2014年10月23日木曜日
エボラの時代の愛
20年前のオウムの事件で 覚醒しかけていた魂を
寺がすり潰した
寺が延命を図るために
そんなことを書いた後
急に2012年の金環日食の日に起きた九頭竜湖事件を想い出した
クズ竜
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/02/404.html
そしたら去年の金環日食の日に
こんな事件が起きていた
九頭竜湖事件
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-422.html
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-423.html
箱根の伝承が岐阜の九頭竜湖に現れた
九頭竜伝説は各地にあって
その中でも気になったのは
各地の山
千葉の鹿野山
戸隠
阿蘇山
葛城山系(伊豆葛城山、大和葛城山、和泉葛城山、金剛山)
大阪の五月山
葛城山というのは修験道の山らしい
この九頭竜伝説というのは
密教が各地の山を結んだ結界じゃないかな
ユダヤは9が好きらしいとか
9は破壊を意味するらしい
龍魚と呼ばれるアロワナを見て気分悪くなったときから
龍は封印に使われる生き物だと想っている
九頭竜伝承の山々は修験道の山
私はふと
紀伊半島の山奥の
高野山の高僧たちは
普段何をしているんだろうと想った
くうかいとくぅちゃん
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/02/408.html
西日本の地図が見えて
紀伊半島の真ん中あたりが
黒く 曇って見える
だんだんそれは 上に上がって
橿原遺跡の辺りに 上って行った
最近 橿原遺跡に 初めて調査が入ったね
最近くぅちゃんのPVに オームが出てきたんだって
あれはオームの仕業じゃない
新興カルト集団の騒動 事件は
新興じゃない カルト集団による
カムフラージュ
紀伊半島の 密教集団 本物のカルト集団が
盛んに活動しているとき
新興カルト集団が 表に出てきて
注目を集めるとき
密教カルトは 想念の世界で 裏で動いている
北緯36度の怪
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/01/674.html
36度線には
鹿島神宮~御巣鷹山~位山があって
御嶽山より少し北なのね
この記事書いたとき
九頭竜湖も36度線繋がりにしているけど
地図を見たら九頭竜湖って御嶽山の真西にあって
びっくりした
となると
香取神社~氷川神社~御嶽山~九頭竜湖
になる
そしてね
九頭竜湖事件が箱根の伝承に従って
生贄を捧げた事件なら
御嶽山の噴火が 箱根山にも現れる可能性があるかもしれない
オウムの事件から20年後に
北極で皆既日食が起こる
九頭竜湖事件は金環日食の日に起きた
九頭竜の伝承は神社系の山にあるし
神社の結界ラインと繋がっている
そこに寺がオウムの事件のように
術をしかけたのは
寺の反撃のようにみえるんだけども
御嶽山や九頭竜湖は 伊勢~白山の羽ライン
陰陽トーラスの軸にある
寺が抑えている中央構造線という爆弾を守るために
神社の諏訪結界や 羽根ラインを攻撃しているようなイメージがある
寺は多分 出雲と伊勢の会合
2013年の式年遷宮で 寺が切られることが分かっているから
神社に必死に祓っているのかもね
紀伊半島の黒い想念は
橿原まで上って行ったんだけど
ここには橿原神宮があって 神武が即位した場所で
よくわからないけど 紀伊に眠る怨霊を使役して
神社系を狙い撃ちしている気がするの
きゃりーぱみゅぱみゅと60年代リバイバル
これが、例の「大惨事」といわれた、
こうだくみがきゃりー風カワイイを演じた2013年のPVね・・・w
沢山の風船は尊師マーチ、動物頭・・・
白装束の子供たちなんてもろオウムシスターズ・・・w
動物の頭をかぶるなどのオウムの選挙活動との明確な共通点
=仕掛け人の中身も似てるんじゃない?
