情報  富や健康など
いろんなものを運んだから

カラスの集まる烏森が  やがて芸の新橋になって
大衆芸能の始まりとなった気がする




つまり・・・ここに芸能界の基軸があって
基軸に辿り着いたのも
新橋の夢を見たのも


般若のお面のイメージが見えて
歌舞伎のやってること
歌舞伎の封印をちょびっと
緩めてしまったからではと想ったり。。。


さらにその前に
霊気ダンスで古代出雲と
勝手にチャネリング気分になって
踊りに付いて考えてみたりしたことが
発端だったのかもしれない


もしかしたら日本の大衆芸能の原点って
橋の下のジプシーから生れたのかもねーなんて
・・・想ったりして


昭和の時代まで普通に流しはいたしね
藤圭子とか親は津軽三味線の流しの娘だったし
昔は売られた娘は遊女になるか
芸妓になるしかなかったそうな

芸人のことを河原乞食と
差別的に呼んでた時代もあったくらいだから


だからもともと演芸の原点って橋の下から
橋の下から生まれて

芸は橋の下から生まれた
集合意識はそんな記憶を持っている気がする




新橋のガード下が戦後の象徴のように
ずっと残っていたのも
ガード下が関東の芸能の始まり
その集合体を象徴していて

だからずっと今でも残っている



ああ  新橋って名前が
新しい「橋」だったことに今気づく・・・(爆


新橋駅前のSLも
鉄道発祥の地のモニュメントとして
置いてある

あの黒いSLは
黒いカラスだったりするのかな


オッサンたちのインタビューの定番の場所なのも
ここにカラスの想念がたくさん集まっているから?




新橋演舞場は東京で初めて作られた
大型劇場らしい

ここが東京の舞台の基盤なのかな





そういえば
お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ
って親に言われませんでしたか?

これ
昭和生まれは言われていたようですが
もう最近の親は言わないでしょうね  (^^ゞ


私も父親に言われましたよ

私の父は冗談やホラ吹いたりが大好きなんで
近所の○○川の橋の下から拾って来たって
ニヤニヤしながら嬉しそうに私に話すので


私は子供ながらにえっ!と驚いて
ウソー!ウソー!って言い返すほど
嬉しそうにするので
すぐ嘘だとわかっちゃうのでしたw


その○○川が冷蔵庫とか捨ててあるような
寂れた川なので
子供心にあんな所に捨てられて拾われたなんて
たまったもんじゃないと
必死に抵抗したのを覚えてます(爆


でもなぜか私にだけ執拗に言うんですよね
女の子が言われることが多いらしいですが
反応が面白い方が言う方は楽しいんでしょうね
弟はシリアスに涙目になってた気が(笑




かなり昔(安土桃山時代以前)から、『捨て子は強い子に育つ』という言い伝えがあった
とか

魔除けや厄除けのために
子供を一旦捨て子にする
縁起担ぎのような風習が昔からあるようで


私的には
橋の下のジプシーに被せているようにも
見えるんですけどね

魔に被せることで魔除け?




昔家族から言われたあの言葉 「あなたは橋の下から拾ってきた」


私の場合は淀川でしたとか
養豚場で拾って来たとか
ダイエーで買って来たとか
庶民のバリエーションは無限大





平将門を倒した藤原氏の逸話がある
烏森神社

ここで火災が去年ありましたよね


烏森神社は
将門の北斗七星の呪術
柄杓の底の下にある


柄杓の水
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/05/779.html



白狐がやってきて白矢の矢を与えた

というのは多分
弓を扱う一族の協力で
将門を成敗できたということかな

弓削氏とか弓月氏とか?



烏森神社から北に矢を放てば
北斗七星の結界
柄杓の底から穴が空く


去年ASKAの事件があった時に
パソナ関連でこの柄杓の底が割れたんだけど
有名な結界だから
また誰かが補強したのかもしれない


じゃなければ柄杓の中身の秋葉原
秋葉グループはもうそろそろ終わってもいい頃


このグループは想念上はもう終わっている気がする
一応人気はまだあるようだけど
中身はスカスカで柱が二本抜けている
今はファンのエネルギーをパクパクして
食いつないでいるだけのような
アイドリング状態
















3 コメント:

偶然見ました。
阿波おどりヤメて! 日本の祭りが「音の苦情」で揉めているhttp://matome.naver.jp/m/odai/2143494100772529301

このまとめは6月22日にアップされてるようです。
猫のたま駅長も同じ日に亡くなってます。

6月22日は夏至でしたが、これも何かの節目なんでしょうか??
 
私も偶然見ました↓

736 :M7.74(庭):2015/06/24(水) 22:39:44.40 ID:4saAnujO0
既出だったらごめん
知り合いの子供の学校、新校舎建ててるんだけどその鉄骨が倒壊したらしい
原因がわからなくて今調べてるみたい
場所は徳島の鳴門

980 M7.74(徳島県) sage 2015/06/20(土) 14:25:05.57 ID:mlTRS75S0
徳島県美馬市の山間地域では谷の水を生活水として利用していますが、10日ほど前から泥水になって飲めなくなって生活に支障が出ているようです
普通の泥水ならばバケツに入れていたりすると、すぐに泥が沈殿するのですが、その泥水はいつまでたっても泥水のまま濁っているようです
家の近くには中央構造線が走っているようです
地殻変動とは関係無いのでしょうか…

39 :M7.74(大阪府):2015/06/20(土) 18:50:50.03 ID:EO5nvYwu0
捨て台詞吐いて県外に逃げてった爺さんって確か徳島だったよな

624 :M7.74(dion軍):2015/06/24(水) 07:20:35.02 ID:58RW3i9E0
ん?高知県で小さい地震。
まさか、これが大きな地震の引き金になったりは......。
なんか最近、徳島と高知の付近で小さい地震が多いような。


寺も自然倒壊したし
小さな揺れがずっと続いているようですね
それも恐いですね

夏至の日が節目だったのかもですね
 
はじめまして。いつも興味深く読ませていてだいております。
四国が取り上げられている記事が多いですね。
最近、香川県のイサムノグチ庭園美術館を知ったのですが、非常に驚きました。
完全予約制で、往復はがきでのみの受付なのだそうです。
入場するのに個人情報の提供が必要な美術館なんて初耳です。
美術館は多くの人に開かれているというイメージを覆されました。
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm
 

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