利根川の東遷事業は 江戸の結界そのものだから
結界が崩れるとき 利根川の水の流れが
東京湾に戻ろうとすると想う
土木の風景 利根川(4)
1947年(昭和22年)9月16日、利根川決壊の直前に、渡良瀬川が川辺村(現:北川辺町)付近で決壊し、新川通に流れ下り、利根川本川の濁流と相まって、利根川堤防を決壊させ、埼玉県東部の低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、東京都東部低地(葛飾区、足立区、江戸川区)までも浸水しました。
河川は、力ずくで人工的に流れを変えても、元の流れに戻りたがると云われています。
川の流れは 断層や地質の変化 地脈の流れを
追っている
水は低きを流れるから 付け替えて
流れを変えても
一番低い所を求めて 流れて行くはず
どんなに堤防を高くしても
低い所を探して 流れて行こうとする水の
川の流れを 止められるものじゃない
だって水は 地下深く 低い所へ
流れて行くのだから
人間の目線で 堤防を高くしても
堤防を壊して 決壊するときはすでに
同じだけ深く それ以上に深く 地中をえぐっていて
濁流が 高い堤防を乗り越えて 壊しているように見えて
実は 地下から 堤防を根こそぎえぐっているから
揺るがしているから
堤防は決壊する
縄文海進は 縄文の岬
岬の魂 さきたまを目指して やってくる
江戸の結界は 東京の封印は
縄文の甦りによって 海の力に破られる
さいたまへ 海の気を 届けるために
利根川を 不自然に付け替え
まるでフタを閉めるように 日比谷入り江を埋め立て
江戸城を築き 河口を塞いだ
江戸結界は
東京湾の富を 江戸が独占して
利根川を通じて 埼玉へと上る
海の風 海の気を 塞いだ
縄文の気 さいたまの気を付け替える
それが 弥生人の末裔の仕業
江戸結界は所詮 さいたまを封じ込めたようなもので
ベットタウンとして 他の県よりも
埼玉が東京に隷属しているのは
気を奪われているのは
江戸結界がそういう風に 張られているから
縄文海進は 海の魚たちのために
さいたまを目指して さいたまに海を届けるために
さいたまを解放しに やってくる
海の時代がくれば 海の気は
陸を襲う
海の魚の餌場を潰した 埋立地は
魚の餌を 魚が受け取るべき富を
ずっと奪ってきて 自分たちの富に換えてたから
海の時代が来たら お魚に復讐されるよ
埋立地を好んだのは 主に鳥使いたち
それは東京だけでなく 大阪も変わらない
羽田空港が 関空が 中部国際空港が
海の上にあるのは
鳥たちが 海の上に印を付けて
魚のエサ場を奪っていたから
海の魚の 運ぶ力も 付け替えていたから
魚は鳥の欺瞞を 許さないよ
ずっとお魚たちから エサを奪ってきたんだから
食べ物の怨みは 恐ろしいよ
さいたまの森が 木が伐採されていたのは
東京に 江戸結界に 捧げるためかもしれない
まるで燃え上がる炎に 木をくべるように
東京の赤い炎を 絶やさないために
海を失ったさいたまの 森を支える想念が抜けたから
さいたまから森が 林が 消えて行った
おいしいごはんが食べたいと願う
東京湾にやって来た 海の魚たちの願いが
さいたまに 届かなくなって
それが湾岸の者たちの富に
川を付け替えた者たちの富に
鳥使いたちに
魚の願いが 付け替えられて
彼らはとても大きな 富を手にしてきた
川の付け替えは 富の付け替えの始まり
海の魚たちはきっと さいたまに
失われた森を届けに やってくる
川の魚たちの 海の魚たちの エサを育てる
深い森を
利根川東遷概史
江戸以前の利根川は前橋付近で平野部へはいり、渡良瀬川と合流して南へ下り、さらに荒川(元荒川)とも合流して現在の隅田川、中川、江戸川を流末として東京湾に流れ込んでいました。
現在の利根川は茨城との県境の埼玉県幸手市や千葉県野田市を通っているけど元々はもっと西側の埼玉県内を走っていて春日部や越谷を流れていた
江戸時代以前 本来の川の流れ
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