2011年8月31日水曜日

スーパードクター

月の力の響きに



地球が呼応して



大地のパワーが増している。



結界が崩れた地域では、自然のエネルギーが凄まじくて



いつ地震が起きてもおかしくないし、いつも地震前のような感じ。体感すらも裏切り続けられる。



エネルギーは左から入って右から出て行く。



左足は地のエネルギーの入り口。



新月の日、真っ直ぐ立つと左足にかつてないほどの激痛が・・・><



むくみがあって水分が多いばかりに電気が走る。。。。(涙



通りかかった神社には、いつも話しかけている樹木がいる。



悲しいときには抱きついたり、同調して心を洗ってもらったこともある。



足が物凄く痛いんだけど、抱きついていいかな・・・とお願いして寄りかかってみたら



足の痛みがすうっと消えて、樹木さんの方に上っていった。



エネルギーが体から離れて上に登って行く。。。



大地の力に呼応して、樹木さんのエネルギーも増大している。



樹木さんが人を治せるようになって来ている。植物の力が復活している。



医者がいらなくなる。自然に治してもらえるようになる。

霊界が消えている?

月のパワーが強いのは、太陽の影響が大きいのは、宇宙線が強くなっているのは



地球を覆う人間の想念が消えかかっているからかもしれない。



霊界という覆いで、月のエネルギーも太陽のエネルギーも宇宙のエネルギーも遮断し



人間の霊性を閉ざし、魂の記憶を奪い、健康を奪い、羊のように囲っていた。



地球の力も奪っていた。




オゾン層の破壊は



Co2のせいかもしれないし人工地震装置の熱射線のせいかもしれないけど



実は霊界の崩壊を意味していて、支配者たちは暗号のようにそれを受け取っていて



そして実際はただの暗号でしかなかったりして



世の中で騒がれていながら実体がわからないような出来事



実際の被害がわからないような事象は



実はただ象徴的な意味しかなくて



なぜなら世界を動かそうと思うなら、いつも何かしらのイベントが必要で



そのイベントは広く大衆にイメージさせるから、伝達手段としてはこの上なくて



そんなことをふと考えてみる。




だとしたら、彗星の到来や太陽フレアも



恐らく何かの象徴で、イメージを喚起させることのほうが重要で



現実的に何か起こるとは考えにくいことになる。



電力が足りているのに計画停電したのは、この世界を維持するαのエネルギーが足りなくなっていて



彗星の到来は、αの脅威=怨霊さんの取り返しが10月から本格化するというシグナルかもしれないし



太陽フレアがネットワークを遮断するなら、



潜在意識の蜘蛛の巣の、コントロールができなくなることかもしれない。



何も知らない大衆だけが、錯綜する情報に翻弄されて



伝わるものにだけその真の意味が伝達されて



人々を恐怖に陥れる演出ばかりが施されていて



いずれにせよ



茶番劇はもうごめん。

2011年8月30日火曜日

新月

月のパワーが増している。



太陽フレアだったり、紫外線だったり、太陽の影響が強くなっていることは知られているけど、



人の精神に、身体に、植物の成長に、水の流れに、地球のエネルギーに、本当に影響を与えているのは月で



その月が今かつてないほどのエネルギーを送っている。



太陽に負けじと、月がパワーを送っているのだろうか。



それとも、地球を覆っていた何かが消えた?霊界?




いつ頃からだろうか。



自覚したのは、お盆の満月。



頭頂のチャクラにエネルギーが注がれる時



森林浴と月光浴でパワーが増幅された。



一週間後、また頭が痛い。



気がつくと、下弦の月。



第三の目が痛い。



月の影響は太陽よりも大きい。なのに皆太陽ばかり大騒ぎw



一般人に黒点の数まで数えさせようとする。目くらまし。



今宵は新月。



けれど、月のパワーが最高だったのは実は昨晩のこと。



月は消えるときに最もエネルギーを強く放つ。

ごあいさつ

新月の晩に、このブログを始められることを嬉しく思う。



311以前の自分と、311以降の変化。



もうあの頃には戻れない。



何も知らなかった時代には戻れない。



このブログは、311以降の真実の探求の中で生まれた覚醒の奇跡です。




ネットを通して繰り広げられた霊的刺激、向上、そして攻防。覚醒とはエネルギー。



エネルギーが目覚めをもたらす。



311で解放された膨大なエネルギーがネットを通じて魂をゆさぶった。



滅び行くものが罠を仕掛け、目覚め行くものが罠を武器にした



師は敵であり、敵もまた師であった。




全てのものが魂の目覚めと真実に向き合う勇気をくれた




皆にありがとう。




某スレで生まれた用語を使います。

α   有史以来人間を支配してきた全てのもの。征服者。渡来人。
               ・・・アトランティス、弥生時代、天津神、プレアデス。ネビル。アヌンナキ。


