2015年2月19日木曜日

まぼろし~! その1



洞窟壁画は我々の偉大なる先祖が麻薬でヨタって描いていたことが判明
洞窟絵にはどこか現実離れした、この世のものとも思えぬサイケデリックな躍動感がありますが、それもそのはず…ドラッグでトリップして見える絵そっくりなことが東大の調べで明らかになりました。


洞窟絵1

     

東 京大学池上高志教授と池上ラボで去年までポスドクだったトム・フローズさん(現メキシコ国立自治大学研究員)、現ポスドクのアレクサンダー・ウッドワード さんが6月に発表した論文(こちら)によりますと、4万年を超える歳月の間に残された壁画をつぶさに調べてゆくと、そこに看過できないパターンがあるのだ そうな。

ぐるぐる巻きのラビリンスのような模様。これが何千マイルも離れた場所で多発生的に残ってるのは単なる偶然ではなく、現代人が麻薬の幻覚症状の実験で見る模様そのものだったのです。原始人の共通点は想像以上というか、みんなハイになるのが好きだったんですね。

原始文明における麻薬使用に関する既存の調査では、精神活性作用をもつ様々な植物を大量摂取すると脳内に化学反応が起こり、脳の細胞構造によく似た「神経パターン」が見えることがわかっています。これが俗に言う「チューリング不安定性(拡散に誘導された不安定性)」で、例えばこんなかたち。これが洞窟絵そっくりんこなんざますよ。


神経パターン


S・ワンダーのアルバムジャケとか

キー・オブ・ライフキー・オブ・ライフ
(2012/09/19)
スティーヴィー・ワンダー


キース・ヘリングとか

キースへリング
ヘリング


アボリジニのドットペインティングとか

アボリジナル・アート
aboriginal_dot.jpg



火炎土器ナスカ
縄文土器やナスカの地上絵にも同じようなパターンが・・・(引用外の追記)


研 究論文では、たぶん麻薬とかでスピリチュアルな境地に至る儀式に参加していたのではないか、とあります。ドラッグでハイになったときの絵は普通の絵とは別 格に扱われた。そして時と場所を超えて何度も繰り返し描かれた。「変性意識状態でこの種の視覚パターンが見えると、人はそれをあたかも重要な意味を帯びて るもののように体で直に感じる。つまり何か意味あるものとして直に受け止める、だから儀式で使うモチーフとして突出したのではないか」というんですね。

幻覚誘引ドラッグが初期洞窟絵と無関係じゃなさそうだという話は今回が初めてではありませんが、ここまで科学的に厳密なのは初めて。

2011年にも「6000年前のスペインの洞窟絵はマジックマッシュルームの幻覚そのものだ」という科学論文が発表になってちょっとした話題になりました。サハラ砂漠の岩絵からも同様の仮説が導き出されており、例えばタッシリの岩絵にはキノコを持って走る人たちや全身にキノコを生やした化身の姿も残っています。

今 回の研究はしかし、太古の岩絵を既存の幻覚症状の研究に結びつけるだけじゃなく、そういうドラッグ摂取で活性化される脳の部位に幻覚を結びつけてマッピン グしているところがポイントで、それが科学的と言われる所以です。発見のベースがニューロ・フェノメノロジー(神経現象学)の基礎概念なのですね。ニュー ロ・フェノメノロジーとは脳の働きと人の体験の相関関係の学問のことです。1万年前の人の脳内まではスキャンできないけど、1万年前の人の頭から出た像と 現代人が幻覚状態で描くアートの類似点を探すことはできるというわけですね。



この説に対し
麻薬ではなく栄養不足(ビタミン不足)から
幻覚を見やすい脳になっていたという説



君もシャーマンになれるシリーズ30 ~古代人は「幻覚」をみていた~
ビ タミンC不足に陥ってドーパミン過多となった始原人類の未発達の脳が幻覚を見やすい状態であったことに加えて、飢餓や外敵などによる危機が常態化した環境 において、生命の危機に際して様々な神経伝達物質が放出されて幻覚を見る脳の特徴から、始原人類の脳が幻覚をみていた可能性が高いと考えます。

壁画から想像すると、観念を持たない始原人類の見る幻覚は、仲間の姿であったり、自然に生きるありがたい動物であったり、自然の造形であったりしたことでしょう。それらは、恐怖や苦痛を和らげるものであったでしょうし、希望や活力や充足に基づくものであったことでしょう。そうでなければ、幻覚を見ることが進化的に適応的だったとはいえません。幻覚を見ることが種として適応的であったからこそ、人類が今まで生き残ってこれたのです。ドーパミンには脳を覚醒させ、集中力を高め、ストレスの解消や楽しさ・心地よさといった感情を生み出す働きがあります。そのことも極限状態の人類には必要かつ適応的だったと考えられます。




神という観念がなかったら
神の姿もみないし  
宇宙人も幻覚では現れないということね



古代人のビタミン不足から幻覚を見ていたという
夢のない話はオカルト的に受け付けたくないので

逆に幻覚を見ていた脳は
それに適した発達の仕方をしていて
ビタミンもさほど必要なかったと考えてみる

つまり栄養摂取をそんなにしなくても
生きていられる身体だったと

ビタミンの代わりに
見えないエネルギーを取り込んでいたから
幻覚は彼らがそのエネルギーを受け取っていた証



まあタッシリのキノコ姿の絵とか
絶対やってただろって想いますねw

恍惚になって幻覚が見えて
それを絵や形にして残したいというのは
昔も今も変わらないんでしょうね



原始時代は食糧がなかったとか
そのために短命だったとか
食糧獲得のために進化したとか
そういう前提で語られることが多いけど


本当に食糧なかったのかしら?


