学者たちがたくさん出てくる 教養バラエティを観ていると
世間の常識を覆すような 分析が多くて
オカルトと科学は 回り回って 同じところに辿り着くのかなと想う
器の大きい人とは 学者たちの分析によれば
いわゆる 成功者でも 人格者でもない
そういう人たちほど 心理学的には
他人の目や世間体を気にする 実は気の小さい
器の小さい人が多いという
その番組では 魚の名前をした人が 司会者なんだけれども
番組が続くにつれ 親しい付き合いをしている学者さんに
さ○まさんは気が小さいですよ そう断言されて
ええ 私は気が小さいですよ
そう素直に認めたものだから 大物芸人のイメージとのギャップに
スタジオがどよめいた
生き馬の目を抜く 芸能界
そのトップは まるで戦国武将のように
寝首をかかれないように 細心の注意を払って 生きている
器が小さければ小さいほど ねずみのように 警戒心は強くなり
周囲や世間の反応も 計算できる
器が大きいほど 隙が生まれるから
そんな人は 格好の餌食にされてしまう
マネージャーや側近に裏切られる 騙される
演歌歌手の多いこと
大物芸人ほど 売れてない芸人や
一癖あるような人を 周囲に置いて
取り巻きにしているのは
太鼓持ちを抱えているようにみえて
本当は警戒しなくてもすむ人と 一緒に居たいのだろう
テレビに映る芸能人のイメージと
実際の本人の性格は 逆なことがほとんどだと
聞いたことがある
学者たちのいう事を 鵜呑みにすれば
器の大きい人ほど 正直で 信じやすくて
裏表がない人 ということになり
世間的な成功者 人格者とは
程遠い人間になってしまう
人の心の深層心理を探る 心理学 精神分析では
表面的な人格は 見破られてしまう
じゃあ 器が大きいって 一体何よ
大きくない方が 生きやすいんじゃないの
世の中が歪んでいれば
エネルギーの性質上 一番歪んでいる者が
その代表となる
序列の 集合体のトップは その集合体のエネルギーが
最も集まっているわけで
だからこそ 上に立てる
その集合体が 汚れきっていれば
そのトップには 最も汚れている者が選ばれる
学者たちの意見を聞いていると
心理学的に器が大きいとは まるで
憑依体質のことのように想えた
自分以外のものを憑依させるぐらいだから
自分という器以上の大きさを持っているとも 言えなくもない
器の大きいとされる 憑依体質の人は
歴史上の大物や 戦国武将とかのイメージとは違って
軽薄で 乗せられやすくて お調子者で
子供っぽくて
一般的には 愚かで バカっぽい
とても成熟した 徳が高いようなタイプには 見えないと想う
なぜなら それほど自分というものを持たない
軽さがあるから
乗せられやすく おだてられやすく 影響されやすく
信じやすく 油断も隙も多い
狡猾に嘘をつく 用心深さもないからこそ
憑依されてしまう
きっと人格者とは 真逆のタイプ
老荘思想だっけ
中国の仙人は 道を究めると まるで子供のように
白痴のようになる
ミーハーで 簡単に流行に左右される
いわゆる B層と言われる
あまり賢くなさそうな 若い女性ほど
実は霊体験が多かったり 憑依されたりする
洗脳されやすい人ほど
見えない世界のエネルギーにも 染まりやすいわけで
おバカな人ほど 騙されやすく 苦労も多いかもしれないけど
窮地のところで 自分以外のエネルギーの
助けを得られたりするのは
自分がカラッポだと 自分以外のエネルギーを
乗せやすいから
空き容量の多い PCみたいなもの
イカサマ霊能者はよく 先祖の霊が~ 先祖のご加護が~と
神秘体験や 奇跡で 命拾いをしたりする人や
護りの強い人のことを
ご先祖様の助けだと言うけれど
本当はもっと大きな 生きている間に同じような目にあって
亡くなってしまった 怨霊さんの助けや
自然の精霊の 応援だったりするかもしれないのに
そんな話は 一度も聞いたことがない
血筋や王族ほど 見えない世界の助けは
先祖のご加護くらいしかないというのが 本当の所で
だから彼らは 血にこだわるし
精霊や見えない世界の助けが多い 一族の血を交えようとする
想念の世界で 泥棒や追剥をやっている者を
より大きな力が 助けようとするはずもなく
