氷川女体神社は 馬場小室山遺跡から
歩いていける
遺跡から東へまっすぐ
アップダウンがすごい
まるでゲレンデのように 下り坂の向こうが
上り坂になっているのが見える
馬場小室山遺跡は この一帯で一番高台にある
下り坂になっているところは 古代は海だったはず
丘や坂の連続
こんなにアップダウンの激しい町だったとは
スロープ状に 高台と低地を繰り返す
途中 通り過ぎた人に 行先を確認してみる
すごく坂が多い街ですね
そうね まるで横浜みたいよ
道を教えてくれた 親切なおばさんは
横浜から来た人なのだろうか
埼玉の浦和が横浜?
ちょっと首を傾げたけれど
そういえば 町の雰囲気が
どこどなく上品だ
浦和と言えば 県下随一 全国でも有数の
進学校がある
泣く子も黙る? 浦和高校を始め
県内有数の 進学校が集まる
もしかしてこの町は 知的な意識が高い人が
多いのかもしれない
地図を見ると 町のはずれ
見沼を流れていた 芝川が流れる周辺は
田園が広がるのに
町には田舎臭さが 全くない
東京にいる間に 低地に密集した住宅地や
古い武蔵野線の マイナスイメージが
自分の中にあったけど
そうだ 浦和は 学園都市だった
埼玉の中で もっとも優秀な所だった
私が学生の頃は この地域は
オカタイ感じがして 近寄り難かったっけ
歴史があって プライドもあるから
大宮と争ってしまうのね
視点が変わると 見えてたものが見えなくなる
浦和は 埼玉の横浜みたいなものなのかもしれない
横浜にも 縄文集落跡がたくさんあるから
歴史のある町ほど 古代から人が住んでいる
最初に住みつく人は その土地の
一番いい所を陣取るから
歴史を重ねて やがて土地に染みついた想念が
どこよりも濃くなって
コードに魅かれて さらに人が集まる
そうなると 地価は上がって
封印係だらけになる
吸血鬼たちは お墓の上に住みたがる
坂道を下りながら きちんと区画整理された
住宅街を行く
氷川女体神社は 高台にある
林の中に ひっそりとあって
眼下には 見沼氷川公園が広がる
見沼氷川公園と 氷川女体神社を繋ぐ橋
この赤い橋のせいで 神社があることがわかる
この一帯で 一番高い所にあるのが神社
きっと周りが海だった時代に 集落があったのかもね
神社は集落跡に建てられる
だから古い神社がある所は
古代の海岸線を 形成している
女体神社の磐船祭の説明
真っ赤に塗られた社殿
ここまで全部赤く塗られた社殿は初めて見た
馬場小室山遺跡の雑木林と違って
どことなく重い雰囲気が漂う 鎮守の森
まるで腕のように直角に曲がった 木の枝をみると
ここのエネルギーも曲げられているのかなと想う
屋根瓦だけでなく 鰹木も壁も
ここまで赤くするのはなぜだろう
神社を降りて 先ほどの赤い橋を渡ると
磐船祭 祭祀遺跡がある
数あるブログでヤバいと言われる
オカルトスポット
ドキドキしながら ここまで来て
帰るわけにもいかず
日が落ちてきたのと シャッターが遅いせいで
写真がブレる
気が急くから シャッターが間に合わない
気のせいかなと想いつつも
だんだん胸が苦しくなってくる
尋常じゃない圧迫感
胸が潰されるよう
ああ いやだ
沼の中には木が倒れているのに そのまんま
荒れ果てている
池の水は濁り 表面には汚れた膜が張っている
ここはあまり 地元の人も寄り付かないようだ
もうオカルトにしか見えない 水鳥
鳥の鳴き声 羽ばたく音に 震え上がる
心臓が縮む想い
鳥も鯉も まるで門番のように 祭祀場の近くにいる
馬場小室山でも 人がやって来ると
侵入者に 鳥はガアガアと騒ぎ立てる
鳥がいる場所はいつも 社の近く 祭祀場のそば
結界の見張り塔は
普段はそうやって 想念を脅しているのか
見張ってるのかな
人心供養もあったのではという
祭祀場跡に入る
中央にある 三本の木で張られた結界が
聖なる祭祀場
結界が切れている
奥にしめ縄がされた大木があった
この木がここの御神木
ふりかえると 入口の近くの木の下に
石碑がある
太平洋戦争で亡くなった 陸軍の慰霊碑らしい
こういう所にある石碑は
どれも尖っているのはなぜだろう
まるでどこかに飛ばしているみたいだ
馬場小室山遺跡の 弁財天の石碑も
剣のように尖っていた
まるで雷にでもあったのかのように
伐採されている
夜は街灯が灯るとしても
とても来ようとは想わない
行きはよいよい 帰りは・・・
池のヌシ
あまり動かない
鯉はまるで蓮のように 濁った水が好き
早く帰ろう
祭祀跡を 後にして 公園に出たら
胸の圧迫が ふっと軽くなった
やっぱりあそこでは 異様な何かに
圧されていたのかもしれない
寿命が2年くらい 縮んだかもね
公園の隅に 誰も近寄らない
見沼の面影を残す 祭祀場跡
馬場小室山遺跡の 穏やかな軽さとは全く違って
重く苦しい 気に満ちていた
祭祀跡の水場に溜まる なにかの怨念
公園の入り口にある銅像にギョッとした
案山子のオブジェらしい
なぜ案山子・・・
まるで刑に処せられて 磔にされてるみたい
案山子はリアルに作ると ホラーになることを知る
見沼氷川公園(さいたま市緑区)
「山田の中の一本足の案山子~」との歌詞を作詞したのは、女体神社の神官の長男で教師をしていた武笠三(むかさ・さん、1871年~1929年)という方。明治の頃に、見沼田んぼに実る稲穂と案山子を歌ったものだそうです。
神官が案山子に この地の想念を
見張らせている
だからまるで警官のように 祭祀跡のある
公園の入り口に立っている
公園で警官が見張っていたから 驚いたのかも
それとももしかして
この地であんな形で 亡くなった人の姿が
被って見えるのかもしれない
なぜ陸軍の慰霊碑が 女神のいる沼の
祭祀跡に立っているのかわからないけど
案山子のように まるであの世でも
この地に捧げた 女神の想念を
見張っているのか
それとも 国の生贄にされた
若者たちの魂を 女神に慰めてもらうためなのか
それほどあの縄文の海 見沼の名残を残す
祭祀跡の沼には
強い想念が 今でも留まっていた
地図をみると 女体神社とその公園は
町の境界に位置していて
その場所は 現実と想念の 境界でもあるようだった
まさかあんなに強い怨念が
あそこに留まっているなんて
県庁所在地 浦和の歴史を支える
危うい一面を 見た想いがした
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