2015年5月17日日曜日

三つ重ねた 2



その実体がほとんど   わかっていない


ホログラムのようにも見える


だってそこには   光と熱しかないから


それはまるで   大衆が支配者たちの実像を


その支配力の大きさの割には


ほとんど知らされていないのと同じ


力があるという幻想が   本当に力を与えていない?


その力はもしかしたら


私たちの所にあったものかもしれないのに







太陽系図鑑
太陽系



一週間は7日


太陽から土星まで   地球から目に見える


七つの惑星


太陽はSunday   日曜日


七番目の星で


6%は   Sundayまでの   6つの曜日


昔は土曜日までが   労働日で


休日は日曜だけだった


それはまるで   日曜という休日を得るために


他の曜日を   労働に捧げているようにみえる


日曜という   たった一日の休日を手に入れるために


日曜のために   他の曜日が労働日になる



それは王様を支えるための   階級制度や


日曜という休日のために   六つの曜日が


労働に捧げられる   暦の仕組み


太陽を支える   6%のエネルギーの仕組みと


同じシステムのような気がする






cern.jpg



三つの6


6を司れば   自分は七番目の王になれる


6は渦のような形をしていて   また


三つ重ねれば


扇風機の翼のようでもある




扇風機



6が三つ集まればは   扇風機のように回転する


エネルギーが生まれる


そのエネルギーは   七番目の下へ


流れて行く






カバラの数秘術で、666の謎を解く
【神社紋】
八幡神社、八坂神社等の神社紋として用いられている左三つ巴紋
これを鏡に映してみると、右三つ巴紋となって「666」が浮かび上がってきます!

右三つ巴紋

日本の神社のご神体に鏡が使われているのは
「鏡にすべてを映してみなさい。そこに真実の姿が現れる」
ということを意味しており、正に左三つ巴紋は典型的な例ですね。






6を三つ重ねた   三重


それを司る   7の   七古屋


古の   七番目の   古き家


七を護る家






県外出身でも「地元」を元気に。サラリーマンとの二足わらじ「みんなでつくる自然史博物館・香川」事務局長の三浦大樹さん
生まれ育った場所を離れ、進学、就職する人はどれほどいるのだろうか? きっと少なくないはずだ。「地元」とは今住んでいる場所なのか、出身地なのか、育った場所なのか。
三浦大樹さんは「ナチュラリストネットワーク・香川」の中心メンバーとして活動しているが、出身は愛知県だ。大学進学のときに四国を訪れ、現在は香川で暮らしている。




吉野川や那賀など
地名が被るものが多いから
阿波と紀伊は民族のルーツが近い
同じなのかなと想っていたけど

古代紀伊半島は出雲や丹生族など
古代出雲文化圏の豪族がいたり
紀伊を勢力範囲とする名草戸畔の
その末裔と自称する小野田家の伝承では
九州の宮崎から来ていたり
古代史を探っても阿波と紀伊の繋がりは
あんまり見えてこない


あんなに近いのにね


一方で昔から抱いていた微かな疑惑
愛媛と愛知  愛が付くのはこの二県だけとか
私の昔の愛知出身の友達が
四国やオーストラリアに強い縁があって
しかも当時ヒロスエ(高知)にそっくりと言われてて

他にも尾張の蜂須賀家が阿波の大名になったり
かねてから尾張と阿波や四国に
支配者レベルの強い縁がある気がするのよね


だからこういう記事を見ると
ああまたかと想う
そこが魂のルーツなんじゃないのって
だから大学進学や就職先に選んだり
地域貢献するのも不思議じゃない




黒い太陽
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2012/11/291.html
ヒ○スエを見ていたら「パルティア」という言葉が浮かんだ。
パルティアwiki
紀元前、紀元後200年にイランイラク周辺にあった王朝。彼女には中東系の香がする




考えてみたら
中東ってちょうど尾張ら辺と対応する
中東から来た民族が阿波にやって来て
更に名古屋周辺の尾張にも
散らばってもおかしくない



憶測だけど
古代の紀伊半島で阿波との繋がりが
あんまり見えてこないのは
私の調査不足のせいもあるかもしれないけど
もしかしたらいつの頃からか
紀伊半島に別の強い部族が住み着くように
なったのかもしれないね