彼らはただ 力のある 罪の少ない一族に
取り入って 想念の世界に対して 人質に取って
「先祖のご加護」 を受けて
何食わぬ顔をして この世界で
好きなように 力を奮っているだけ
まるで芸能界のヒトラーのような
予言者だった シンスケに選ばれた
一世を風靡した おバカタレントたちは
何気に芸能界の荒波を かいくぐって生きていて
なかには とんでもない幸運を手にした人も
たぶん予言者は おバカな人を選んだというより
空き容量の大きさで 選んでいて
決してバグっていたり パフォーマンスの悪いPCを
選び出したわけじゃない
でも 私が想うに おバカタレントを担ぎ上げ出したのが
あの人の運勢の ピークだったように想う
器の小さい人が 自分の代わりに
空き容量の多い人を 従えたおかげで
見えない世界のエネルギーを たくさんダウンロードできて
それによって持ち上がって
大きな成功や ブームを生んだけれども
今度はそのエネルギーを招いてしまったせいで
あの人は見えない世界から 復讐された
まるでハシゴを外されたような 汚名を被るような
辞め方をしたのは 復讐のせいかもしれない
ほとぼりが冷めたら また出てくるかもしれないけど
その時はもう 彼が囲った おバカタレントを
周りに置いたりはしないと想う
長い休養を取っているのは 彼らと距離が出来るのを
待っているのかもしれない
見えない世界のエネルギーだけでなく
シンスケの運まで ダウンロードした
おバカと言われた タレントたちは
シンスケが消えたあと
師匠の片鱗を 見せ始めた
私の嫌いな 張り付いた笑顔をするタレントは
やきうで培った DQNの本性を 現し始めた
シンスケがいる頃は とってもチャーミングな笑顔が
人気だった 芸人に嫁いだタレントは
炎上ママタレへ シフトしながら
広辞苑の編集者を唸らせるほどの 名回答で
言葉巧みな 師匠のような才能をみせた
世界的な野球選手になった妻は
シンスケのように 食にこだわり
日本中から生まれる 嫉妬や妬みに対して
見事な交わし方を身に着けていて
彼らの処世術を見ていると
馬鹿にされることで 多くの物を集め
手に入れたように想う
でも彼らがバカにされなくなったら
違う何者かになったら
その神通力は どこに行くのだろう
私は学生時代 結構本を読んでいた
文学 小説がほとんどで
なぜか 本に書かれていることは
すべて真実だと想っていた
もちろん小説だから 事実ではないのは知っているけど
事実ではないからこそ 真実が書かれていると
本気で想っていた
作り物語なのに なぜそんな風に想っていたのか
自分でも不思議なんだけど
たぶんその時の私は 活字で描かれた作品の世界を
先入観なしに すべて呑み込むのが正しいと
想っていたのかもしれない
疑うことを知らず 活字で書かれたものは すべて信じていたし
だからこそ 思想の隔たりをなくすために
たくさんの本を読んだのかもしれない
今想うとそれは 文学の世界に
憑依されていた
でも そんな風にのめり込んで 呑み込まれて
呑み込もうとするから
まるで生理現象のように
消化が終わると 興味を失った
三度の飯も うっとうしいほど
読書にのめり込んでいたのは 学生時代だけで
現実の世界が 小説のようではないと気づいたときに
小説から少しずつ 離れてしまって
単に作者の願望を投影した 自慰行為のように
都合のよい設定や展開を 冷めた目で眺めるようになると
読書する気など きれいに失せてしまって
昔読んだ本の内容さえ もうほとんど想いだせない
小説を読んでいると 人の心の機微に 触れるようになる
人の気持ちを 理解しやすくなる
本を読まなくなってから 私のKY度はぐんぐん上がって
もはや取り返しがつかない
コミュ障が増えたのと 小説が読まれなくなったのと
恋愛する若者が減ったのは
関係があるかもしれない
人が人の心に興味を失い始めたのは
人の心が 人から離れだしたのは
なぜだろう
もしかしたら 生きている人の心ではなく
見えない世界の声を 聞き始めているからかもしれない
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