2015年4月15日水曜日
熊野の因
出雲の国譲りは
伊勢の天照大神が「あの国が欲しい」と
言ったことから始まっているけど
天照大御神は傀儡みたいなもんだから
本当は熊野や出雲
阿波周辺の古代出雲の支配地域を
大和を立てて
阿波がすべてを手に入れたかったからでは?
阿波と紀伊熊野は吉野川で繋がっていて
古来から繋がりが強かったと想うんだけど
なぜか大国主の神社が熊野にはたくさんあって
熊野の人も大国主の方が偉いと想っている
鉱山資源が豊富な熊野だけれど
紀州人の製鉄技術は未熟で
この地域の製鉄技術は
出雲の民から受け継いだという
でも古代から阿波と深い繋がりのある紀伊熊野が
なぜ出雲国の支配下だったのかよくわからない・・・
当時出雲王朝は三輪山周辺にもあったというし。。。
そして出雲の国譲りで起きたかもしれない
阿波の裏切りは
阿波が葛城で大和を立てた
ここら辺の複雑な関係があるのかな・・・?
まだわからないことだらけだわ。。。
ちなみに建御雷神VS熊野は
神武東征のエピソードでも出てくる
高倉下が持って来た建御雷神の剣で
熊野で手こずっていた神武が
起死回生して勝利することができたとか
高倉下は
物部氏の祖神である饒速日命の子で
渡した剣は布都御魂といわれ
後の石上神宮のご神体になる
つまりここでも物部(阿波)のアシストで
勝利している(したことになっている)
出雲の国譲りの時の 建御雷VS建南方(熊野)
と全く同じ力関係
建御雷は後の藤原氏になるわけですが
もともと唐の国からやって来た
傭兵だった藤原氏の先祖が
このような古代日本の数ある戦の中で
戦勝を上げていくことで徐々に台頭していったという
私が伺った人のチャネリングによると
出雲の滅亡は唐から来た者たちによるらしいので
恐らく藤原の先祖である建御雷
この頃から建御雷の一族――後の藤原氏に
阿波の一派は力を貸すようになったのかな
唐から来た建御雷の戦闘力には敵わなかったけど
熊野の建南方の一族は強かったと想う
神武も建御雷の援助がないと
熊野で敵わなかったしね
大陸から来た建御雷の強さや
いきなり剣を出すあざとさは
朝青竜とか白鵬とかモンゴル人の強さと被る
勝つためならなんでもやる獰猛な民族
南方の出身の曙や武蔵丸が
恵まれた体をしながらどこか粘り強さがなかったのは
サモア人の特徴で
サモア人のアスリートは劣勢になると
心が折れてしまい今ひとつ勝負強さに欠けるという
根がやさしいんだろうね
建南方は 南方の男
南方(なんぽう)の男と呼ばれるのは
南方から来たポリネシア系の種族だったからで
モンゴル相撲にポリネシア相撲が負けてしまうように
建南方も建御雷に負けてしまったのかなあ
相撲取りが国際的になったことで
古代日本にやって来た人種の特徴がよくわかる
歌舞伎や相撲のような伝統的な国技には
日本の集合意識の核みたいなものが
現れてしまうのかもしれない?
建御雷のパシリで神武に剣を渡した高倉下
高倉といえば高倉健ですけど
そういえば建さんは北条氏の子孫で
平家の末裔だった
どーりで~って感じ
まむし
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/11/949.html
誰が何を裏切ったのか
どこで裏切る必要があったのか
まだよくわからないけど
ただ大国だった出雲族の滅亡は
古代史の一大事件だったはずで
だからスサノオだったり 国譲りだったり
神武東征だったりで
何度も語られているのかもしれない
だから阿波の結界が解ければ出雲が出てくるって
血筋は知っていた
不自然なほどに出雲の滅亡が国譲りだとか
古代の大国の滅亡が矮小化されたり
阿波の存在が意図的に記紀から隠されているのは
本当はこの二つが大きく対立していたからでは?
まさか同じイベントだとは想わないけど
神武東征も出雲の国譲りも
同じパワーバランスや相関関係があるのは
もしかしたらの可能性で
本当は同じ出来事だったり・・・とか
というのは「裏切り」というキーワードは
名草戸畔殺しの時にも出て来て
名草戸畔の伝承では
神武には勝ったけれどその後何者かによって
名草戸畔がバラバラにされている
出雲族というよりも
出雲の属国だった熊野の建南方が逃走先の
多治見で起きた「裏切り」と
同じく熊野で起きた名草戸畔の死にまつわる
「裏切り」
時代は別ということになっているけど
建御雷によって建南方が滅ぼされたり
建御雷の剣(援軍?)によって神武に負けたり
建御雷の一族が盛んに
熊野に攻め入っていたのがわかる
唐から流れてきた建御雷
獰猛な騎馬民族の藤原の流れが
後に権力の中枢に至ることになる
平家の印が頻繁に現れるのは
平家というのは多分 一番わかりやすく
そして比較的最近に歴史の表舞台に出てきた
阿波の流れではないかと想う
平家の里が剣山の麓に
物部の神社と一緒にあるしね
物部や忌部など他にもいるけど
古代だし
部落民に落とされた者もいてわかりにくい
四国の山と北の海
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/12/978.html
宇野正美によりますと、古代イスラエルの祭司階級であるレビ族は、神殿に仕える役割をもった高貴な人々でしたが、神に祈りを捧げるときに、犠牲の牛を屠る燔祭の儀式に携わっていたが故に、仏教が国家の支配者の宗教となることにより、逆に賤民として隔離され、現在にいたっている人々もいるといいます。
もっとも一部は天皇家の側近として貴族の地位を保った人々もいたようです。忌部氏などがそうです。
でもつくづく想うのは
日本の歴史の原点である
古文書の記述の曖昧さ奇怪さ
大人のすることじゃないよねーと想う
しかもそれほど大昔というわけでもなく
7世紀でそんなことしてるんだから
ローマとか紀元前の時代に
あれほど史実がちゃんと残ってるのに
歴史を正しく記してこなかった国に
どんな正当性があるのだろうと想う
そのせいでどれだけ私が苦労しているか(爆
理解できないのは私のせいじゃないぞ
歴史の始まりを知るために
真実が隠されているために
後の日本人の膨大な時間を奪っている
それもまた一つの術なんだろう
神話にエネルギーを注がせるための
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