尼崎の気色の悪い連続殺人事件が 次々と暴かれている
似たような事件が 昔北九州であったのを
想い出す
そんな中
AYAさんのブログ 古代から続く支配の手口を読むと
そのオカルト的考察の秀逸さに
惚れ惚れしてしまう
AYAさんの豊富な古代史の知識を基にした視点は
現代の闇に 古代からの光を差し込み
そこにくっきりと ある真実を浮かび上がらせる
本当はもっと何か知っているのだろうか
それともあえて言わないのだろうか
その解説は どこか遠回りしているようにも見えることもあって
私には 解説よりも視点の方が わかりやすい
邪馬台国って 大和国と読めるじゃん
それぐらいの知識しかなかった私だから
その二つの国の関係を書いた記事は
この国の支配の根深さを思い知らされて
衝撃的だった
ヤマトタケルよりももっと昔
アマテラスとスサノオの神話の時代から
それは始まっていた
アマテラスとスサノオの話は
いろんな解釈があって
どれも随分美化されているけど
それが卑弥呼とその弟についての話と置き換えれば
こんなにわかりやすいものはない
古事記が書かれたのは 8世紀くらいで
日本の成り立ちを書いた歴史書としては
あまりにも遅すぎるし
事実をありのままに書かずに 神話にしているのは
それは事実が とてもありのままに書けるものではないからだ
それをスピ系の解説では
アマテラスの話を 新しい時代の幕開けの話だったり
何かとても神秘的なものに しようとしているけれど
私たちが知りたいのは そんなことじゃない
日本の始まりに 一体何があったのか
ただそれだけ
卑弥呼とその弟の話を アマテラスとスサノオの話に物語化したのは
そこに原初の禍根を残しているからだ
AYAさんはさらに突っ込んだ妄想をしていて
尼崎の事件の被告たちに
卑弥呼とその弟の存在があることを 象徴的に見ていて
さらっと書いているけれど こんなに恐ろしいことはない
つまりこの猟奇的な事件が
いくつもの家族の財産を奪い 服を剥ぎ 隷属させ 死に至らしめ 離散させた
この事件が
あの当時
国レベルで行われていたことを 示唆している
だからこそ 北九州で 尼崎で
かつて邪馬台国 大和朝廷があった地で
それを彷彿とさせるような事件が
現代で再び 起こっているのだ
尼崎の事件は
沖縄や四国
いろんな所で 事故自殺と見せかけて
殺人を行ったり 遺体を遺棄している
それらの場所も
もしかしたら古代からの因縁がある場所
そう想いを馳せてみるのも
失われた生命
怨霊さんたちへの 癒しになるかもしれない
この事件は 首謀者たちの異常さがクローズアップされているけれども
事件の概要を読めば読むほど
この事件の本当の異常性は
被害者や近隣住民の訴え 不審死などがあるのにも関わらず
兵庫 香川など 3か所の警察署が 25年に渡って
決して動こうともしなかったことだ
しかも事件発覚後も 怠惰極まりなく
複数の人間が監禁され亡くなっているのに
逮捕後一年経って ようやく家宅捜索が行われ
最近になって世間を賑わしている
この事件の特徴は
主犯の女は 自ら手を汚そうとはせず
手下の弟たちにやらせていたり
恐怖を植え付け 互いの信頼関係を失わせ
さらに洗脳によって 自分の手下にさせ
被害者を加害者に育て上げる手口
こうした支配 洗脳は
監禁という閉鎖された空間だからこそ
できることで
逆に言えば 囲われた空間に落とし込めば
囲ってしまえば
いつの時代でも どんな所でも
支配は可能となってしまう
このやり方を見ていると
多分 AYAさんの言うとおり
本当に嫌な妄想なんだけど
卑弥呼もこうやって 原住民を従わせ
邪馬台国を築き上げて行ったんじゃないかと想う
自らは巫女として崇められ 決して手を汚さない
けれど巫女として 龍穴を塞ぎ 龍脈を抑え
結界を作る 君臨する
この国がアマテラスを最高神として崇めるのは
この国の始まりが 結界作りによって生まれたからで
それを行った卑弥呼が 実は太陽神アマテラスのモデルだとしたら
この国は本当は
龍脈を塞ぎ結界を作った巫女を
夷締めの主犯人を 崇めていることになり
だから延々と 古代から
イジメが無くなることはないのかもしれない
なぜアマテラスの側に スサノオが居たのか
なぜスサノオという存在が 登場したのか
それはこの国の始まりを 暴力性失くして語ることは
どうしても不可能だったから
警察が微動だに動こうともしなかったのも
潜在的にこの事件が
彼らの支配を仄めかすものだったから?
