2015年4月23日木曜日

お姉さんの歌 3



ちなみに櫛名田姫



櫛名田姫



愛子様にそっくりでのけぞった



大和撫子七変化
余談ながら、大和撫子はクシナダヒメ(クシイナダヒメ)のことでもある。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と記す。クシナダはアシナヅチ(足摩椎)とテナヅチ(手摩椎)の娘。父が足を撫でさすって慈しみ、母が手を撫でさすって育んだ子だったことからのナデシコ(撫子)だった。

クシナダはスサノオとの間にオオクニヌシを生んだ。さいたま市緑区宮本に武蔵一宮氷川女體神社があり、八重垣の宮のあった島根県松江市に八重垣神社、佐賀県神埼市に櫛田宮がある。そのほか全国の氷川神社八坂神社に祀られている。




ああ  なんと


櫛名田姫は氷川女体神社
主祭神だった・・・


そして氷川神社の御祭神でもある


しかも氷川神社の主祭神って

須佐之男命
奇稲田姫命(櫛名田姫)
大己貴命(大国主)


全部出雲の神様
氷川神社は出雲オールスターズだった



どうりで斐伊川~揖斐川~氷川ラインが
繋がっている直感がしたわけね


ってか祭神をチェックするっていう基本的な所が
抜けている私・・・


だって面倒くさいんだもん。。。
同じ神様でも名前や字も違うしさ


調べてみるといくつか説があるけれど
出雲を征服した後に出雲大社を作った
出雲国造が物部氏と一緒に武蔵にやって来て
(武蔵国造)
ここに氷川神社を奉ったのではないかという説が
一番信憑性があるような
先住にはアラハバギ神がいた


出雲国造(後の千家かな)が物部氏と一緒に
武蔵にやって来たのは
武蔵の開拓に出雲族を奴隷として使えたのかも・・・
と想ったり

出雲を支配して石見にするために
大量の出雲族を関東に移住させたとかね
ついでに国造り


ちょっとここら辺はよくわからない
物部の一族が書いたとされる『先代旧事本紀』には
武蔵国造一族は出雲国造一族と同族で
武蔵は出雲族が開拓したということになってるけど
信用できないしねー

しかもこの本の序文に
推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著した
とあるから
推古天皇って物部の息がかかっていると想われ
というか物部から出ているんじゃないの


でも何を今頃って感じだけど
まさか埼玉のど真ん中で
出雲の神様を奉っていたとはねぇ~

荒川や利根川
埼玉の水場を抑える神社として
氷川神社は機能しているのだけど
祭神が全部出雲だったとは。。。   (-_-;)


しかも氷川女体神社
私ここ去年の3月に行ってるし


見沼解き 2
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/03/744.html




櫛名田姫に会ってたのね。。。  (゜o゜)


出雲の神様を乗せにいってのか?
氷川神社って初詣でで全国ベスト10に入るくらい
何気に参拝客数がすごい神社なのですが


埼玉県人はずっと
出雲の神様を拝んでいたのねー
拝まされていたのねー





佐賀県の櫛田宮では
スサノオとヤマトタケルと一緒に祭られているのよね

祭られているというよりも見張られているのかも
なんかかわいそう。。。


この櫛田宮は神崎市にあるのだけど
目の前に吉野ヶ里遺跡があって
ここからも古代出雲の銅鐸が見つかっている


佐賀に櫛名田姫の宮があるのは
ここも古代出雲のネットワークがあって
支配下にあったのかな



佐賀県神埼市
2006年3月20日に、神埼郡神埼町・千代田町・脊振村とが合併して、佐賀県で10番目の市として誕生した。この結果、佐賀県から村が消滅した。なお、「神崎市」と間違われることがあるが、「神崎」ではなく「神」である。


なかなかオカルトですよここ
合併したのが3月20日ですしね


吸収されたのも千代田とか脊振とか


脊振(セブリ)というのは
山の民サンカ用語なんです
「瀬振り」というサンカの住処のことですが
セブリ自体がサンカを指します




脊振山というのが脊振町にありますしね
市町村で分けられてますけど
吉野ヶ里はその隣だし


セブリという地名は私は他に知らないので
サンカといえば脊振山なんですよね


ってか神埼市の「埼」が「埼玉」の「埼」なんですけどっ!


