2014年10月19日日曜日
ギリシャの印
アトランティスの魂
ギリシャ文明の向こうにある 古代超文明
自分の中の 記憶を辿ってみる
高校の時美術の授業で描いた
ミロのヴィーナス
自由課題だったのに 私はそれを選んで
ちょっとダリ風な絵を描いた
働いているときは ミコノス島や
ギリシャの白い漆喰の街の画像を
職場のPCのデスクトップにしてた
地中海の雰囲気に すごく癒されたから
少女の時は 少女漫画の影響で
新婚旅行は ギリシャに行って
エーゲ海をクルージングしたい
そんな夢を見たりした
ギリシャが財政破たんして デフォルトしたので
もう行く気はなくなったけど
弟夫婦が新婚旅行で ギリシャに行くことになって
昔の夢を 想い出した
嫁の希望なのに
嫁の方も 以前飛行機に乗っているとき
乱気流に巻き込まれて 相当怖い想いをしたらしく
長時間のフライトは 本当は嫌みたいで
乗り気なのかよくわからない感じで
ギリシャに 発って行った
お土産を渡されたのは 月蝕の晩だった
オリーブオイルの石鹸と ハンドクリーム
なぜこのタイミングなのだろう
結婚式で 誓いのキスで
弟から嫁に まるでぐいっと 引っ張られるように
コードが渡ったと感じたあの時から
もしかしたら私の家に嫁に来た彼女は
私のなにかを 引き継いでいるのかもしれない
私の代わりに ギリシャに行って
月蝕の晩に ギリシャの印が
私の元にやって来るようになっていたなら
私ももしかしたら
ギリシャ文明 またはその先の
アトランティスの 記憶があるのかもしれない?
自分の人生を振り返ると
ギリシャのサインが ちょくちょく見えるけれど
じゃあギリシャ文明が とても好きかといったら
そうでもない
私にとってギリシャ文明の遺跡は 廃墟と同じで
興味もないし
それどころか あの選民主義な思想は 少しも共感できない
ギリシャ神話とか 正直キモい
ただ 地中海のあの太陽と 気候
青い海や 漆喰の白い街の
その美しさには ほれぼれする
料理もおいしそうだし
夢の中で 何度か
ギリシャのような島が出てきたりしているから
少しは繋がりがあるのかもしれない
月蝕の晩に ギリシャの印が
望んでもいないのに
私の元に来たのは なにかとても意味があるような気がする
ギリシャ文明は 約5000年前
アトランティスの伝承によれば アトランティス時代からあったそうだから
本当は 数万年前かもしれない
その印が 反転を意味する 2014年の
月蝕の日の その晩にやって来たのは
数千年 数万年前の印が
反転しようとしているのかもしれない
ギリシャ文明は ヨーロッパ文明の基礎
だから 月蝕の晩の ギリシャの印は
いよいよヨーロッパが終わる
サインのような気がした
映画『2012』で アトランティスがやたらと出て来たけど
大西洋にあった 幻のアトランティス大陸は
西欧人にとって 私たち日本人よりもずっと
身近な存在で
アトランティスに ルーツを追い求めている
多分 西欧人には 私たちよりもずっと
その情報が流れてきているはずで
数年前から欧米の映画では アフリカへ帰れという
シグナルが出ているように
エボラのような 伝染病で 邪魔な人種を一掃したり
それを口実に アフリカを封鎖して
自分たちの 約束の地を 求めている
これから大きく 世界のバランスが
世界地図が 塗り替えられるような時代が
やって来るのではと想う
御嶽山噴火の次は?
▼ 日本列島の巨大噴火は約5500年周期で起こってきたが、 一番最近の巨大噴火は今から7300年前の「鬼界アカホヤ超巨大噴火」。九州南部の縄文文化はこの噴火で途絶。5500年周期で発生していたものが 7300年間奇跡的に何も起きていない。この状況はロシアンルーレットにたとえられる ―― 「年が過ぎるごとに『当たる』確率が高くなっていく」:
* 御嶽山に続く巨大噴火はロシアンルーレットの可能性!?
