好きなもの 心動かされるものは
いろんな表情をみせてくれる
移ろいゆくもの
秋に落ちる どんぐりの実
旅先で拾った石
川原に落ちている 流木
そんな何かの欠片のようなものに
愛着を感じるのは
それが 小さな響きを放っているから
小さな欠片に 想いを寄せるのは
小さな響きが 聞こえるからで
その小さな響きに 共感すると
それは 大きな響きを生んでいき
命を吹き込まれた 小さな欠片は
一つの命となって
そのエネルギーは 想念体となって
生まれ出ていく
好きになるから 愛するから
エネルギーが生まれて 命になる
それは 自分の想いが 生んだ形
小さき者 弱きものに 想いを込めれば
それは 響きを生み出して 命となる
そうやって 想いをこめたものが
やがて自分を守ってくれる
誰でも自分の好きなことに没頭していれば
オタクのように 他を寄せ付けない時間と空間が必要になる
自分が好きなこと
そういう軸を持たないと
好きなものに 護られない
自分を守ってもらえない
操られやすい 無防備な状態
それはむしろ 危険なこと
いろんなオタクがいるけれど
アニメや二次元キャラ フィギュアに夢中になる
コミケに集う アニオタさんには
なんとなく 仏師の影が見える
仏像を彫って 彫って 彫りまくって
仏像に 魂を込めていた人たち
仏壇や 彫り物 仏教絵巻など
過去世で 仏教の世界を 芸術芸能の面から
支えた人たち
なぜなら アニオタさんの世界も 仏教宗教の世界も
とても人工的で
自己完結しているアニオタさんの世界観と
想念を囲い込む宗教の世界観が
同じ匂いをしているから
マニアックなアニメの世界に 抵抗を感じるのは
新興宗教の教義に 違和感を覚えるのと似ていて
繋がりを求めているというより
ただ巻き込みたいという 欲望が すけて見える
それはもう一つの 囲いの中
極端にデフォルメされ 強調された
幼さ 性 タブーが 司る
人の夢のイメージを操り ストーリーを吹き込む
仏教がポピュラーじゃなくなって
映画の現場 アニメの現場も
劣悪な環境で 行き場を失った才能が
フツーの人として暮らしながら
同人誌の私的なサークルに集う
そこで目的は 役目は 密かに達成されている
観音像を彫ることで 観音像に祈ることで
観音の想念を宿した人が 出てくるように
フィギュアに想いをこめると
その想いが 形となって
見えない想念体が
夢の世界で 現実の種をまく
彼らの想いがこもったキャラたちは ストーリーは
この世のどこかで 実体となって 生まれて来て
仏教の代わりに 宗教の代わりに
彼らの夢 妄想を実現する 計画を助ける
ヒトガタとなる
自分と同じ名前 自分の恋人と同じ設定の
アニメを発見したという レスを見たことがある
私もあなたも 誰かの夢が 作ったかもしれない
コミケやアニオタの世界が 閉鎖的な感じがするのは
彼らの魂が 宗教のために 囲いをつくることをしていたからで
自由な現代になっても やっていることの本質は変わらないから
同じような形態をみせる
コミケに集う人々は メッカに集う信者のように
宗教的な興奮の渦の中にいて
彼らが作るストーリーは 数ある神話と同じように
創造主である彼らの
欲望のはけ口だったり
都合のいいまま オチもなかったり
八百万の神々を生んだ 神話のように
ただ自らの唯一神を 女神たちを創造することに
情熱を注いで 精力をかけている
やがて妄想はどこかで 現実の種となる
アニメで描かれる予言的な世界は 宗教の世界の預言の書であり
集合意識からはじき出されるデータによって
未来を算出する
そこにあるのは 囲い込まれた人間の 無意識のデータ
囲いについての データ
自然の情報はあまりない
二次元オタクたちへの偏見は
新興宗教への 宗教弾圧と 似ていて
巨大な集合意識に対する 国の警戒でもある
潜在的に 同じであることを
支え合っていることを
私たちは 嗅ぎ取っているのかもしれない
深夜に放送されるアニメは
丑三つ時に 流されて
たとえ番組を観なくても
観ている人を通して
人の無意識
人の夢に向かって 発信されている
二次元の世界のアニメは
イメージの連続である 夢に入り込みやすく
サブリミナルのように 挿入される文字や言葉
抽象的な図形によって 構成された背景は
もはやアニメというより
夢をイラストにしたものに 近い
まるで密教の奥義のように 夢を囲った仏教のように
彼らの魂は 夢に入り込む
世界を無機質に描くアニメは
囲いの情報を 未来を伝える
伝達手段として
まるで地下組織の 指令のように
深夜に密かに 流される
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