それが小野田家のような
宮崎からやって来た一族
南方からやって来たポリネシア系なのかもしれない
後の楠木とか橘氏とか?よくわからない


小野田氏の話では
もともといた先住民族を熊野の山の方に追いやって
小野田家の祖先が宮崎から紀伊に移住したらしい


その先住民族が阿波と同族かもしれない
天狗のような一族
後の八咫烏の一族


これが後に神武側に回って
名草戸畔のような南方系ポリネシア系の民族に
復讐したんだろうと小野田氏は考えている
昔土地を取られた怨みだろうという


そしてこの阿波と同根かもしれない
紀伊の一族に
多分「井光/井氷鹿(いひか)」という
吉野の一族が居て
この神社やご由緒を辿ると
東征や東遷で神武を迎えた話が出て来る


井光神社(いかり)
祭神の井氷鹿(いひか)は、吉野首の祖とされ、 『日本書紀』では、神武天皇が宇陀から吉野へ巡幸時、人が居て井戸の中から出てきた。その人は体が光って尾尾があった。 天皇は「お前は何者か」と問うと「国津神、名は井光」と名乗ったと言う。


井氷鹿(いひか)の井戸
祭神は、国津神の井氷鹿(古事記では井光)で、彼は神武天皇が八咫烏の案内で熊野から大台山を通って、この辺りへ来た時、「古皇(ふるつこ)」「血ノ池」「布穴(ぬのあな)」等と呼ばれる光り輝く奧ノ宮の井戸の様な大きな窪みから出現した尾のある神である。
 
【井光(いかり)に伝わる神武天皇の東遷経路】
・・・その井の中より尾のある人が姿を現したものだから伊波礼毘古(神武)は驚いてそなたは何者かと聞きました。すると、私は国津神で、名前は井氷鹿(古事記では井光)ですと云いました。それからの山道を案内して土地神谷をすぎて休み石に腰をかけた後、御船山の尾根にある拝殿にて波々迦(ははか)の木を燃やし鹿の骨をもって卦(け)を立てて占った上、御船の滝巖上に宮柱を立て天乃羽羽屋を納め進み行く旅の勝利を祈願した後、宇陀を通って橿原へ行かれた。




八咫烏だけじゃなく
熊野には神武をアシストする部族が
複数いたんですね


当時の紀伊半島は古くからいて
熊野に追いやられた阿波系?先住民と
紀伊や串本町辺りの沿岸部を占領していた
長脛彦や名草戸畔丹敷戸畔反乱軍の
相反する勢力があって

神武は反乱軍が強い
紀伊水道沖からは上陸できず
紀伊半島における部族間の不和を利用して?
遠く南端から潜入して山の中に入り
八咫烏や井光族の案内で
熊野から吉野~橿原へと辿りつけたのかな



ちなみに串本町の串も
櫛名田姫のクシだし
腰に串を刺された縄文の女神の暗示がある

丹敷戸畔のことかな。。。


井戸の「井」が付く名字は
基本的に阿波系列じゃないかと想う
井上とかはポピュラーすぎなんで
ちょっと違う

というか井上は「井戸の上」だから
厳密に言うと井戸の外ですよね

これは井戸の一族ではないという
意味もあるかもしれませんよ?
他の「井」の一族のカムフラージュとか



井戸を作る技術って
水の少ない地域からやって来た気がするんですね

中東のような枯れた地域
山岳地帯とか


日本みたいに川が多くて
水資源が豊富な所は
井戸を作る労力が無駄のような・・・


水の側に住めばいいわけだし



それでも井戸を造るのは
地脈水脈に杭を打つような
集合意識へのアクセスポイントみたいな
結界用の呪術的な臭いがしちゃいますね


各地の弘法大師の伝説には
よく井戸を掘った話が出て来るんですけど
この人は鉱脈筋を探し歩いた人ですし


多分井戸掘りの技術は
鉱脈探しに利用されたんじゃないかと想います



同じ鉱脈筋を求める丹生族とかは
記紀で完全スルーされたり
丹敷戸畔名草戸畔長脛連合軍などが
容赦なく反乱軍として記されているのに対し
井光神は八咫烏同様好意的に描かれている





神武東征における阿多・葛城との関わり
神武東征で、河内国から侵入を試みたが、先住民の抵抗に遭い紀伊・熊野に迂回して紀伊から大和に攻め入る事にしたと「記紀」に記されている。その中に、吉野を進軍する途中、吉野の三部族と出会ったとあり

