2015年5月29日金曜日

飛鳥とウサギ 2



Mellow Aromatherapy Studio
飛鳥時代595年、淡路島の浜辺に大きな香木が流れ着きました。
それを見つけた島人が薪と一緒に燃やしたところ、ものすごく良い香りがしたので、この木(沈香=ジンチョウゲ科の常緑高木)を宮廷に献上した。

それが、日本書紀に記載されている日本の香の始まり。
奈良時代では、宗教的な用途
平安時代では、貴族の遊び
現代では、暮らしの楽しみの1つになっています。
そして、香木のブレンドは、五感をフルに刺激する香りこそ、極上とされるそうです。



日本の香りの歴史
<飛鳥時代>
538年   仏教の伝来
595年   淡路島に香木が漂着
604年   聖徳太子・十七条の憲法
607年   法隆寺建立

日本最古の歴史書「日本書紀」や聖徳太子の一生をまとめた「聖徳太子伝暦」に、このようなお話が記されています。

 「推古天皇3年(595年)春、土佐の沖合いに毎夜、雷鳴と大きな光が現れます。それから30日を過ぎた頃、淡路島の岸辺に2メートル以上もの大木が漂着するのでした。島民がそれを薪としてかまどにくべたところ、なんともいえず高貴な香りが立ち上り、驚き朝廷に献上します。
 この不思議な大木をご覧になった聖徳太子は、すぐさま「これこそ沈水香というものなり」と大いに喜び、この香木で仏像を刻み吉野の寺に安置するのですが、それはときおり光を放ったとわれます。」

 この記述は、日本に香木が伝来したことを伝える最初の記録といわれています。 そもそも“香木”を産するのは主に東南アジアの熱帯雨林地域の国々で、日本では生育することができないものでした。
 香木の原木はジンチョウゲ科の常緑喬木で、傷つくなどの何らかの要因によってその部分に菌が寄生し、さらに樹脂が分泌・沈着していきます。
そして時間が経過し熟成された結果、大変に貴重な香木が誕生するのです。
 香木は分泌された樹脂の重みによって比重がかさむため、その昔よく木が枯れてたおれ水中に沈んだ状態で発見されました。
 そのために“沈む香木”“沈香”と呼ばれるようになったのです。

 淡路島に漂着した香木は、嵐に合って難破した南方船の積荷のひとつだったかもしれません。
 仏教の伝来と共に儀式に用いる香の知識を得ていた聖徳太子は、この漂着を神が与えた瑞兆ととらえ、その後さらに仏教の普及に力を注いでいくことになります。





「飛鳥時代 淡路島」で検索すると
沈香の話ばかり出て来るのですよ


どうも飛鳥時代の淡路島で起きた
仏教伝来とその国教化に関する
重要な逸話のようで
香り関係のサイトがたくさん出て来る



この伝説を斜めに解釈してみると
日本では生産できない東南アジア産の香木が
淡路島に漂着したのは
木材だけ流れ着いたはずもなく

この時期に東南アジアからの移民がやって来た
タイやフィリピン  マレーシアインドネシアとか
ポリネシア系?の移民が淡路島にやって来た

彼らが持って来た木材に香木があって
聖徳太子はこの木に仏像を彫らせて
吉野の寺に安置する

この吉野は阿波の吉野の気がするんだけども
だって淡路島は奈良より阿波に近いからね


この事件の9年後に聖徳太子は
日本で初めての憲法を発令する
本格的に中央集権化が始まる



現代でも東南アジアからフィリピーナのような
白兎というよりも黒兎な遊女たちが
体で稼ぎにやって来ているように

淡路島にやって来た東南アジアの民族たちの中には
そうやって暮らしていた人たちも多かったかもしれない


阿波の眉山の近くにある弁天山は
遊女システムの始まりというから
ここら辺で香木と一緒に女たちと
それを使って寺を支えるシステムが
成立したのかもしれない


伊勢神宮周辺も売春島があるように
寺を支える遊女のシステムも
淡路島と徳島市の沿岸で生まれたのかも


つまりお伊勢参りにしても仏教にしても
それを普及させていくには
女が必要だったのね
繋げていく女たちが

女を使って  性によって快楽と共に
刷り込んで行ったのかもね・・・



つまりまあ・・・
寺が売春宿だったかもしれないということです

そこでアイテムやイメージ  音などで
快楽や睡眠を通して
仏教のイメージを刷り込んでいったのかなあと


遊女の元締めになって
体を繋ぐ場を提供するだけで
売春宿のオーナーでいるだけで
自動的に洗脳と普及が出来たのかも


東南アジアの女の力を借りて
仏教は普及して行った気がする



だってさあ・・・
いきなり余所から得体の知れない宗教がやって来て
それ信じろって言われて信じるヤツなんかいる~?

平和に暮らしていて
海の幸山の幸に恵まれた生活をしていたら
わざわざ面倒な宗教に入信したりはしないよね・・・



新興宗教に走る信者のように
問題を抱えている人が宗教に嵌りやすいから

当時仏教に帰依した人たちはきっと
なんらかの問題を抱えていた人が多かった

それは多分東征のような征服で
大量の怨念を生んでしまって
その死霊や生霊に悩まされていたのかもしれない


日本の仏教の布教や神道の国教化は
それらの怨霊対策の国家事業として
確立された面もある


何度も都を造り変えたり
大仏を建てたりしてね
伊勢神宮の式年遷宮や
出雲大社とかも


もともと恵まれた土壌の日本列島で
統一後に飢饉が蔓延したりしたのは
征服者に対する激しい怨みが
中央集権後も何度も大和を襲っていて
皇族が変死したり病気や祟りで
統一してはみたものの
それを維持するのにいかに苦労したか
記紀とか歴史にも書かれているよね



この国の発展は
西洋が錬金術で科学が発展したように
怨霊対策で生まれた治水や灌漑技術
都市作りや宗教の国教化
言霊による呪符だった和歌など

あらゆる原住民や敵対部族を抑え込む
様々な結界術が国の基盤になって
文化が発展したように想う


そして被征服民を抑えるには
女を使って快楽で骨抜きにするのが
一番効果的だったのかも


男たちを故郷から引き離して奴隷にする
都の建設や鉱山労働などの苦役に従事させ
寺で女をあてがう


今の都市生活者の原型かな・・・w


重労働の最中
寺で女を接待されれば
まるでそこは極楽だよね。。。
救済されたかのように想うよね・・・
まさに泥の中に咲く蓮の花


そこでこの国独特の寺の文化が生まれたのかも


なんとなく
寺が墓を管理するようになったのも
寺の女が奴隷たちと縁を繋いだから
死者をそこに弔った
それが始まりのような気もするけど


旧家とか敷地内に墓があったりするし
集落によって弔い方法は様々だから
死後を墓で寺に管理されるって
無縁者が始まりだったかもしれない
それは寺に囲われた女たち自身も・・・




香木は遊女のメタファーにも取れる
風俗に勤めさせることを
「風呂に沈める」と言われますが
水に沈む香木が  沈香と呼ばれるのと
被りますしね。。。



世界のウサギの品種は48種で
伊豆大島の48人の世界を繋ぐ女たち
その女たちは伊豆大島が雛型となる
フィリピンや台湾から来たはず

そんなことを伊豆大島研究で書いたけれど
うさぎの国がある淡路島こそ
この考察が当てはまるのかもしれない・・・


東南アジアから来た世界を繋ぐ
48人の女のコードが淡路島にある

四十八手のウサギたち



少しずつ情報が漏れて来ているね
















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