15日に 歴史的な大雪
山梨を陸の孤島にした大雪が
週明けに 晴れた日差しでようやく
道を歩けるくらいに 車が通れるくらいに
溶けてきた
まるでなにかの傷跡みたいに
町中に うず高く積まれた大雪の残骸
まだ 苦しめられている人がいる
あれっ?
私だけだろうか
まるで霧が晴れたみたいに
想念の層が 消えている
今まで見えない世界で 細かく張られていた蜘蛛の巣が
週末の大雪で 霧が晴れたように
消えて行った
雪と一緒に 流れていった
これが南極の雪の力かぁ
すごいな
見えない蜘蛛の巣の糸は 見えない世界で
人を雁字搦めにしている
見えないからわからない
みんな気づかないけど
見えない糸は からめ捕られている体に
重く圧し掛かってて 自由を奪っていた
気づいているのは 見えていたのは
蜘蛛の巣を張った人たち
雪がお空に張られていた糸を流して
まるで もやがかかった くもり空が
生まれて初めて 晴れたよう
頭の上が軽い
少し目もよく見えるようになったかもしれない
結界が消えれば 人の視力は
回復する気がする
今までよりも よく見えるようになる気がする
あの大雪は確かに 南極の雪を
運んできたのかもしれない
大雪が週末に続くのは 終末だからかもしれない
富士山の麓 山梨や 静岡に
雪崩のような雪が降ったのは
まるで富士が 雪を噴火したみたい
韓国で建物崩壊、9人死亡 数十人が生き埋めか
��日の千葉の大雪の余波かもしれない
日本人女性5人救助、2人の捜索続く…バリ島沖
南極との間 中継地インドネシアで
5人の日本の海女が遭難
もしかして南極にも異変が・・・?
南極観測船「しらせ」が座礁 60年で初、船底壊れ浸水
と想ったらこんな事件が
やっぱり大雪は南極からのエネルギーだった
60年で初・・・
最近他の国の観測船も南極で座礁しているのは
なにかあるんだろうか
クリーム色の車両復活 東武東上線100年で3月末から
東武鉄道は、5月1日に東武東上線が開業100周年を迎えるのを記念して、1985年ごろまで同線を走っていたクリーム色の車両を復活させる。3月末から4両編成で、小川町―寄居間と越生線の坂戸―越生間を運行する予定。当時使われていたのと同じ「8000系」に、セイジクリームと呼ばれる明るいクリーム色の塗装を施し、かつての姿を再現する。
関東の120年の結界が解けたとき
東武東上線が 100周年を迎える
小川町―寄居間を走る 100年前の列車
寄居には 埼玉県立川の博物館があって
昨年の終わり 皇太子が訪れた
北緯36度の怪
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/01/674.html
荒川の付け替え 江戸の川の結界について知ると
なぜ皇太子が 熊谷寄居の訪問に 二日もかけたのか
なぜ寄居に 昭和天皇が植樹したのか
なぜ寄居に 川の博物館ができたのか
結びつくように みえてくる
ここは江戸の結界を護る 重要な拠点で
川を護る 古い血筋が 多く住むエリア
そして 昨年末 大晦日の
熊谷の 荒川の河川敷で起きた 殺人事件
被害者は 吉見在住
この事件の大きさが
強く迫ってくる
犯人逮捕の続報も聞かない 儀式殺人
川の結界を 護るため
犯人はきっと この地域に住む 川の護り人
恐らく 東松山 小川町の隣町
ときがわ町で殺害された
宮崎勤の事件の 真犯人も
同じ血筋のような気がする
北関東の謎
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/11/608.html
南極の雪が 関東にやって来て
埼玉の空に 青い馬が駆け抜けた後
東上線の 100周年のニュースが流れてきた
夢の中で 青い馬は
東上線の線路の上を 走っていた
