オーストラリアの首相が まるで巫女のように
世界の終わり 世界の危機の演説をしていたのは
四国勢の声を 代弁していて
四国は 長野を 諏訪を封印したから
やがて 長野に 諏訪に 取り返される
諏訪に張った結界は 中央構造線と 糸魚川静岡構造線を
クロスして そこにできた諏訪湖に
諏訪大社の封印 結界を施すことで
日本を東西に分ける 北米プレートとユーラシアプレートのつなぎ目
フォッサマグナを 抑えている
これによって 東西プレートの両方のエネルギーが
中央構造線を伝って 紀伊 四国 九州へと流れ
日本の統一が 実現した
ここにある断層を 一つにまとめなければ
二つのプレートにまたがっている この島が
現実の世界で 一つの国に統一されることは
なかったかもしれない
フォッサマグナは プレートが東西に分かれて
ある時期は 海だった場所
日本海と太平洋が繋がる 海の道だった
それが再び くっついて
山が盛り上がって 島は一つになった
伊豆半島も もともとは
フィリピン海プレートにあった島が
本州にドッキングして出来たもの
その衝突によって 箱根や富士山の山が
盛り上がって出来た
それはまるで
インド亜大陸が ユーラシア大陸にドッキングして
ヒマラヤ山脈 エベレストができたのと
同じシナリオで
日本が世界の雛型であるのは
ただ形が似ているだけでなく
大陸や島が出来た 歴史まで
そっくりなのには 驚かされる
日本のフォッサマグナにあたる場所が
中東にもあるはずで
中東から石油が産出されるのは
パンゲア大陸の時代に 海だったから
海洋生物の死骸が たくさん蓄積されているせいだとか
ヒマラヤの北 中央アジア
チベット ウイグル
アフガニスタン タジキスタン
日本で長野に当たる周辺には
フォッサマグナのようなエリアが あるのかもしれない
そういえば ムー大陸の存在は
チベットにある書から 出てきた説だった
チベットには 古代の秘密が 隠されていても
不思議ではない場所
諏訪の界が解けたとき この島は
四国から解放されるかもしれないけれど
そのとき フォッサマグナがどうなるのか
日本列島が どうなるのか
わからない
なんとなく ずっと気になっているのは
日本が東西に分かれるイメージ
それは 中国の極東マップだったり
��Fの漫画だったりに 描かれていて
そして 隆起して 巨大化した地盤のイメージまで
描いているものもある
フォッサマグナが隆起したら
南北アルプス山脈の 数千メートル級の山々は
そそり立つ壁となって
東西を分けるだろう
プレート境界の隆起は 実際に起きていて
オーストラリアの プレート境界で起きた隆起は
スマトラ島の地震があった近く
もしかしたら 東北の地震によって
列島のどこか 列島のプレート境界が
隆起してもおかしくないわけで
それはユーラシアプレートと 北米プレートの境界である
フォッサマグナであっても おかしくはない
諏訪の解が解ける時 日本の解が解ける
そんなことも知らないで
阿波の末裔たちを追って
手を出した 諏訪の結界(笑
導いたのは 静かに眠っていた
古代の巨石文明だった
石の響きが プレートを調べていたときのような
大きなエネルギーを発していて
私はその渦に ワクワクしながら
巻きこまれていった
そこに旅行しているわけでもない
ただ写真を見て 地図で探して 歴史を学んでいると
ときには 実際にそこに行った以上に
その土地の本質に触れることができるのかもしれない
そう想っていたけれど
明らかに それ以上の興奮 懐かしいエネルギーが
私を襲ってきたように想えた
ぽつぽつと記事を書くのは 書きながらチャネリングしていて
諏訪結界を発見した 最後の方で
パラレルワールドの存在を 確信したのは
時空を超えて 存在していなければ
現在の私が 遠くにいる私が
そこに張られた作為に 気づきようもなく
何かそこにありながら そこにない存在と
時間の干渉を受けずに 留まったままでいる何かと
アクセスしているような感じだったから
その何かは 御射山遺跡にあった巨石文明で
写真で見たのとは別の
けれどその場所だと知っている光景が
頭の中に 何度も浮かぶようになった
あの場の記憶 あの時代の記憶は
彼らが崇めた 巨石に刻まれて
その世界へアクセスする チャンネルとなっていたのかもしれない
巨石が レコーダーのように 情報をエネルギーを
記憶していて 記憶量は その大きさに 比例している
巨石が称えられたのは 大きければ大きいほど
大きな図書館のように その時代を丸ごと
記録しているから
もしかしたら今の時代は 太古の時代よりも
跡形もなく消え去って パラレルワールドとして存在することも
なくなるかもしれない
巨石に語りかけるものはなく 私たちの歴史の記憶は
全て紙や磁気媒体に残されて
それはとてももろい物だから
縄文遺跡の 巨石文明の向こうにある
パラレルワールドに
実際に人が存在しているのかまで よくわからない
でも確かに 縄文時代の時空は 存在していて
その時代のエネルギーが どこかの次元に今でも
存在しているから その次元 その世界が
再びこの世界に 姿を現すことができる
神社の社 建物の形が エネルギーを曲げる形を組んでいる
そう気づいたのは
これまで見た夢の中で 夢に現れるものの形が
夢の世界のシーンを移動する
きっかけになっていることを 知ったからで
つまり 夢の中で行われていることは
現実にも 行われていて
そしてそれは 古い時代のものほど
私たちの夢の中と 近い構造をしていたりする
私たちは そこから作られてきたのだから
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