2月最後の日
東浦和にある 馬場小室山遺跡と
氷川女体神社に行ってきた
縄文時代の遺骨 浦和一号は
どこの遺跡から発掘されたんだろう
浦和には大きな縄文遺跡があるのかもしれない
調べてみると出て来たのが
馬場小室山遺跡
南極を示す 真南のコード 馬の場
お墓を意味する 室山
ここにはきっと なにかある
見沼の封印の 一つかもしれない
馬場小室山遺跡
「縄文文化の正倉院」と称されるほど多くの遺構・遺物を出土した縄文遺跡
馬場小室山遺跡にとって幸運だったことは、この場所が、氷川女体神社の神官を代々務めてきた武笠家の里山だったことだ。そのため、縄文人が去った後も弥生時代以降ずーっと全く手付かずの状態が続き、奇跡的に縄文遺跡が全く壊されずに現代まで残っていた。「縄文文化の正倉院」と称される所以である。
わざわざ訪れてみようと想ったのは
この窪んだ土地の景色を
私は夢でみたことがあるから
縄文サウナ
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2012/12/317.html
だからサウナは 少し高い所にあった
後ろには 林か 森が見える
低くなっているエリアは 土埃が立つ 広場みたいになっていて
子供たちが大勢 遊んでいた
夢を見た時
どうしてあんな低い所に 窪地に
土肌が見えている所に 人がたくさんいるんだろうと想った
どうやら縄文時代中期の 集落の形式だったようで
中央に窪地があって その周囲に住居を囲んで
円形状に 集落を作っていたらしい
岬に作られた環状盛土遺構 中央が低い 雨水が溜まって排水に難が出そうだけど・・・ こうして雨水を溜めたのかな?
私が夢で見た光景は 遺跡の発掘現場っぽかったけど
遺跡の発掘のために 掘り返した現場は
はからずも 当時の低地を中心とする
環状盛土遺構を 再現した形になってしまった
というわけで
行かなきゃいけない気がしたので
行こう行こうと想いつつ
重い腰を上げたのが 2月最終日 28日
世間でもいろいろと 出来事が重なった日
レーンチェンジしたのかな
曇り空の日
写真に入りきらなかったけど
遺跡の方角で雲がカーブしてた
三室中学校前で バス停を降りて
遺跡の方へ向かう途中
高低差がすごかった
バス停から先は スロープになってて
まるでゲレンデのように 見下ろせた
三室中は 斜面の下に建っていて
遺跡への道は 中学を何階も上がった先にある
一番高い所に 小高い丘の上に 遺跡がある
なぜか侵入禁止のように
銅線が張られている
今いる場所は歩道
これから上る高台の所が集落
中央が窪んでいる 環状集落
後ろの三室中が どれだけ低い所にあるかわかる
後ろを見ると
三室中がある場所は 昔は海だった
崖の上にある集落からは 海を一望できる
古代の一等地
どんぐりがたくさん落ちてて
赤い実を晒しているのは
もう地面に根を張っていた
こうして森は どんどん大きくなっていくのに
奥に行くほど 雑木林は竹林に代わって
途中までしか入れない
窪地に着くと 奥にひと際目に付く
大木が立っていた
私が来ると 林にいた鳥たちが 驚いたのか
大騒ぎしながら いっせいに飛び立って行った
そんなに逃げなくてもいいでしょ
あんまり人が来ないのかなここは
なぜか窪地の一番低い所に立っている
一番深い所 エネルギーが集まる所に
役所の印が
大木の前で
なにもこんな所に建てなくても
木の向こうに何かある
祠のようなものが
鳥居があるから 神社かな
小室神社というらしい
神社の脇にある石
神社=石 神社=木 っていうぐらい
必ず石と木がある
この神社はきっと 後ろの大木に対して建てられている
弁財天って書いてあるみたい
恐る恐る 神社の中を覗いてみたら
女の人の絵が描かれた
絵馬がたくさん貼ってあった
縄文の遺跡の場所になぜ 着物を着た女性の絵馬が
弁財天だから?
タブノキらしい
神社の鎮守の森によく植えられているとか
神社もタブノキも
後からこの遺跡のために建てられたのね
木にお酒を上げて
駅前で買ったパンを食べながら 一休み
遺跡の発掘後だから この地にはもう何もないのかもしれない
とくに感じるものもなく
ただ なんとなく 楽しい気分が残っている気がした
日が暮れて来たから 早めに後にしたけど
いつまでもここに居たい気持ちになった
少しだけ 気分が軽くなった
縄文ヒーリング
ある占い師さんによれば
日本人は縄文的なものを抑圧している民族
心理的な歪みを抱えていて いじめやあきらめ
日本人独特の 集団心理を生み出しているとか
縄文へのチャネリングは 前世療法みたいに
それだけで癒しになるのかもしれない
鳥居の外に出ると
子供が弾くピアノの音がする
子供の笑い声が聞こえる
夢の中で 縄文集落の窪地に
子供たちが遊んでいたように
今でも 馬場小室山には
子供たちの想念が いるような気がする
目の前には中学校
この地域には古代にも
きっとたくさんの子供たちがいたはず
まあるく家が並ぶ 環状型の集落は
四角く区画整理された 現代の家並みと違って
内側にエネルギーが生まれる 構造になっている
集落は高台にあって 真ん中は窪んでいる
すり鉢状をした集落は その中心で
ぐるぐると エネルギーが循環し
周囲の家々に 等しく還元され
自然と人々の健康や 和を生み出す
空間を作る
現代でも パリやヨーロッパの古い街が
広場を中心に 環状型に設計されているように
同じように 田園調布や 慶応大学のある日吉が
駅前から放射状に 街が作られているように
エネルギーを集め 留めるには
集落や街は 広場を中心に
環状型に作られる
人が集まると 輪ができる
人を並ばせると 列ができる
輪は 環となり 和が生まれる
列は 順番となり 序列が生まれる
街は夢殿の 集合無意識の 投影だから
私たちの意識が 序列に支配されていれば
街の形は 四角い 列を作る
どんな人が撮っても 美しく撮れるのが
木の写真のいいところ
何枚撮っても飽きない
この世で一番美しい写真は
木の写真じゃないかと想う
木や海の写真 空や自然の風景
誰が撮っても きれいに撮れるのは
そこに嘘がないからかもしれない
遮光器土偶 馬場小室山遺跡 in 三室(浦和)
遮光器土器が発見されてたんだ
私よりもきれいな写真が載ってます(笑
やっぱり日中日の当たる時間に行かないとダメね
氷川女体神社の代々の神官である
武笠家が所有する土地から出てきた
馬場小室山遺跡
この一帯は武笠家が治める土地だったようで
神官が縄文集落跡を所有していたというのがなんとも
小室明神
遺跡といえば ここ三室は 遺跡だらけの場所になります
この小室山遺跡をはじめとして
有名なところでは 馬場北遺跡 松木北遺跡 松木遺跡 水深北遺跡 北宿遺跡 北宿西遺跡 東宿遺跡 大古里(おぶさと)遺跡 中原後遺跡 と多数があり
ちょっと掘り返せば そこらじゅうに縄文時代の生活の跡が見つかります(弥生時代も同様です)
そして もっと驚くべきことに 小室明神のように小さな神社がたくさんあること
それはほとんどが遺跡のそばにあること
古くからの農家の庭や裏手に 小さな祠が祀られていることが多くみられること
それらは 縄文時代には海であったと思われる場所を見下ろす高台や崖の上にあることが多いこと
この三室という場所は 他と違う 何かがある ふしぎな場所のような気がします
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