阿陀の鵜養(うかい)の祖 【贄持(にえもつ)の子】
吉野の首(おびと)等の祖 【井氷鹿(いひか)】
吉野の国巣(くず)の祖 【石押分(いわおしわく)の子】

阿陀の鵜養とは文字通り、鵜を飼い慣らし、漁業をする海人阿多隼人のことと推測できる。


井氷鹿とは「井光(いひか)」のことであり、井が光るというわからない記述だが、「井」と聞けば我々は「水の井戸」を連想するが、本来「井」とは、丹をとるための「丹井」や首や手足の枷(かせ)、器を作るための範型のことでもあった。井戸の中から出てきた人が光っていたのは、光る物質が体に附着していたからだと思われ、その物質とは・・・「自然水銀」ではなかっただろうか?自然水銀は常温で液体となる「唯一の鉱物」である。産地として有名なのが、北海道の「イトムカ水銀鉱山」で「イトムカ」とは、アイヌ語で、「光り輝く水」のことである。「尾のある人」とは、水銀採掘の人の命綱に自然水銀が附着し、人も綱も光っていたのを、「尾があり、光っていた」と見えた。私はそう想像しているのである。

吉野の葛と聞いて、クズのイメージは、どうしようもないもの、不必要なもの、いらないもの、というところか。裏を返せば、神武サイドからみて、厄介なもの、関わりたくない、気にそぐわないもの、という見方もできる。それが「葛城」だったということなのである。葛城と神武のかかわりは、別の機会にでも・・・

さらに重要なのは、阿多(あた)と水銀と葛(くず)の関わりである。国巣(くず)は葛城氏、阿陀は八咫烏、井氷鹿とは「水銀採掘」を生業とする部族名ではないのか?八咫烏の足が三本なのは、このことに由来するのではないのか?













4 コメント:

大丈夫ですよ~
といってもこれまでの地震の中でも結構震源寄りでした・・・(-_-;)

前の日の夕方に南の方から変な雲がたくさん出ているのを見ました
311の後連日東京が揺れいてた頃と同じ雲がたくさん出ていたので
心の準備?が出来ていたのかもしれませんね(笑


なんか急にブログ書く気がなくなっちゃって
書いても上げる気がしない
私の調子もいいので余計・・・(*^_^*)

地震が来ているせいでしょうか?
もう一回くらいあるかもしれませんね。
わかりませんけど。


ドラゴンボールは天下一武道会ぐらいまでしかわからないですね(笑
私はそれまでのストーリーの方が好きだったのに、あの牧歌的な雰囲気がなくなってどんどん暴力的になってから興味なくなりました。
でもそうなってからの方がぐんぐん人気が上がったんですよね。
作者の鳥山明氏もその頃ぐらいまでで終わらせたかったのに、編集が終わらせなかったんですよね
それまでの作風からしたら、まるで別の作家が描いているような作品になりました
アラレちゃんとか、鳥山氏はもともとイラストになるようなスタイリッシュな絵を描く人なんですよ。
ちょっとアメコミっぽくて、それがすごいセンスよくて、それまでそんな絵を描く漫画家はいなかったから、天才だなと想いました。
今のONEPIECEが少し似てるかな。劣化版という感じですが。

ドラゴンボールも天下一武道会まではそんな感じだったけど、バトルシーンで悟空がムキムキに変化してから画風が変わって、普通の絵になってしまった。ダサくなったんですよね。
私が作者だったらすごい嫌だと想います。実際嫌だったみたいですね。
 
ドラゴンボール終了のタイミング
yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-1068.html

絵のことも含めてこの上のurlを見ると面白いかも?
 
忘れてた!
なんでナメック星の事を唐突に上げたかというと、水晶さんのブログの過去記事を見ていて、ああそういえばナメック星の空の色がピンクというか紫というかそんないろだったような・・・みたいなことを思い出したからなんです。あとナメック星人の肌色が緑色ということや、太陽に相当する恒星が3つあって夜がないということ、ナメック星人の過去の経歴がアトランティス人っぽいところが引っ掛かったのでコメントしました。
一番伝えたいことを忘れてどうするんだ私は(汗)


でも実際に画像検索してみると空の色が緑色なんですよね・・・。目に優しいですけどね。
DBアニメのナメック星のシーンで一瞬紫またはピンク色の空になったシーンを覚えているのか、それとも他のシーンとごちゃまぜにしてうろ覚えしていたのかわかりませんが・・・。
 
>ナメック星人の過去の経歴がアトランティス人っぽいところが引っ掛かったのでコメントしました。

そうなんですか。太陽が三つもあったら緑色じゃないと大変かもしれないですね。
そういえばピッコロ大魔王とか緑色の肌してますね。

西洋では悪者を緑色に描く習性があるらしいですが、太陽光線=権力を跳ね返すシールドがあるという意味かもしれませんね。
太陽が三つもあるのは、アトランティスが水晶でエネルギーを集めていた記憶かもしれないですね

ナメック星ってナメクジから進化したような星人がいる星ですよね
ナメクジはナウシカの世界でも巨大化した粘菌類が腐海の森に登場していました
何かあるんでしょうね
 

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