石のパワーに魅せられて
ブレスレットを買う人が多いけど
日本で売られている 天然石のブレスレットが
皆同じ石の形で
まるで数珠のようで 気持ち悪くて
なぜ丸い石しか 扱わないのだろうかと
不思議に思うのは
私だけだろうか。
天然石のブレスレットをするなら
私は さざれ石のブレスレットが好き
グレードが低いと言われようが
効果が薄いと言われようが
そんなことは 気にしない(#^.^#)
原石のような形を残していて
いくつもの面が 光に反射して
石のエネルギーが あらゆる方向に
アンテナを伸ばしてる
パワーを飛ばしている。
ブレスの周りで 音楽を奏でている。
着けている人によって 風の音 海の音を
自然の音楽を まとっている。
デザイン的にも お洒落だし
古代の人間と同じように
石を身につけているような 気分になる。
きっと 古代のDNAが そんな気分にさせている。
丸玉のブレスレットは
面がないから
エネルギーは循環するだけ。
想いを広げない。
音も聞こえない。
数珠のように 魂を串刺しにして
連ねていて
まるで封印のよう。
パワーストーンのブレスを着けている人を見ると
一瞬ぎょっとするのは
潜在意識が 反応するせいかもしれない。
エネルギーに無頓着な 普通の人は
丸玉ブレスを わざわざ身に着けたりしない。
オーストラリアに行った時 初めて天然石のブレスを買った。
オーストラリアでは 鉱物がたくさん取れるから
天然石がよく売っていて アクセサリーのショップも多くて
天然石ビーズは さざれ石が 主流だった気がする。
日本に帰ってきて お店で売っている天然石ビーズが
丸玉しか見かけなくて
売っているブレスが どれも丸玉ばかりで
そしてそれに疑問も持たずに 成り立っている世界に
とても驚いた。
さざれの天然石ビーズは 値段も手ごろで
皆の手に渡ることができるものなのに
日本では パワーストーンという売り方で
付加価値をつけて 高価にして
囲い込んで 市場を作っている気がする。
さざれだったら 誰の手にも 自然の力が 行き渡るのに
力を欲するαが 牛耳って
同じ仲間にしか 手が出せないようにするならば
デザインが数珠に なってしまうのも
合点がいく。
もしくは ブレスの石の並べ方で
人々から エネルギーを奪うべく
呪術装置を 仕掛けたいのかもしれない
秋の夜長に そんなことを 妄想してみた。
自然の力が強くなる 春分秋分の日に
丸々としたおはぎを食べる習慣や
月の力が増す 中秋の名月に
白いお団子を食べるのも
そしてそれを 串刺しにするのも
まあるい魂を食べるように見せて
蘇っている怨霊さんたちへの
見せしめではないかと
思ってしまう。
私は 数珠のような たくさんの丸いものを見ると
昔から あまりいい気分がしない。
イクラのような魚卵は 見るのも苦手で
とくにシシャモの卵は 恐怖だった(ToT)/~~~
何よりも それを食するという行為に
拒絶反応が出てしまう。
魚の目も 恐ろしくて
目玉はどんなものでも 恐怖を呼び起こす。
人間の魂が 肉体のどこにあるのかと
考えたら
恐らく目玉に あるのではないかと思う。
魂は 白くて丸い
または 目玉のように黒い光彩
動物は 潜在的に
そんな風なイメージを 魂に抱いているような気がする。
田んぼのカラス避けが 黒い目玉を模しているのも
目玉オヤジが なぜ目玉なのかも
魔除けのトルコ石 ナザールボンジュが
目玉そのものなのも
動物のDNAは
そこに魂を見てしまう。
数珠がなぜ 一連の丸い玉なのか
葬られた多くの魂を 一連にして
供養している
そんなイメージが 沸いてくる。
この国の文化や風習のほとんどが
怨霊信仰から来ていることを知ると
いろんな慣習に その信仰を見てとれるし
呆れるほど ほとんどのしきたりが
封印のための 呪術であったりするのは
それだけ この国の 土着の魂の力が
その魂に力を注ぐ 自然のエネルギーが
凄まじいものなのかもしれない。
穏やかな国民性のこの国に
神の祟りのような災害が なぜ多いのか
ずっと不思議だったけれど
この国の成り立ちを知れば
むしろよく今まで 崩れなかったと
かえって不思議になるほどだ。
ちなみに 天然石の浄化には
観葉植物と一緒に置いておくと
植物さんが 浄化してくれる。
エネルギーを取り入れたいなら
月の光や 水晶もいいけれど
悪いものを取り込んで
きれいなエネルギーにしてくれる
そんな浄化のお仕事は
樹木や 植物さんが
一番得意なことなのです。
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