そしてこれは私の 得意のwオカルト妄想だけど
この事件の首謀者は 恐らく
潜在的に そういう場所
警察がそういう支配を行っている場所
古代の為政者の支配が 強く残る場所を嗅ぎ付けて
古代の為政者の支配があった場所を選んで
事件を起こしている気がする
警察が被害者の味方にならないような地域
事件の発覚が遅れる場所を選んだから
この事件は25年も表沙汰になることはなかった
事件発覚後も 重い腰をようやく上げたのは
世間が騒ぎだしたからで なぜこれほどまでに嫌々なのかというと
この事件の首謀者たちと 警察が
潜在的に同じ仲間 同じ血 同じ支配の構造を
しているからで
この事件を暴くことは その地の警察にとっては
自分の身内にメスを入れるようなものかもしれない
大阪府警によって 事件が発覚したのは
もう大阪の結界が 綻び始めているせいで
最近通り魔や 奇妙な事件が多いことも
物語っている
ちなみに 卑弥呼の後継者である台与は トヨと読み
これは トヨ族を想わせる
そしてトヨ族とは どうやら
フン族のことのようで
ただ日本に来た年代が よくわからない
日本に来たかどうかさえも 明らかになっていない
豊という字は 九州では ブンとも読み
豊後(ブンゴ) 豊前(ブゼン)の国というのが
大分県の昔の呼び名で 今も残る
フンというのが ブンと呼ばれ
それが訓読みで トヨと呼ばれたり
いろいろ変化した軌跡が
日本各地の地名から 辿ることができるようだ
筑豊だとか 北九州には 豊という字が多い
大分の 分は まさしく フン なわけで
大分というのは 大きなフンの地
だから大分
豊という字よりも明らかに
ここが上陸した フン族の拠点だったとしても
全く不思議じゃない
そして お隣の佐賀は さか だったんじゃないだろうか
大阪の前に ここに最初の 坂 が出来たのかもしれない
だから大阪は 大の字が 後から付けられた?
なんとなく 大という字が頭に付くのは
元となる言葉がすでにあることを示していて
さらに大きな野心 広がりや新しさをもたせるために
付けられるような気がする
日本が 大日本帝国と謳い始めて
世界に進出して行ったように
大きなフンが 大分になって
フン族が大陸から さらに日本に勢力を拡大したように
佐賀のさかが 大阪になって
この地にあった種族の勢力が 本州へと向かったのかもしれない
九州は 大陸からの入り口だから
ここに多くの原点が探せるだろう
豊だったり 分だったり 佐賀だったり
それが訓読みされたり 当て字や違う読み方をされるにつれて
上陸や侵略の形跡は消え
この地に浸透して行ったのが 見えてくる
フン族の凶暴性と
それに類似した地名を持つ場所が
邪馬台国のあったとされる 北九州周辺にあり
そこで起きる現代の猟奇的事件 古代におけるその支配の面影
そしてその君主の後継者の名が
トヨ(台与)
いろいろ繋がって見えてくる気がするのは
私だけだろうか
AYAさんの記事より
邪馬台国と大和国?
地名から古代史に切り込む。文献のない古代においてはもはや地名が歴史を物語る。
イ(夷)ジメがなくならない豊国のウソ
美しい泥棒(笑 ・・・知っている人は知っているんですね。
マドモアゼル愛 『安倍が総裁に就任』
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