これは・・・
こんな面倒なことをされる神埼市民かわいそう
って話じゃなくて


「埼」には出雲に関わる何か
もしかしたら出雲族を表すような
縄文の何か  
印というか記号なのかもしれないですよ?


だから埼玉の「埼」が「崎」ではないのかもしれない


それに「神埼」と「埼玉」って
ほとんど同じ意味のような気もします

玉は魂のことだし
御魂を神様とするなら


埼玉も神埼も
縄文や出雲の神々が眠る場所ということかも




佐賀県の神埼市の名前の由来について教えてください。
<神崎と神埼の違いについて>
櫛田神社・仁比山(にいやま)神社の古文書には「神崎」と書かれているようですが、江戸時代に書かれた例えば[葉隠]の中には
「佐嘉・神埼の文字相違い候事、・・・・・」と[崎]と[埼]の違いに触れ、その中に「・・・今後は埼を字を用申候よし・・」とありますので、江戸時代になってからは、神崎では神埼が使われるようになったようですね。
ただ、その理由ははっきりしないようですけど。



江戸時代の古文書に
「崎」と「埼」を間違えるなよ!って
釘刺されてますね

埼玉の「埼」の字であることが重要なんでしょうか



姉妹都市ではないですが
島根県雲南市と友好関係にあるみたいですね




脊振山の南にはヅーベット山という
アイヌ語っぽい山があって


ヅーベット山 ……一度は登ってみたい山……
登山口に下り、車で白木集落に行ってみた。
新羅が白木になったのではないかという説もある白木集落。
近くには、ヅーベットの他に、カンサコ、ウウフケ、フウシケン、イヨン平など、朝鮮語とみられる地名が残っているそうだ。
そういうことから朝鮮からの帰化人とゆかりのある地ではないとの説があるが、定かではない。
この他にも、昭和11年にフランスの飛行家アンドレー・ジャピー氏が乱気流に巻き込まれて背振山に墜落したことに関係しているのではないかというフランス語説もある。
フランス語で、ヅーベットは「乱気流」という意味があるらしいのだ。
アイヌ語でもヅーベットは「きれいな川」という意味があるそうで、どれが山名の由来になっているのか未だに解明されていない。



アイヌ語源という説はかなり怪しいんだけども
カタカナ地名が残っているのは
伊豆大島と同じく評価したい

九州にアイヌってちょっと遠いし


脊振山は九州で有名な山岳信仰地帯で
自衛隊の駐屯地もあり
フランス人の飛行機が脊振山山頂で
乱気流に巻き込まれたり

気流を乱すほど大きな渦の想念があるのね



しかもこれからここに国際リニアコライダー
つまりCERNと同じ施設を建設しようって
岩手の北上山地と誘致合戦が始まっているのです


岐阜のカミオカンデといい
縄文の形跡がある土地に
量子系の実験施設を
まるで原発みたいに建てるのよねー



島根県といい佐賀県といい
その存在感の薄さや知名度の低さとか
立ち位置がよく似ているんですが
パッとしないというか
地味~~~な感じが(関東では埼玉っぽい)


