2014年12月9日火曜日

阿波のBlue moon stone



阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会3月18日
徳島にあるNPO法人阿波国古代研究所が公式に、「阿波が邪馬台国の地であると地元の政界、財界に向けて公式に発表した」と言うニュースです。たぶんマスコミはシャットアウトだと思うので、地元徳島の方もご存じないかもです。いよいよ、いろいろなものが動き出しましたね。なんだか、ゾクゾクしてきます。(^^)/


なぜシャットアウト
島全体が秘密結社的な



阿波古代史(基礎編)と日本のルーツ研究会2013年6月5日
淡路島は本来は「阿波路島」。阿波の国へ赴くための路なのです。ですから、古代から阿波と切っても切れない関係でした。古代は讃岐も土佐も阿波なので、これら地域は一体だったのですね。


この地域は伊の国ですよね
愛媛が予の国


松●伊予ってすごい名前ですよ
旧家の出身らしい
まあそうじゃないとこんな名前は付けない

なぜ旦那が今再ブレイクしているか
なぜ2000年代になって表に出なくなったか
嫁さんのバックの影響がありそう



古い阿波は、「イの国」といっていた



青石と阿波古代史
今回、阿波に行って、青石についてさらに知識が深まった気がします。青石とは、専門的な言い方をすれば、「緑泥石でできている結晶片岩(薄くはがれやすい岩)」です。この石が阿波の特定地域にあるのは以前から書いていますが、今回はその石の分布と利用方法についてシェアしておきたいと思います。

1.御陵を構成する石としての青石
古代の古墳の御陵の石室は、阿波では青石でできていると言います。大きくはないけど、その石室は丁寧に青石で全て構成されているようです。一方では畿内では古墳は大きいけれども、石室等で青石が使ってあるのはその全体を構成する石の一部だそうです。つまり、巨大だけども「手抜き工事」の古墳と、小さいけれども丁寧に青石で構成された古墳。どちらが大切にされているか、一目瞭然だと思ってきました。

今回、阿波に行って、その思いがさらに深まりました。なんと、阿波では一定の地域の場所では、道路には当たり前のように青石が転がっているのです。聞けば、今回登った高越山、そして霊山としての剣山は、山そのものが青石なのです。つ まり、阿波の特定地域に行けば、青石は容易に手に入る普通の石。大倭(現在の奈良県)にあったと言われる大和朝廷が阿波を一地方として従えておれば、命令 さえすれば、阿波では普通の石である青石は簡単に入手できるはずで、畿内の古墳が「手抜き工事」になることはありえないのです。

逆に青石が古墳の一部しか使われていないことは、青石が畿内の古墳においても重要な石だと言う事であれば、「阿波>大倭」と言う格付関係がすぐに納得できるのではないかと思います。つまり、聖地である阿波の石をどんどん持ち出すのははばかられたと言う推測です。もっと踏み込んで推測すれば、「はりぼて」、「ダミー」である畿内の墓に、聖地の貴重な石を大量に使うのは気がひけると言ったところでしょうか?(^_-)

2.農業としての青石
さらにこの青石は風化して土になると非常に肥えた土になると言う事です。この青石が細かく細分化し、できた土にカヤを梳きこんだものを使うのが「忌部農法」と呼ばれるもので、下からは見上げるような高地に集落があるのも、この青石が水を通すのでしょう、高地に水が湧き上がることと青石で土地が肥えていることで、たくさんの種類の農作物ができるためだと言います。

3.波動が高い石としての青石
一方、この青石は非常に波動(エネルギー)が高い石です。こ の石に若くして小石が入ったものが「さざれ石」で、阿波ではこの石を「神凝り石」(神の分身が固まった石? それとも神が固めた石?)と呼び、その石の貴 さが名前からだけでもわかります。その貴い「さざれ石」でさえ、一定の川の流域では、当たり前のようにそこらじゅうに大小さまざまに存在します。それをお 預かりするのは、まさにそのあたりの川にある小石を持って帰るぐらい、簡単なことです。ですが、この石が古代の神事に「神様の降臨」のために場を清めるべく使われていたことは、イヌマキの灰が引き継がれていないことと合わせて、全く大倭には引き継がれていない(意図的に引き継がない)ことであり、大倭に移るときに本来の阿波の倭神道を形骸化した意図が感じられます。




阿波の青石(緑泥石)は有名らしい

石碑とかに使われるあの青っぽい石のこと


先日のFNS歌謡祭でフミヤが歌ってたのが
Blue moon stone


同じ福岡県久留米市の女性シンガーとデュエットしてた
家入レオ
ライオンが家に入る?
家=結界  獅子=寅に変換したら  鬼門

なんか結界破壊しそうな名前w


あれっ?
高越山の住職遭難はやっぱフミヤのせい?


