2015年2月4日水曜日

勾玉魂



勾玉の画像をいくつも見ていると
陰陽のマークっぽいけども
だんだん霊魂の形に見えてきた


第三の目というより霊魂なのかなあれは
あの形は
火の玉みたいだもんね


勾玉をアクセサリーにして身に付けていた古代人は
死者の霊魂を護りとし
それが魔除けになっていたのね


今よりも死が身近だったんだろうな・・・
身近というのは死と隣り合わせという意味ではなくて
寺や教会が一括管理して引き離すようなことをしない
宗教の介在がなかったから
霊魂を身にまとうというファッションが生まれたんだと想う
死者の魂が身近にいるのが当たり前だったから


勾玉はスピリッツ


死者が身近であれば死後の世界も恐ろしくないし
必要以上に死を恐れることもない
生と死は身近にあって  死んでお終いというわけじゃない
死んでも終わらないなら  悪いこともできないし
生をもっと大事にできる

生と死を隔てる結界はなく  その壁が薄ければ
想いも情報も降りてくる  それが生きている者の護りとなり
死者の想いも叶えられる


天国も地獄も  死後の世界を囲う檻
ここではないどこかへと魂を連れて行って
死者を生者から引き離してしまう


たとえ天国へ行けるとしても
親しい者と離れたくないと人は想うはず
一緒に居られることが一番の供養なのに
引き離すことが一番残酷




勾玉は多分ね  私の読みだと
寺や教会で魂を管理されている今の社会だと
持っていても効果が薄い気がする


私のイメージだと
勾玉は死者が肉体を離れて自由になったとき
自分の繋がりのある親しい人のそばに行って
その人が身に付けている勾玉に入りやすいんだと想う


フワフワ漂っている火の玉のような魂が
勾玉のような石に入る

勾玉は霊魂が宿る石という風習があれば
死後その記憶によって魂が勾玉に入りやすい

勾玉が古代の文化で魂を意味する記号ならば
潜在意識は記号の世界  記号によって動かされるから
意識体となった魂もそれに従う


私たちの古代の記憶はそれを覚えているかもしれないけど
寺や教会の宗教で流布されている
イメージ(記号)の方が強いよね
そうなると勾玉の効力よりも
十字架や数珠の方が強いでしょうね


数珠は魂を鎖のように繋げていると以前書いたけど
人魂を形にしたような勾玉の方が
自由な気がする


勾玉は古墳からたくさん発掘されているように
古墳時代まではポピュラーだったのに
ある時代から突然その文化が消えてしまった

調べてみると仏教伝来の時期に勾玉の文化が途絶えている
聖徳太子がその境らしい
勾玉が数珠に代わったと考えればその理由もわかりやすい


寺が魂を管理するために
勾玉の印が邪魔だったのではないかと想う



勾玉の歴史

















群馬県渋川市の展示施設から
縄文のペンダントが盗まれる事件がありました


縄文のペンダント盗難か 群馬・渋川 1/22

縄文の翡翠



一番右の緑がまだ残っている大珠が私好みで
当時はもっと色鮮やかで
きれいなペンダントだったんだろうなと想います



石は持ち主を選ぶってよくいいますよね
盗難にあったというネガティブな事件も
石の意志で移動したなら
そこから出たかったのかもね
そこに居たくなかったのね














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