古代出雲と繋がりが深い土地って
メインストリームからどこか外されている
追いやられているような印象がありますね


東北が中央から冷たくされているのと同じ
スルーされているというか
エネルギーが分配されていない


実際社殿も天津神系の神社の方が
豪華だって聞きますしね
国津神系は質素というか地味だって


古代出雲ネットワークのある国って
歴史的に中央や権力機構から
無意識に外されている


阿波・大和連合とずっと敵対しているんでしょうね
何百年何千年も


出雲の神は祟りますからって
歴史家が言ってたから
ずっと封印しておかないといけないんでしょうね




出雲神話の世界・日本国家の起源
出雲ネットワーク

大国主命は各地の女性と結婚し、国を拡大している。翡翠の産地である糸魚川地域の沼河比売を娶っているが、糸魚川産の翡翠が、出雲や北部九州から出土している。出雲は翡翠流通の中継点となっている。
大国主命の幸魂、奇魂は大和の三輪山(大神神社)に祀られている。大国主命は大和とも関係していた。

出雲から奈良県方面まで大国主命の支配地域になっていたようである。(高天原が)出雲に天菩比命を遣わしたように、近畿には饒芸速日命(物部氏の祖先)を遣わした。

饒芸速日命は東大阪の哮峰(いかるがのみね)天下ったとされ、饒速日命の墓は生駒市の鳥見にある。

近くの東大阪市や八尾市付近は物部氏の本貫地で、物部守屋の墓がある。この地域は、庄内式土器が集中して出土する場所で、また、最末期の銅鐸である近畿式銅鐸も出土する。

庄内式土器や、近畿式銅鐸は、物部氏と関係するもののようである。




庄内といえば山形ですよね
ここでいう高天原って阿波だと想うんですが
阿波の人が高天原は阿波だって言ってますしね




ちなみに
古代出雲ネットワークの富山県
射水市に櫛名田姫櫛田神社があります


古代出雲のことを調べていたら

出雲地域をはじめ北陸地方、東北地方に分布する「ズーズー弁」(裏日本方言)と古代出雲の関連性はしばしば指摘される。「ズーズー弁」が飛び地状に分布する理由として、古代出雲の住民が東北地方に移住したとする説や、かつて日本海側で広く話されていた基層言語の特徴だとする説もある。


射水市はズーズー弁の飛び地にあるんですね


ズーズー

ズーズー弁が分布するのは、青森県から福島県北部・新潟県阿賀野川までの東北地方(三陸沿岸地域を除く)および北海道沿岸部と、富山県中東部、山陰地方中部(鳥取県西伯耆と島根県出雲)である。




松本清張の『砂の器』は
このズーズー弁の飛び地のトリックがネタになっている
サスペンスなのですが
この小説もネックが出雲だし
天才的な才能を持つ孤児の話なんですよね


「東北訛りのカメダ」

亀嵩という出雲の駅が舞台でもあるのですが
亀といえば出雲  鶴といえば伊勢らしく

この小説も『八つ墓村』みたいに
古代出雲の因縁と関係ありそうな気がしてしまいます
















3 コメント:

射水市
富山は出雲ネットワークなんですね。
外へ出ないので良くも悪くも血が濃い人が多い土地のような

今回の北陸新幹線のことなど、少し地元について調べています。
こちらで流れているCMを見ると、富山と金沢、そしてなぜか新幹線でもない能登駅がトライアングルとして紹介されていて、新高岡はその中心、何かを飛ばそうとしているのか囲みたいのか、不思議に感じていました。

http://matome.naver.jp/m/odai/2141776931746640101

もともと高岡自体、二上山を利用した高岡結界が存在するところです。名前の由来は鳳凰が舞い降りた高い丘からと言われています。その前の名前は関屋でした。二上山は竹内宿禰が降り立ったそうです。庄川を挟んだすぐ隣が射水市で、川を渡る手前の高岡ギリギリのところに、水晶さんの夢に出てきた政治家の生家があります。道を走っていても目に付くくらい大きくて立派な家です。
大きな家なのに元暴れ川のそばなんて…と思いましたが、彼の祖父が川の治水に努めた方のようです。
彼の生家のすぐちかくには枇杷首神社があります。