いつのまにかFNS歌謡祭が戦場になってる
まあ確かに生歌で曲をコラボすれば力量がはっきりするし
歌のバトルをしているようなもので負けると公開処刑



高音は空へと響いていく
低音は大地へ響かせる


夢殿の神殿で反響する低音の響きが
地の結界を壊している

フミヤと高越山がシンクロしたのは
あの宴での低音の響きのせい


カバラのともちゃんに
フミヤの低音


低音の力を宿した血筋が  力を得ていく
大地のコード  養分の気がついている証


自分の所を護りながら
相手の陣地の結界を破壊している
血筋の攻防戦



そういえば玉置●二もFNS歌謡祭で「男はつらいよ」を唄ってた
高越山でなくなったのは住職と「寺男」
寺男といえば蛾次郎
住職と寺男といえば「男はつらいよ」


玉置さんの歌は民謡仕込みで
ステージでの生声は震えが来るほどすごいらしい
神がかるんだとか


四国の結界崩壊に
北も一発かましてたのね



ASKAとか玉置とかね
世間からみたらイッちゃってるアーティストが
想念の世界を動かしていたりする

それだけ見えない世界の干渉を大きく受けてるから
器に支えきれないでいる
油断ならない


ああ  ASKAと玉置も  南と北だ





古事記はどこを舞台とした物語なのか?
古事記と言えば、日本人なら多くの人がご存じの日本最古の公式歴史書です。でも、正式の名称をご存じの方は少ないと思います。私も阿波古代史を知るまではしらなかったのです。その正式名称は「磯上乃古事記」(いそのかみのふることぶみ)
では、この「磯上」とはなんでしょうか?これは場所を表す冠頭詞のようですね。
これを解釈するのに格好の文章があります。825年に阿波国 太龍寺縁起において空海が著した以下の文章です。

「磯輪上乃秀真国之阿波国也」(しわがみの ほつまのくに これあわのくになり)
磯輪上の秀真の国=阿波国と言っているのです。この文章は重要なことを二つ表しています。
まずは「秀真国は阿波国」と言うこと。つまり「秀真伝」(ほつまつたえ)と言う古文書は「阿波伝」(阿波のことを書いた文書)と言うこと。もうひとつは冒頭の「磯上」の解答、「磯輪上の国は阿波の国」と言うことです。磯輪、つまり 「磯の輪=鳴門の渦潮」 と推察できれば、その上の国は阿波国です。

つまり、古事記は「阿波国の歴史を書いた文書」と言うことです。事実、阿波風土記は現在の世の中に実在しないことになっているものの、その阿波風土記をもとに研究した書物が筑波大学図書館にあることが発見されています。その中には天地開闢以来の物語が載っております。




阿波風土紀の研究書が茨城大の図書館にあったのね




大和三山はダミーだった?! (1) ~舒明天皇はどこで和歌を詠んだのか?
その舒明天皇が香具山に登って、ご自分の国をご覧になって歌った歌なのです。では、ここで質問。現在の奈良県は海に面しておりますか? もちろん、面しておりません。では現在の奈良県の香具山から、海が見えることはないですよね?
実は香具山はもともと阿波にあり、現在の徳島市の大神子(おおみこ)の籠山(かごやま)が「天の香具山」にあたるのです。そのロケーションは地図でご覧くださいね。

仏教の日本への伝播も最初は阿波なのですよ。(^_-) これはちゃんと文章にしていませんでしたかね。(^^ゞ
阿波にいた仏教の僧が現在の仏教史よりもさらに50年以上は古くに存在したと言うのが資料で確認できます。
と言うか、仏教が伝来したのも当時の倭王朝。その本体が阿波にあったから、阿波が最初なのは当たり前なのですが。
日本に伝わった仏教は釈迦〖ゴータマ.ブッダ〗が説いたものとは全く別物




八十八か所のお遍路が四国にあるのだから
仏教伝来が四国からというのは納得
その後高野山でしょうね



お遍路のおかげで四国は何千年も食うに困らない
経済的に困窮することのない地域になったのですよ
お遍路の経済効果は数百億円規模

いうなれば日本史上初のテーマパーク
観光プロジェクトを空海さんは実現したわけで
だから空海は四国の人にとても愛されているんだって
四国の恩人なんだとか
そりゃあそうでしょうね


四国全体をお遍路で聖地にしてしまった
そんなことができるのは昔本当にここが聖地で
支配者たちがいたからで
じゃなければ意味もなく寺などできないし
それを巡らせる仕組みも作れない
人も遠路はるばる寄って来ないよ


空海の時代までに四国に確かに
聖地となる何かがあったからこそ
お遍路の寺が作られそれを巡るご利益が信じられた

四国沿岸をまるで城郭を回るように張り巡らされているのは
四国に西日本を統治する城があったからこそ
人がやって来て観光地化することができた




「道は阿波より始まる」における現状認識
1. 約1000年前の諸国の人々は、九州、中国、近畿地方には「磯乃上古事記」(古事記)の舞台になった磯上の国も、高天原もないことを知っていたこと。
2. 伊予、大倭(奈良)、伊豆は阿波の同種族の分国であったこと。
3. 山陰、出雲地方は佐布能国(阿波にあった)の植民地であったこと。
4. 「磯乃上古事記」と「阿波風土記」は何らかの関連があること。
5. 現在、唱えられている日本古代史は、風土記の時代以後誰かが勝手に考え出した偽の創作であると断定できること。




大倭というのが大和朝廷のことで
倭王朝というのが四国にあるラスボスだとか

















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