動物の頭をかぶる=山羊頭の悪魔バフォメット信者の印と読むのが普通の解釈
オウムの麻原は新興宗教を作るために
天理教の調査を依頼している
ヨガもインド発祥なわけで
オウムは仏教系カルトなんですよね
カルマの思想を使えば、どんな社会悪でも、人災でも戦争でも大虐殺でも全部被害者に罪を擦り付ける事ができる。魂が穢れてたからといってね。
エボラの時代のお洒落 Rianne ten Haken by Steven Meisel November 5, 2009 ブレゲンツ音楽祭随想
エボラ出血熱発見は1976年、翌1977年「ホテル・カリフォルニア」リリース。
一見何も関係ないですが、オカルト目線的にいうと
ホテル・カリフォルニアには2008年の金融危機が予言されてるかに見えること、
2009年のヴォーグにエボラ出血熱危機が予言されてるように見えること、
2014年にエボラが欧米入りしたこと、不気味に連動して見えてきちゃいますw。
それに、エボラをモデルに作られた「アウトブレイク」・・・
振り返ると1995年の映画だったのが個人的に不気味www
まるでセウォル号だと思った「エヴァンゲリオン」も1995年だし・・・
なんとなく「コレラの時代の愛」の51年待ち続ける男の物語を思い出した。
最近映画『わたしを離さないで』を観たのですが
原作の方のアマゾンの書評に
「ホテル・カリフォルニアの歌詞を知った時と同じくらい訳がわからなかった」
というのがあって
つい先日ホテル・カリフォルニアの歌詞をチェックしたばかりでした
で意味はやっぱりわからなかったんだけど
多分ホテル・カリフォルニアはアメリカの夢殿の中を歌っていると想うのね
ホテルって集合意識が出来る場所
夢殿の中の世界だから何言ってるかわからない歌詞になるし
予言にもなる
そしてカズオ・イシグロの『わたしを離さないでも』も
その内容は結界の中の生贄の有り様を描いているっぽくて
最後まで救いがない映画
この作家さんはハルキストで
それだけで十分怪しいんだけど
村上春樹からもらったNever Let Me Go
というジャズ曲にヒントを得てこの作品を書いていて
この作品がこの人の一番のヒット作になっている
映画を観た感想を書こうかなと想ったんだけど
「精神虐待小説」と言われるほど 暗い話なので
気が進まなくて止めた
なんでこんな作品を書いたのか
意味わからないけどなぜか人気があるっていう作品は
大体潜在意識言語で書かれている
そして『百年の孤独』を書いたG・マルケスの 『コレラの時代の愛』
コレラの時代に51年待ち続ける男と
戦後50年目の 1995年
豚のしっぽ
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/04/770.html
一つの時代が終わったような気がする
私だけかもしれないけど
作家の死はかなり大きな時代の変化を感じさせる
象徴している気がする
ほとんど死の間際に二人は結ばれるのですが
来世では王様や女王様のようになってるかもですね
二人のためにそれだけ多くのエネルギーが
ピラミッドを築くように費やされましたから
そんなマルケスは今年の4月に死去してた
4/15の皆既月食の二日後に世を去った
死の間際に結ばれるのは
『わたしを離さないで』も同じ
こちらは二人とも生贄として死んで行くので
大分立場が違うんですが
ただね
主人公の女性が一年後には死ぬとわかっていても
物語上では語り部として最後まで生きていた人物で
そういう人が勝者だと想うんですよね
作者はそう提示している気がするの
誰だっていずれ亡くなるわけだから
物語の中で最後まで生き残っている人物に
物語中の死のすべてが集約される。。。
だいたいそうなってません?物語の構造って
最後まで生き残った人物にすべてが注がれる
だってその人物が語らなければ物語は存在しないのだから
今コレラの時代じゃなくて エボラの時代が始まってしまいましたが
どんな愛の形が生まれるのでしょうか?
世界が終わるときに結ばれる相手は
世界が始まる時に別れた相手かもしれません
そういえば『コレラの時代の愛』は
その内容とコレラはほとんど関係なかったような
多分コレラと言いたかったんでしょう(笑
エボラの時代のために
1995年 自己啓発ブーム元年 「カルト資本主義―オカルトが支配する日本の企業社会」感想
1995年は、今現在起きている問題の種がまかれた年であると考えています。
胡散臭い自己啓発ブームもまた、1995年が発端だったと考える人がいます。
オウム事件と「脳内革命」が400万部という驚異的ベストセラーになったのをきっかけに、第三者による人格改造への興味が人々に芽生えたといいます。
ニッポン人の「自己啓発」好きを強化させた「オウム」「勝間」「an・an」の功罪
た だ、自己啓発書そのもののトレンドの変化もあるかと思います。バブル真っ盛りの80年代後半には、その時代の拝金主義に対抗するように、清貧の思想や禅的 なものといった東洋思想が流行していました。バブル崩壊後にも「それみたことか」というわけで東洋思想の流行は続くのですが、90年代半ばになると東洋思想ブームは一段落します。
東洋思想ブームはちょうどオウム事件で終わった気がする
あの事件でインドの超能力者とかヨガとか
東洋の宗教や思想にかなり偏見が生まれた
そして覚醒し始めていた魂のエネルギーは
アメリカへ吸い上げられ その先の中国へ向かって行った
寺の想念がオウム事件で印を付けたからね
1995年 冷戦終了・アメリカ金融帝国元年
冷戦が終わり、金融帝国主義化を始めたアメリカ。
アメリカが金融帝国主義に旋回した元年1995年は、自由貿易機構WTO発足の年でもありました。
冷戦の終了は
中ソの資本主義化の始まりだったわけで
とくに中国が世界の工場となって
先進国の産業が空洞化した
自国で生産できなくなったのだから 実物経済が終了して
金融経済 金融帝国にならざるを得なくなったというのが本音では
それも2001年の911で戦争をおっばじめないといけないほど
追い込まれてたわけで
たった5年しか持たなかった
その後も戦争特需の裏でサブプライム
2009年にははそれも破綻
そしてTPPへ
考えてみたらバブル崩壊後の清貧の思想って
今どきの若者とそっくりだわ
ふと想ったんだけど
これまでのエボラと金融危機の相関関係を考えると
来年の3月20日以降
金融危機がまた起こる気がする
日経平均の下落ぶりを見てると
もう起きているかもしれないけど
本格的に表面化する
それはバブル崩壊並みのショック
だってあの手この手で付け替えて
引き延ばした時間が一斉に巻戻るのだから
あ でもこんなこと言わない方がいいか
外れたら困るし
経済ド音痴だし
オカルトネタから弾き出したただの妄想です
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