荒川の付け替え地域を走らせる
東上線の100年前の列車は
崩れようとしている結界を 鉄の力で
補強しようとしているのかな
クリーム色の電車は 1984年の
付け替えの時代が始まる頃
有楽町線の乗り入れとともに 新しい電車へ交代した
100年前の 1900年頃 明治大正時代と
あまちゃんのドラマの時代 子年の結界が始まった
30年前の 1984年頃
二つの時代の層が 同時進行で
重なり合いながら 巻戻っていて
30年前の電車が祝う 東武東上線の100周年は
想念が取り返しを求めて 追跡調査を開始して
付け替えの時代を 割り出そうとしているのかもしれない
埼玉県立川の博物館
1997年(平成9年)8月1日開館
古いものではなくて15年くらい前に出来た
2000年代が来る前の川の結界補強
展望塔・・・冬になると谷川連峰・赤城山・男体山を眺めることもできる。
赤城山は大宮氷川神社の御神体
氷川神社―荒川―赤城山
寄居町
荒川は秩父山地に発して寄居で関東平野に注ぐ。寄居から山よりは外秩父と上武山地に挟まれた渓谷となっている。このため、古くから地の利を生かした要害であった。現在でも国道140号・国道254号及びJR八高線・東武東上線・秩父鉄道が接続する交通の要衝地となっている。
ここら辺は比企郡の町村
なぜ比企郡というのだろう?
比企郡の町
小川町(おがわまち)
川島町(かわじままち)
ときがわ町(ときがわまち)
滑川町(なめがわまち)
鳩山町(はとやままち)
吉見町(よしみまち)
嵐山町(らんざんまち)
鳩山町を除く6町は東松山市・秩父郡東秩父村とともに「比企広域市町村圏組合」(比企圏域)を構成する。
川島町も比企郡だったのか・・・
ここら辺全部昔比企族という鎌倉幕府の御家人
藤原秀郷の末裔が治めていたらしい
ただこの人も本当に藤原氏かどうか怪しいらしい
嵐山といえば京都だし
ときがわは都幾川と書く
嵐山の地名は京都の嵐山に風景が似ているからとか
川の名前が多い
比企の比は 比売 日比谷の比
この字が現れる所 水のコードがある所
比企の企は 企てる 企み 企業
水のコードの企み
川の付け替えにふさわしい名
こんなド田舎が血統の町だったなんて
みなさんが好きな?シマムラも
小川町の企業なのですよ
最近はアニメの舞台になった
吉見というのもオカルトですよねぇ
吉(魂)を見る町・・・
吉見百穴という古墳時代の珍しい洞窟があります
熊谷の方 荒川沿いにも鹿島古墳群
宮塚古墳がある
鹿島古墳群は100基以上もあって
この地域は古墳だらけらしい
この地域の豪族の古墳みたいだけど
力を誇示する巨大古墳と違って
まるでお椀のような小山の古墳はかわいらしくて
好感が持てる
林の中にある古墳からは
今にも人が出てきそう
荒川周辺は古墳が多い
北武蔵・比企地方の渡来文化
埼玉県の比企地方は、今でこそ東京や埼玉新都心といわれる埼玉の中心地から離れているが、古墳時代から奈良・平安時代にかけて、北武蔵の中心地であったと想定される歴史をもっている。
今の東松山市をはじめ、吉見百穴のある吉見町、京都の嵐山になぞらえた武蔵嵐山(らんざん)、和紙の故郷小川町など古くからの街が発展している。そのなかで、見過ごされがちなのが、比企丘陵北側から荒川流域に広がる数々の古代文化の遺跡である。
古代文明が河川を発祥とするように
秩父山地から比企丘陵へ荒川利根川が流れ込む比企地方は
隣の熊谷や行田と同じく
古代の豪族が集っていたようだ
秩父熊谷周辺の豪雪は
この地域の結界に対する反動だろうか
前橋 軽井沢 甲府 河口湖
赤城山 浅間山 八ヶ岳 富士山
山の麓で豪雪被害
大雪は結界を壊しにやってくる
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