β   有史以前人間が自由だった全てのもの。被征服者。先住民。
               ・・・レムリア、縄文時代、国津神、シリウス。



最後にマドモアゼル愛先生のお言葉を


「縄文一万年の夢を壊したのも、変化させたのも、間違いなく悪であり、悪がなければ縄文時代は今も続いていた。

螺旋状に進む時代構造は改めて新たな縄文を作り出していく。

しかし、今、幽界につくのか、苦しくとも現実界でがんばるのか、最後の選択の時が誰にも訪れていると考えるとわかりやすい。」


泣いた(ToT)

311とは

マドモアゼル愛先生のお言葉を抜粋



2011年6月27日 (月)
人類本質文明

歴史を学ぶと人の考えがよくわかる。
世界の歴史からごっそり抜けてしまった重要な歴史が数多くある。
歴史が勝者の記録である以上、それは想定できるものだが、あまりにあまり、、という代表は縄文時代である。
土を掘り起こした中から色々な物が出てくる古代文明も大したものかもしれないが、ほんとうにすごい文明は土の中からはほとんど何も出てこない。
自然一体型の文明はすべてを土に戻していただろうから。
掘り起こした中から何か色々と出てくる文明が優れていたわけではないのだ。
そのことに多くの人は気づかない。
歴史学の大きな決定的な間違いは、人類史のスタート、そして文明の中心を縄文時代としないことだ。
確かに教科書には縄文時代は出てくるが、1万年以上つづいた人類最古の文明に対する尊敬も重要視もしない。
事実は隠せないと、かろうじてあげる程度。
おお昔の石器時代との流れで軽く扱いたがる。
今なを、縄文を軽視する風潮はつづいている。
まして、白人世界では縄文に目をやることはおそらくタブーになっているのだろう。
ここに業を負ってしまった人類の姿が垣間見れる。
あらゆるコンプレックスの根底にあるものは、縄文の否定から訪れることを私は感じる。
武器をもたざるを得ない人類、、金儲けをせざるを得ない人類、、、権力を志向せざるを得ない人類、、自然を荒らさざるを得ない人類、、、これらのコンプレックスの現れは、一言で縄文の否定からきている。
事実の否定には必ずコンプレックスと弁解が生じる。
それが争いであり宗教なのだ。

 1万年以上の間、一切の戦争がなかった縄文の時代。
すべてを土に戻し、あの世とこの世との和解を成立させていた偉大な文明。
完全な循環型文明は地球が命であることを知り、命と一体になって暮らした、間違いのないユートピアだった。
そしてエジプトから始まった歴史の流れを唯一凌駕するこの縄文を認めることは、権力機構重視の現代人にはできまい。
それをしたら自分らの存在の本質的基盤を失うことになるからだ。
ことに白人はそうだろう。
世界の悲惨な歴史のすべては、その本質を、この縄文と縄文的なるものの否定から発生している。
エジプトから始まった文明の流れは最終的に縄文を滅ぼしたので、歴史と人類の中心的な力はどうしても力に行きつく。
権力とテクノロジーである。
縄文を肯定すると彼らは自らのよって立つ基盤を失うので、それはできない。
歴史とは、縄文憎しのコンプレックスが巻き起こしたものと考えてよい。
世界の縄文的なものは武器によって滅ぼされたが、唯一日本においては、生き残りのために縄文は自ら変革を遂げ、弥生時代を通して融和と生き残りを図った。
それが今の日本人となるのだが、今なを、日本を二分するように東京から以北と以南とではその体質を分けている。
それは縄文変革における際に生じた指向性の違いだろう。
東北の人はより濃く縄文の魂を残した。
そう考えるといまだなを続く縄文否定の争いが続いていることになる。
今回の震災も当然この流れからとらえることができる。
しかし面白いのは、命の根源を失えば、すべてが死に絶えるわけで、歴史もついにそこまで来たか、、の最終場面とも考えられる。
最終の力学は何かというと、悪は最後は狂気に至る宿命がある。
経済の最終場面が一人勝ち経済では、民衆に金がなくなり消費が減り、経済が成り立たなくなる現象を生むように、最大欲は最大無欲で終焉する。
これが悪の狂気の宿命となる。
縄文最後の砦である東北の崩壊の持つ意味は人類史の最終場面が近づきつつあることのあかしなのだ。





梅原猛や岡本太郎のように、怨霊史観や縄文ブームはこれまでもあったし目新しい説ではない。しかし311と結びつけて現代に起こりうる危機を解き明かしているのは愛先生の他に知らない。αとβの差別化に意義を唱えるものもいるが、この二つの征服・被征服関係を理解しなければ、311も、恐らくこれから起きる事象も読み解くことはできない。

人類の始まりと終わりが一つのキーワードで繋がっているから、物語は完結する。