射水市は合併してからとても広い域含むようになってしまいました。
その中には豊臣秀吉が名付けた太閤山があり、太閤山ランドは昔国体を開いたところなのですが、そこにもかつて女の人の悲話があったようです。小杉インターを降りると顕正会の総本山、すぐ近くには今年コストコが建つ予定です。
櫛田神社は式内社として平安以前から立っていたと思います。地名は串田になっています。境内は数百メートルほどの長い参道が本殿までつづいていて、白馬を一頭飼っていました。1度だけしか行ったことがありませんが、元旦は2.3時間並ぴました。
隣の婦中町は初代天皇が来臨したといういわくがあります。裏日本なのであり得なくはないですね。

富山は新潟とはお隣なのに、立山のことがあってか交通がとても不便です。隣なのでもう少し行き来しやすくして欲しいと思いますが、新潟市が遠いため難しいのかもしれません。
代わりに金沢への足はとても多いです。新潟と分断して、金沢と強く繋げておくためかもしれないと、ふと思いました。

そういえば昨年は立山を祀っている雄山神社の総宮司が逝去されました。立山は硫黄濃度が上がっただけでしたが、今年のGWは大変人がくるらしいので、封印を強める目的なのかもしれません。
同時に総宮司の息子さんが小説家として、立山のことを雑誌掲載しはじめました。


今までは関東のことをたくさん調べてらしたので、そうなんだ、知らなかったなあと読ませていただいていました。
今回は越の国や、地元の富山のことが出てきたので、私ももっと知りたいと思って書かせていただきます。
長々と失礼しました
 
政治家って誰だろ?と想ったら正力松太郎のことでしたね。射水市だったのですね。
それより中田ヤスタカが金沢出身なのに驚きました。

新幹線って冷遇されていた地方は今頃開通したりしていますが、もしかしたらそれも意味があってのことかなと想ったりします。新幹線の路線が一つの大きな龍脈であり、新幹線の開通は大きな龍脈の誕生。動脈ができたようなもの。だから日本中一気に作るわけにはいかなかったんじゃないでしょうか。

そして北陸や東北、九州新幹線の開通は、日本の運気が太平洋側から裏日本に移り始めているような気がします。南海トラフのこともあるわけで、海老名とか座間とか神奈川の内陸に視座が移ったのも、縄文時代の土地に土地の想念が移動し始めている気がしました。東北の震災で津波が来たのは神社がある海岸線までだったように、古代日本で日本海側に文明圏があったように。
 
> 佐賀県には、伊勢神宮から分け御霊をされた伊勢神社があります。(分け御霊をしているのは全国で佐賀の伊勢神社だけだったと思います。)
> 昔、熱心に伊勢詣りをしていた男性がいて、伊勢神宮の人がその熱意に感動して、佐賀に分け御霊してもらって、佐賀に伊勢神社が出来たそうです。

丹生都姫や丹敷戸畔がいたと想われる丹生族というのが紀伊・熊野にいたのですが、丹生族は糸島から来ているようです。そして伊勢神宮の中の人たちは丹生族の人たちが多いと想っています。なので、故郷の佐賀に分け御霊できたんじゃないでしょうか。

丹生族は佐賀(伊都)→紀伊伊勢→佐賀(神埼)と帰って来た人たちが、分け御霊で伊勢神社を作ったのでは。
伊勢神社のある佐賀駅と神埼駅の間に伊賀屋駅がありますしね。伊賀といえば三重ですし。
熱心に伊勢参りをしていた男性は丹生族だったのでは。

ご先祖様が和歌山の出身なら、丹生族なのかもしれませんね。
確か香川にも丹生という地名がありますよ。

> 佐賀は天災もほとんど無いところで、繁栄と無縁という自虐ギャグで
> 佐賀は天災にも見放されていると言ったりしています。
> それだけ強固な結界があるのかもしれません。

本当に佐賀はないですね(笑。吉野ヶ里があるのに。長崎と福岡はあんなに派手なのにw
埼玉もそうですが、何もない所の方が古いものがあったりするんですよね。
それがあるから何も作れないのです。
 

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