▼ 「19世紀までの日本では、各世紀に4回以上の『大噴火』が起きていた」、「ところが20世紀になると大噴火は1914年の鹿児島・桜島の大正噴火と1929年の北海道・函館近くにある駒ケ岳の噴火のたった2回だけだった。その後現在まで100年近くは『大噴火』はゼロなのである。理由はわかっていない。しかしこの静かな状態がいつまでも続くことはありえない」:
* 観光地でいつ起きてもおかしくない「大噴火」 御嶽山の500倍以上
5500年前に反応した
5000年前の 御嶽山噴火の再開
サイクルが 閉じようとしている
小さなサイクルは 5000年前
大きなサイクルは 数万年前
この100年間 大噴火が0だったのは
かつてないほど 結界がバリバリに張られていたから
だからこそその反動は かつてないものになる
アトランティスより ムーの方がいいな
そう想っていたら そういえば私は
ポリネシア美術を 専攻したことがある
南太平洋の文化や その素朴だけど力強い
絵画や彫刻が 大好きだった
先進国と違って 大きく生活スタイルが変わらない
ミクロネシアやポリネシアの島々では
古くから伝わる 伝統芸能や芸術が
そのまま残っていて
私が興味を持ったのは
ポリネシア文化には
イースター島の モアイのような
古くからの謎もある このエリアの歴史に
魅きつけられたのかもしれない
人にはいろんな記憶が 乗っている
無意識の領域に いろんな時代の いろんな世界の
記憶が残されている
そしてどの時代 どの世界に生まれても
人は自分がいるべき場所を 心のどこかでわかっている
王子が乞食に生まれ変わっても
乞食は自分が 王になることをわかっていて
やがて王になるために
乞食となって 地を這いつくばりながら
王となる力を 蓄えている
よくあるのは 裕福だった実家が破産して
貧乏して 苦労して育った子供が
芸能人になったり 起業したりして
結果 親よりも大成功するパターン
王子と乞食は この比喩でもある
自分だったら そんなに貧しい想いをしたなら
危険なリスクを冒して
博打を打つような世界に 飛び込んだりしないで
堅実に財を築く サラリーマンの道を 選びそうなものだけど
そう考えるのは 凡人の 庶民の発想であって
彼らはそうじゃないんだよね
彼らは乞食の時代でも やがて自分が王になることを知っているから
王の道を 歩んだだけ
「王子と乞食」読了。
最後に、作中で印象に残った台詞を。
百姓家で目覚めたエドワードの胸の上に一匹のネズミが乗っていて、
「どうもこれはいい知らせのような気がする。国王の身に生まれて、ネズミの寝台にされるまでに落ちぶれたら、もうどん底まで落ちたわけで、これより下へさがろうにも下れるものではない。そろそろ運が開けて来るような気がしてきた。こういういいしるしを持って来てくれたネズミだもの、こっちから礼をいいたいぐらいだ。」
馬は王の乗り物で
ねずみは乞食の側に居る
寝ている間にねずみがやってきたのは
夢を通して 結界の操縦権を渡しますよというお知らせ
物語はこの後 乞食となった王子がどうやって
元の立場へ戻って行くために どんな人間の助けを借りるか
そして王子となった乞食が どんな知恵を働かせるか
地位は人を作る その様子が描かれるわけで
それがこのストーリーの 本当のテーマ
王子の経験も 乞食の処世術も 両方とも
成功するために必要な 成功法則でもあり
帝王学なのね
そういえば 今や関西の顔になりつつある とある芸人が
さ○まのまんまに出ていた時
貧しい家の生まれで 子供の時に 寝ている間に
ねずみに耳をかじられたと ネタにしていた
その話を昔聞いたとき あの人があんなにビックになるとは 想わなかったけれど
ただ他の芸人やタレントと違っていたのは
あの人だけずっと 客席に向かって体を向けていた
目の前に大先輩 王様がいるのに
そちらよりも 客席の方を向いて 話ができるのは
自分も王でなければ できないこと
王になる人はね 王の言葉を聞かないの
王は常に 下剋上を恐れているから
王の言葉は 家来を作る言葉だと 知っているから
ノーベル賞 中村修二さんが語る
若いうちから海外に行って
大成功した日本人研究者なんて聞いたことないけどね
ノーベル賞受賞者の南部博士だって30過ぎてから渡米してるし
天才的な閃きや発明は二十代までで
研究者は後の人生を ほとんどそれを証明するために費やすという
望月博士なんて外国育ちなのに
二十代で早々に日本に帰って来ちゃってるw
ユダヤのように強い民族的な繋がりがあって
宗教や教えでチャネリングしているような民族ならともかく
そんな時期になんの応援もない海外に行ったら ねぇ・・・
座に就いた者は
自分が来た道と同じ道を歩ませない
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