2011年10月24日月曜日

縄文時代をオカルト的に考察してみる 2

アースダイバーは、東京という街がまるで万華鏡のように散りばめられて棲み分けされている謎を、縄文海進期の地層をヒントに解き明かしている。
縄文時代に海だった沖積層だったエリアは、東京をフィヨルドのように侵食していくつもの川が流れ込み、リアス式海岸のように険しい地形を形成している。川に面する岬は死者が弔われる場所として、その後神社やお寺が建っている。そういった場所は住居を構えるのにはばかれるのか、活用されずに残ってしまうので大学やホテルや東京タワーなど、大規模に開発される建物が建設されるらしい。

これが人の集合意識が無自覚に行っているのか、それとも死者の場所に多くの人が集う場所にすることで人柱にしているのかよくわからない。誰だってそんな所には住みたくないからね。  
ホテルで幽霊を見る話がよくあるけど、立地にそもそも問題があることがわかる。

著書では、沖積層エリアには、湿度のある文化や経済が繁栄して、それを縄文的な感性が土地に宿っているとし、東京はそういった見えない力に導かれているという。縄文の持つ生命のエネルギーが、弥生の文化に比べれば生々しく感じられるかもしれない。

でも考えてみれば、沖積層は縄文時代に海だったエリアで、縄文人とは、縄文文化とは何の関係もない。
海だったエリアを埋立地にして、そこで文化を築いたのは弥生をベースにした渡来系の方である。
埋立地のエロスとタナトスの混じった湿った文化は、弥生以降のものではないか。


西部劇ではインディアンは、野蛮で残忍な蛮族として描かれている。洗練された文明は、土着の文化を得体の知れない禍々しいパワーとして描く。けれど、実際どちらが野蛮で残忍な性質をその文化に内包しているかは、白人の非道な歴史をみればよくわかる。ネイティブアメリカンを容赦ない悪役として描くことで、自分たちの残忍性を投影している。今ではそんなものが大嘘だとわかってるから、誰も西部劇を作れないw


同じようなことが縄文と弥生のイメージにも言える。縄文人が狩猟民族であり土器のエネルギッシュな文様が、農耕民族で集団生活を送る弥生的な文明をベースにする私たちからは黒いパワーに見える。けれど、農耕による集団化で中央集権という権力構造を生み、自然界に歪んだパワーをもたらしたのは、その力で虐殺の歴史を築いていたのは、のっぺりとして無害な弥生土器に表される私たちの方である。


埋立地の陰湿な気は、実は弥生以降の文明の、現代の本質を現しているにすぎない。
経済の中心、政治の中心、ぜ~~んぶ縄文時代は海の中にある。
ネイティブアメリカンの文化が、自然のエネルギーとともにある穏やかで開放的であるように、縄文の文化も洪積層で湿った文化が生まれないように、大地の息吹に吹かれてエロスやタナトスのイメージとは遠くなる。渡来系の文明は仮面を被っている。仮面の下に隠しているものを、縄文のイメージと重ね合わせている。でも、縄文の精神はもっと開かれているものだと思う。

西部劇の嘘がばれたように、これから縄文に対するイメージの変化が起こるかもしれない。
縄文の再評価は、これまでも何度もブームになっている。それでも未だに湿ったタナトスのパワーと解釈されるのは私たちの文明がいかに残虐に満ちたものであるか、認識が足りていないせいだろうし、それは弥生時代の、渡来系の侵略による古代の蛮行がまだまだ明らかにされていないせいかもしれない。


アースダイバー地図

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