最近のスピ系の流行は
自然の声が聞こえる 動物の声が聞こえる
そんな 原始信仰の姿を借りた
古代の宗教によく似ている
山の神の声 木の精の声
それらは
ご神体 ご神木に
集められた想念によって 聞こえてくる声
ならば それは
ご神体 ご神木に
結界を張った しめ縄を張った
血筋であるということ
自分の言葉で書くかわりに 御神託のように書けば
想念が反応しやすい
神の代わりに 自然という力の
虎の威を借りた
これまでの宗教の手口と 変わらない
ふと 疑問に想ったのは
木の精の言葉が 聞こえるという人の
その言葉遣いが 女性であったこと
ん・・・・・?
子供の時に 樹木の側にいくと
なんとなく 樹木の気持ちが
わかるようなことがあった
悲しそう 寂しそう
楽しそう 嬉しそう
多分 樹木が媒体となって
自分の気持ちを 映し出していたのかもしれないけど
無邪気な子供だった私は
樹木の側にいると
とても複雑な感情を 想起させられたから
その世界にはまってしまうと
二度と現実の社会に 戻れないような気がして
自分でその声を 封印した覚えがある
あえて聞かないように
自然の中に行くことに 関心を向けないようにした
まあ結局 自分の予感は
当たっていたんだけれど (^ ^;)
今は樹木の側に行っても
子供の時ほど ピュアに
何かが伝わってくることはない
私にとって 樹木は 男性で
それは 山も同じ
だから 樹木の精が 女性の声をしているのは
本当かなと想う
樹木と一緒に居る 妖精の声なのかな
妖精だったら それはもう
別の想念体の声のような気がしないでもない
声が聞こえたりはしないけれど
山は私にとって男性で 樹木も男性だから
山の中 森の中へ入ると
男の人の腕に抱かれているような
父の懐にいたような
温かい気持ちになる
海や湖 広がる大地は
女性のイメージで
母に包まれているような 気持ちになる
川は どちらかというと 男性のイメージで
川の神は多分 男の人のような
千と千尋のハクも
川の神
湖が女性のイメージなのは
川の水を 注がれるからかもしれない
金の斧 銀の斧
川に落とした木こりの斧を 拾う神様の話
イソップの寓話は
ヘルメスという 男性神
この話が 童話となって 広がって行くと
池や泉で 落とした話になって
神様は 女性になっていく
池や泉 湖や沼は 女性のイメージ
水を溜めているのは 女性だから
大地が 土が女性なのは
種を育むからかもしれない
そこから上に高くそびえる木は
男性のようにしか想えない
大きな木と ずっと一緒にいたこともあるけど
女性のように感じたことはない
御柱祭で 木を切り倒し
母なる海へ 出港する
船のようにして 繰り出すのも
その船に 男衆が
名誉をかけて しがみつくのも
木の象徴するものが イメージが
男性の強さ たくましさだから
そこから女性の声が聞こえるとは
到底想えない
そういえば 昔聞いた話では
海の男たち 船員だったり 漁師だったり
海で死ぬのが 怖くないという
母なる海 女の腕に抱かれるようなもの
海で死ねるなら 本望さ
だから船乗りたちは 海を愛して
海に出る
冷たい海で 孤独に死んでいくなんて
そう想っていた私は
男の人は 本当に心から 海に女性を見ているんだな
感じているんだなと 想った覚えがある
石や岩は 男性だったり 女性だったり
小石は 子供 赤子のイメージ
丸くて小さいほど 幼児のようにみえてくる
地球も 私にとっては
女性 たくさんの水を 湛えているから
火星が地球を好きなのも
よくわかる
ペニオクで 芸能人がやったことは
広告でやっていることと 大して違わないのに
たくさんの想念が 騙されたと想ったのは
ブログという 私的な場所で
ファンが集ってくる場所で
想念を引きつける 嘘を付いたから
たとえスポンサーから お金をもらっていなくても
同じように想われたはず
ネットの世界は 嘘八百の世界だけれど
見てくれる人がいなければ
海の藻屑と 消えてしまう
読んでくれる人を 騙すのは
応援してくれる人 信者を騙すのと同じ
宗教と同じ
芸能界で起こることは
様々な現象として 波及していくから
ペニオクの詐欺が 裁かれたのは
これから ネット上で ブログの嘘がばれていく
たとえお金を稼いでいなくても 想念を集めるために 嘘をついていたら
海の生き物が 毛を剥ぎに行く
そんな兆候なのかもしれない
水のあわに ならないといいね
ラテン系の言語では、男性名詞女性名詞など
物の名前に男性や女性という概念を加えて
活用の仕方を分けている
私たちの原初の感覚が残っているのかもしれない
水玉模様→水の泡→水の阿波/安房
四国房総への警告シグナルかも
ああ
金の斧銀の斧の話は
最後に木こりが
鉄の斧を自分の斧だと言ったから
金銀鉄すべての斧を手に入れることができた
鉄は全てを引き寄せるから
そして嘘つき木こりが
金の斧を自分のものといったとき
自分の斧さえも失うことになったのは
金にはなんの力もないことを
意味しているのかもしれない
だって後からやって来た木こりも同じようにすれば
金銀両方全ての斧が手に入ったはず
金の斧だけ自分のものだと言うことはないのに
本当は金に力なんてないのに
昔からその輝きに目が眩んで
人は罠にはまっていたんだね
水の神がすべての斧を与えたのは
鉄の斧を返さなかったのは
自然にとって金属は
どれも等しく価値のあるものだから
嘘つきは水の神が許さない
木こりはむしろ賢かったのかもしれない
金や銀の斧では木は倒せない
木こりは愛用の鉄の斧をただ返して欲しかっただけかもしれない
金の斧
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