現在でも 箱根は
日本の東西を結ぶ 大動脈
東海新幹線や 東名高速を
その北と南に従えて
まるで腫物に触るかのように 陸の交通は
箱根山を迂回して 通っている
飛行機や船という手段があっても
この地域が
北方へ迂回するルートはあっても
東西の陸の流通の 要であることは
日本の地形が変わらない限り
有史以前から 変わっていない
古代の侵略者にとっても
ここは恐らく 伊豆箱根の険しい山並みは
壁のように立ちはだかっていた
天城越え
という名曲も 名作も 有名で
『天城越え』のテレビドラマを 昔偶然見たのを覚えている
そして 311の2か月前に 再放送されて
なぜかそれもまた 偶々観ることになって
普段 ドラマをほとんど観ない私が
松本清張にも 伊豆にも 特に興味のない私が
同じドラマを二度も見るハメになったとき
さすがに観たというより観させられた感じがして
解せない気持ちが強く残った
遊女や流れ者の土方が ストーリーのキーになっていて
当時の私にとって面白いものではなかった
それがなんとなく フィリピン海プレート上にある 伊豆箱根が気になり出してから
この話を 想い出した
少年犯罪をテーマにしているけど
ドラマの中で 呆け者の土方は 少年に殺され
遊女は 罪を着せられる
それは全て少年が招いたことなのに
少年は中年になって 初めて自分の罪を知る
私はなんとなく 少年時代の罪としながらも
遊女や流れ者という キーワードが引っかかって
何か別のものが描かれているような
予感がした
今 原作の方を調べてみたら
私の違和感が はっきりと表現されていて
私は『天城越え』の正体を 改めて知った
天城越え/松本清張の読書感想文
・・・(2)に関しては、「私」は記録を読んではじめて、大塚ハナが「修善寺の売春婦」であることを知っていたくらいです。事件後、刑事が一度、家に事情を聴きに来ただけで、「少年」は事件のことにまったく関係していないようでした。
・・・原作は30数年たった現在の「私」の「いまの衝撃」を、覚めた視線で浮き彫りにしていたことが印象に残りました。また、浮き彫りにされていたのが、「良心の呵責」や「罪の意識」ではなかったことも心に残りました。おそらく、現在の「私」は、「刑事捜査参考資料」を読むまでは、土木作業員殺しのことはすっかり忘れていたのだと思います。女の素性を30数年後に初めて知っていたくらいですから、「良心の呵責」や「罪の意識」はある時点で消えて、裁判の行方にも関心はなかったのだろうと思います。
なので、原作「天城越え」で描かれていたのは、「いまの衝撃」だと思いました。また、よく考えてみると、「いまの衝撃」とは、あいまいな言葉だと思いました。40代後半から50歳ほどの「私」は、何に衝撃を受けたのか。自分が人を殺したということなのか、現在の田島老刑事がそれを知っているということなのか、人を殺した人間が何の罪にも問われずに今このように生きていることに対してなのか。・・・ 原作「天城越え」は、読み終えて、「私」という人間に対する疑問ばかりが浮かびました。
少年時代の淡い恋による
若気の至りが 一生消えることはない
どこかロマンチックな ドラマの作りとは全く違い
原作には そこにはっきりと
征服者の魂の影を 見ることができる
罪を犯した者が その罪をずっと背負って生きている
そんなことは全くない
この少年のように 人間は 獣のように
人を殺すことができる
そしてきれいに 忘れてしまうことができる
それは例え子供でも いや子供だからこそ?
遊女や流れ者の土方といった 弱きものの人生を狂わした男が
終生全く その罪を償うことなく
人生を謳歌していた
そして その罪が明らかになったとき
訪れたのは 良心の呵責でもなんでもなく
ただ 自分が罪を犯していたという衝撃だった
これが 征服者たちの実体
その魂たちの 本心のように聞こえる
そしてこの衝撃は恐らく これから現実に生きる彼らに
やって来るだろう
原作には 少年の動機の一つに
大男の土方に
「 他国の恐ろしさを象徴して感じていたのであった 」
と 中年となった少年に語らせている
きっと征服者たちは この地に住む原住民を
もしかしたら 別の渡来人たちに対して
こんな恐れを感じたのかもしれない
少年と 彼を守り遊女を虐げた警察と
遊女や流れ者の土方という 報われない者たち
作者はさらりと 現代における
征服者と被征服者の存在を その魂の行方を
炙り出している
たとえ子供であろうと どんな理由があろうと
征服者の魂は 生まれ変わって宿っている
そして彼らが罪を自覚することは きっとない
このストーリーは この作品に宿ったものは
厳しい山間が続く 伊豆半島の地で
古代の因縁が かつて繰り広げられた戦い
封印され忘却の彼方に消えた罪が
書かせたのかもしれない
そんなことを ふと想うのだ
この地で多分 同じようなことがあった
遊女たちは 虐げられ
男たちは 殺された
そんな気がするのは
このドラマを観た違和感が 311直前に
まるで私の記憶に 押し留めようとするかのように
訴えてくる何かが 伝えたがっているように
想えるから
陸に高い山々を頂き
海にせり出した半島は きっと
西から東への覇権にかけて
かなりの激戦地になった気がする
言い伝え 神話 伝承
何も知らないし 存在しているのかもわからないけれど
地図を見れば 伊豆半島が
富士山箱根の頂きを冠に 伊豆諸島が点在する
太平洋沖のターミナルとして
海の戦いにおいても 陸の戦いにおいても
海の民にとっても 山の民にとっても
東西を繋ぐ要所として
互いの交易を通して 栄えていただろうとというのが
よくわかる
温暖で 温泉も湧き
海の幸に恵まれ
魚や イルカまで食べれるほど
高低差のある山々は 動物たちが多く棲み
きっと狩りにも事欠かない
海の民も 山の民も
何もしなくても 温泉に入りながら
穏やかに暮らすことが出来た
そんな地だったかもしれない
少しずつ 土地に沁みこんだ古代の記憶が 魂が
現代の創作物を通して 様々な出来事を通して
表現されているのが わかり出してきた
忘れさせられていた記憶が 夢が
現実に表れ始めて 少しずつ
想い出しはじめる
彼らの声が 聞こえ始める
作品は 様々な記憶を辿って 忘れられた記憶を写し出している
作品は決して 個人の力だけでは作れない
そこには見えない魂からの メッセージが
役柄と 演者との縁が 見え始める
イメージと現実が重なり合う時
同じ魂が宿っているのが 透けて見える
彼らの正体が暴かれていく
映画版を観たことはない。今まで3度映像化されているが、誰が作っても名作になる不思議な作品。
原作と違い少年が決して悪者にならないように同情的に作られている。
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