戦いは終わっていない
征服は終わっていない
いやむしろ 東征が始まったのだから
戦いが 始まったのだ。
覚醒を経験してから
支配者ではなく 落人となった一族や
この時期に 持ち上げられている 空海に
なぜか警戒心を 持ってしまう。
他の勢力が 目に入らないほど
なぜか 巨大な力が 見え隠れする
その理由が よくわからなかったけれど
封印された首塚のエネルギーが
東京の繁栄に寄与するほどの
ものであるなら
その力が その末裔が
日本を動かしていたとしても
不思議ではなく
その力の 源泉が
彼らの呪術によって 得られた
怨霊さんの力だとしたら
日本を支配しているものが 大陸からやってきた
密教系や ユダヤ系の 呪術によるものなら
怨霊さんの 真の敵に
意識下で 気付いているのかもしれない。
そして
多くの人が 薄々気付いているけれど
落人伝説の悲劇と その呪術や 能力と
それを発揮する ネットワークに恐れて
ユダヤ人を公に批判することが できないように
彼らを 批判することは
できないことに なっている
そう それはまさに 東京に繁栄をもたらした
あの首塚は 彼らへの批判を封じ込める
呪術なのではないか
むしろ 東京の繁栄とは 実は余り関係なく
ホロコーストと同じように
一族へと矛先を向ける 疑いの目や
一切の疑惑を 封じ込める
アイコンとして機能している
そんな気がして ならないのだ。
彼らが どんな存在でも たとえ真実を暴かれようとも
彼らを公に 悪く言える者は 誰もいない
そう考えると 首塚による結界というものは
彼ら一族の末裔によって 維持されている呪術であり
封印されていたのは 首塚ではなく
私たちの方である。
冷静に考えてみれば
首塚を蔑ろにして 起きた不幸は
怨霊に祟られたというより
呪術に長けた子孫が 集団で呪いをかけたと考える方が
自然であるのに
歴史上 滅亡したとされている
彼らの存在は 盲点になっている。
恐らく 彼らが 歴史から姿を消したかったのは
より多くを 支配するためかもしれない。
そもそも首塚は 言い伝えによって出来上がり
その地で 生まれたわけでも 死したわけでもなく
縁も由来もない所に 置かれているのに
その場所を移動しようとしたら
不幸が相次いだりするのは
怨霊となった魂の祟りのせいとするには
怪しく
祟りと称して
都心の一等地 千代田区の 日本の経済を支配する 大蔵省の側に
多くの想念を集める 呪術装置を
置いておきたかったのでないかと思う。
他で奉られている神社があるのに
何の縁もない土地に築かれた首塚を
失くしたからといって
魂は復讐するほど 世俗に執着する存在とは思えず
首塚をぞんざいに扱った芸人への祟りも
首塚の怨霊というよりは
選民意識の強い一族の 多くの末裔の怨みを 買ったせいだと考えた方が
現実的で 自然であるし
むしろ 古来からある 原住民や地霊に向けた怨霊信仰に
一族のアイコンを 重ね合わせ
神格化させ 多くの参拝者を招き
一族にそのエネルギーを 集めている様が
垣間見える。
この一族の末裔は 自分たちの身の不幸を 敵対した一族の
支配のせいだと思っているが
もしかしたら この国の地霊と 怨霊さんたちが
この国に呪いをかけた 異人たちへの
仕返しじゃないかと 思う。
そう考えていくと 今後の日本の行く末と
首塚の結界は
恐らく 何の関係もないどころか
かつてないほどの怨霊さんが 蘇っている今
私たちは 何も 心配することもなく
むしろ 長年の支配からの解放を
喜ぶべきときが
来ているのかもしれない。
これを編集しているとき
ちょうど熊本で 震度5。。。。(-_-;)
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