2012年9月19日水曜日

形に宿る想念

上野周辺




最後にかなり電波なことを   想ったので書いておくと


夢で見たエリアは


上野を基点として   浅草   浅草寺まで広く


秋葉原に向けて   先細りしている形だった



隅田川と神田川にぶつかる地点を結んだようにも見えるけど


地図を見ながら夢を想い出してみると


上が膨らみ   下が先細るその形は


南米大陸のようで   そして想い出すのは


以前夢に見た   ナンの形をした雲のことで


不思議に想って   ナンについて調べてみた



ナンの奇妙な形は


象の鼻を表したものだとか   インド大陸を表したものだとか


諸説あるけど


恐らくタンドールという縦長の窯に張り付ける時


やけどしないように  丸めた濡れたタオルの上に生地を置くので


伸びた生地が下に下がって


あの奇妙な形になるのではないかという説が有力だ



もともとナンは   北インドだけで食べられていた宮廷料理で


窯を必要とするので   家庭料理でもなく


またあの形で店に出すのは なぜか日本だけらしく


その理由はわかっていなくて


来日したインド人もびっくり!らしい




北インドといえば   ブッダの生まれた地


その地の宮廷料理だったということは


日本だけで食べられている   あの独特の形は


その時代の食べ方を   わりと忠実に継承しているともいえる


仏教発祥の地であるインドは   今ではヒンドゥー教や


イスラム教が多勢を占め


仏教が西へ伝来して発展したことを考えると


仏教がインドから消えたように


ナンの食べ方も  インドではなく   日本で広まったのは


ナンのあの奇妙な形は


仏教の想念が   強く表れているせいのように想えてくる




インドではナンよりも   フライパンで焼ける


丸いチャパティーの方が一般的で


多分ほとんどの人が   ナンというものを知らない


味はやはり   ナンの方が贅沢で


もちもちしていて   美味しくて


焼いた後もバターを塗ったりオイルを塗ったりするので


それがやはり   高級料理だった所以だと想う




私はあの形を夢で見たせいで


しかもそこには   墨で書かれた呪いのような   


写経のような文字があって


あの形には何かしらの意味があるような気がして


アフリカ大陸   南米大陸   インド大陸


似た形をしていて


これが人の潜在意識に   何かしら訴えるものがあるんじゃないかと


想っていたけど


むしろ


日本にだけ残って   伝わっている


北インド由来の宮廷料理の食べ方は


まるで日本に   仏教の呪いが強くかけられている


釈迦の想念の


証のせいかもしれないと想い始めていて


浅草のあの地域に


同じ形をした夢を見たのは


あの地域に  浅草寺を中心として


釈迦の想念が乗っているような気もするのだ





ナン


ナンを食べないインド人!?
ナンのあの形の謎
ナンのレシピではなく、チャパティのレシピ


浅草寺wiki
『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。

本尊の聖観音像については、現在の埼玉県飯能市岩淵にある岩井堂観音に安置されていたものが大水で流されたという伝承がある。



浅草寺HP
・・・広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。

鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。


推古天皇の時代からある都内最古の寺院で、鎌倉時代から支配者の後ろ盾となって、江戸東京の繁栄の牽引役となっていたようだ。ここが、この周辺エリアが、東京の『ネジ』のような場所に映る。


ところで埼玉県飯能市岩淵の観音像が流れ着いたという伝承について、wikiでは

浅草寺創建より100年程前に、岩井堂観音に安置されていた観音像が大雨によって増水した成木川に堂ごと流され、行方不明になったという伝承が残されており、この観音像が成木川から入間川、荒川を経由して隅田川に流れ着いたと伝承されている。下流にて尊像発見の報を聞いた人々が返還を求めたが、かなわなかったという伝承も残っている


埼玉県飯能市岩淵の岩井堂観音


これをズズッと縮小すると成木川沿いであることがわかり、さらに大きな地図で見ると狭山市に繋がり、それがこの前紹介した記事の入間川-荒川ラインに繋がることがわかる。隅田川は荒川から分かれている。

成木川というのは、地図を見ると入間川の源流になっているのがわかる。つまり、ここにあった仏像が川の流れで浅草まで運ばれ、そこで開祖することで結界が張られたのかもしれない。仏像を返さなかったのは、付け替えの始まりともいえる。

この前見た夢と多少なりともリンクしているので少し興奮している   (゜ロ゜;) ヒョオォォ!
こうやって地脈水脈が霊脈となって、やがて結界が作られていくんだなあ・・・。


ちなみに雷門は松下幸之助の寄進によるものであることは有名。あの会社の発展とここのエネルギーは密接な関係があるかも。現在パナ(だけじゃないけどね)がかつてない苦境に陥っているのは何を意味するのか。繋がりはどんな流れになって行くのだろう。

先日負傷して長期離脱を余儀なくされた芸人さんの代わりに仕事が3割増しになったというとある芸人さんは、最近浅草に引っ越していたことがわかった→内さま#142   なにかジンクスでもあるんだろうか。




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