2012年9月20日木曜日

やったことはばれる

いくつかの夢を見ていて


その中でも強烈におぞましい夢もあって  (- -;;)


その夢をキャンセルするために   寝起きの布団の中でボーっとしてたら


突然あるイメージが出てきた





私の近所のある地域に


二階建ての建物が   中で二つに分かれていて


二世帯が住む   テラスハウスと呼ばれる集合住宅地があった


そこはすぐ裏に   団地の高い建物に囲まれていて


夢の中で


テラスハウスの上に   無数のハンド(手)が見えて


厄をポイポイしていた




見えるのは手だけで   それが誰のものか


どこから来たのかわからない






西芦屋テラス(兵庫県芦屋市)



テラスハウスの地域は、よく考えてみたら四方を団地や学校に囲まれた出口のないような場所だった。
ただその地域は広かったので、閉塞感はなく、テラスハウスと言うように敷地内に隣戸との境を作る壁も門扉もなく、どことなくアメリカのように開放的なイメージさえあった。私にはちょっとした憧れもあった。

だけど、随分前に、昔に、そんな明るいイメージがあったテラスハウスに、そこに住む男の子が部屋で首を吊って亡くなったという話を聞いた。
そしてまた、数年前に、障害を持つ兄を持つ弟が父が亡くなった後、交通事故に遭って亡くなったと聞いた。まだ若いのに一家の家計を支えねばならず、仕事の帰り、酔った足取りで、車の前に飛び出したらしい。辛かったのだろう、耐えられなかったんだろうと母は話していた。残された母は、大そう悲しんでいたらしい。


夢の中ではテラスハウスの住人が、互いにポイポイし合っているのかと想ったけれど、背後の団地が壁のようにそそり立っていて、もしかしたらそこは、団地の厄が階下のテラスハウスにポイポイされているのかもしれないと想った。団地のベランダはちょうど揃いも揃ってテラスハウスに面していた。

アメリカ映画で、上の階の住人が外にゴミを捨てたりするシーンを見たことがある。引っ越しの際、部屋から外に要らないものを捨てていたり。私の知り合いも東北から出てきたばかりのとき、二階の住人が捨てるゴミに悩まされたと言っていた。つまり、上の階に住む住人は、どこかそういう無頓着さを階下に対して持つのかもしれない。

現実でもそういう感覚があるなら、無意識の世界でも同じことが起きていると考えても不思議ではない。むしろ無意識の世界でそういう行いをしているから、それが現実でも形となって現れる。現象化すると考えた方が自然だ。

テラスハウスの不幸は、その地域が四方八方全部を団地や学校で囲まれていたことかもしれない。それはもうまるでゴミ箱のように、出て行く場所がない。多分風水で住む場所を占う時、四方を高い建物で囲まれたような場所は、よいとされない気がするし、風水が重要なのは、とても当たるのは、気の流れが住人の厄払いと大きく関係するからかもしれない。

その地域が凹んだゴミ箱となってしまえば、底辺にされてしまった同じテラスハウスに住む住人同士のポイポイも激しくなる。出口はないのだから。

住む場所には気を付けたいものだ。新興住宅地は、家を買うにも借りるにも公団の分譲や公団住宅の入居の権限は抽選で、全部お役所が握っている。手に入れるだけでも大変で「役所の人間には一番いい情報が行く」と母は忌々しそうに言っていた。

自然の恩恵を考えたら、大地に近い1階に住むのが一番いいはず。人間は地面に近いほど心も安定するし、長生きするというデータも出ている(高い所に居ると、自然と心拍数が上がるらしい)。それでも高い所に人が住みたがるのは、建物が立ち並ぶ街では低い階層は厄を押し付けられやすいということを無意識に感じているのかもしれない。


市営甲子園九番町住宅(兵庫県西宮市)


50’s テラスハウスコレクション
上の写真はこちらからお借りしました。こちらのサイトは50年代の古いものが多いのですが、私の近所はもっと新しい時代のものでした。玄関前や周辺に緑が多かったのは一緒で、緑が擁壁の代わりとなって周囲との緩衝材の役目を果たしている。この緑が結構重要で、引用したサイトさんも、理想は「建蔽率≦緑地」だと言っています。 

古い時代のものほど、長屋のように見える。狭い軒先にも緑が育っている。


阿佐ヶ谷住宅

懐かしい風景を想いだす。こんな風に緑が多い低層住宅は生活環境としてはむしろ恵まれている。

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