たとえば原発のせいで
人間の手の入らなくなった福島が
いまや動物たちの楽園になってて
植物が生い茂って
たくさんの動物たちが走り回ってるんですよね


人がいない方が動物も植物も増えていく


だから古代は栄養不足とか食糧に困ってたとか
本当かしらと



動物が人間を怖がって離れていくのも
長い歴史の結果であって

人も動物と対して変わらない生活をしていた時代は
敵だと認識されない時代は
動物も結構近くに暮らしていたとも想う

そうなればたまに食べられてもらうことも
そんなに難しい話とは想わない
食べられることもあるだろうけどw



田舎で暮らせばわかるけど
米や畑の作物って
ものすごい量の収穫なのね

それで食べきれなくてご近所さんにお裾分けする

岐阜から上京した知り合いは都会に出て来るまで
野菜をお金出して買うものだと知らなかったとか


農耕じゃなくてもね
木の実とか森や大地が生み出すものって
とにかく大量に生み出される


たった一粒の種から  無数の実が成るし
たった一株の植物が  無数の種を飛ばす


植物の繁殖力って桁違いで
現代の管理された食糧事情からは想像しにくいけど
本当は食糧なんてタダで手に入るほど
自然の繁殖力というのは旺盛なもの


縄文時代の西日本なんて
もののけ姫の森状態で
人が暮らせないほど森が深かった

自然を弱らせてるのって人間の文明なわけで
人を飢えさせているのも文明ともいえる・・・




食糧が高騰したり
人口が増えると食べ物に困るなんて
あれ嘘ですよ


私たちは食糧を口にするのと同じくらい
廃棄しているわけで

食糧生産者や流通のために
食事をするのにお金がかかってるけど
本当は食べることに困るってないはずなんですよ
自然の中にいたら  
人間社会の強力な結界がなかったらね


飢えは人の世の結界の中で起きることであり
自然の中にいたら飢えはないと想うのです
個体数の変動は全体の維持のためにあると想うけど
飢えとはちょっと違うと想う


一度でも植物や野菜を育てたことがある人なら
自然の作物がどれだけ旺盛な繁殖力を持っているか
知っているはずで


人口が増えて食糧がなくなる
人口削減というのは
エリート層の都合のいい洗脳でしかない


だって私が子供の時も
将来人口が増えすぎて日本に食糧難
食糧危機が来るって言われてたって
私の母が言ってましたからね
それでなるべく子供たちに
たくさん食べさせるようにしたってw



植物のライフのエネルギーに比べたら
人間が消化するエネルギー量なんて
比べものにならないほどちっぽけなものだと
想うのですよ
本来はね
















3 コメント:

水晶さん、記事とは直接の関係がない事ですが

昼寝から起きる時「さる女」を調べてごらん、と
誰かに言われました。
少し調べて見たけど、巫女はこの事みたい。
郡山市も私の住まいと一緒。
水晶さんならどうみますか?
偶然?因縁?分からない事ばかりです。
 
英国のウィリアム王子が28日郡山へ 被災地視察の一環で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150218-00010004-minyu-l07

探しているっぽいですね。
 
別の関連記事となりますが
>太陽と同一化したと感じたときには、自分が意識を強く張り詰めると太陽が強く輝き、それを弱めると輝きが弱まるということをはっきり

自分は太陽凝視をやってますがこの状態ってチャクラ(胸)が開いてる状態と閉じた状態。胸のチャクラが閉じてると眩しくて体が緊張し、開いてると眩しくありません。
また、頭パッカーン(別記事)って頭頂部のチャクラが開いたときにも言ったりするようです。要するに瞑想などによりチャクラが開いた状態とドラッグによる恍惚状態は似ているのでしょう。自分の場合、太陽凝視やってると脳内麻薬出まくりで多幸感マックス状態ですから(チャクラが開いているのが前提ではありますが…)。太古の人々は太陽をよく見ていただろうし(卑弥呼は日巫女ともいうしね)瞑想や太陽凝視で恍惚状態に至れない場合に麻を使ったのでは。また、太陽を見てると食べなくてもお腹が減らないといいます。
いずれにしても変性意識状態で潜在意識や集合意識に繋がることが目的だったのではと思いました。

…もし太陽凝視は事前によく調べてから自己責任で…
 

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