働くことは 楽しいけれど
時代がどんなに進んでも
睡眠以外の 一日の大半を
労働しないと 生活できないのは
奴隷と何が 違うのだろう
現代人は ローマの奴隷よりも
拘束時間が 長いらしい
奴隷になることを 拒否して 何千年も
森の中で暮らしてきた 山の民は
この国ヌシであり
この国の支配者ですら 何者かに支配されているなら
何者にも 隷属しない その精神と その生き様は
この国の 本当の 王であることを
示している
自己実現とか 成功者とか お金持ちとか
支配者と 奴隷によって作り上げられた
社会のシステムにおいて
人が羨む成功を手にするほど
精神は
まるで 立派な奴隷となっているようで
どこかで 誰かが 笑っている
そんな気がしてしまう
より良い社会のために
と皆が思うほど
社会がどんどん 窮屈になっていくのは
どんどん 何かに隷属して行くのは
「より良い」という言葉に
仕掛けられた何かが
あるのかもしれない
「皆」という字にも
比較や 比べる の比が入っていて
この言葉を 使えば使うほど
何だか 競争が 激しくなりそうだ
医療が 発達して
長生きできるように なった気がしているけれど
平均寿命が延びているのは
およそ生きているとは言えない状態でも
死ぬことが できないからかもしれない
人というのは 自然から離れれば 離れるほど
生命力が 弱くなっていく
海や 森 大地や 山 河に近いほど
たくさんの 生命力を もらっている
山の民は 妊婦が出産をすると
赤子と一緒に 川に入って
禊をする
冷たい川の水が 産湯となり
生まれたときから 山の民は
川とともに 生を繋いでいく
沐浴は 彼らの体を
活性化させ 抵抗力や 免疫力をつけていくから
男女とも 体力があって
健康なまま 長生きしている
女性は 出産した次の日から
歩いて移動できるほど 安産で
初めて抱かれた 男性とは
ずっと添い遂げて
尽くされて
女性が不浄なものとして
扱われていた
この国の 長い歴史の片隅で
何千年もの間
実は こんなにも
おおらかに 女性が
その性を 楽しんで
生きていた集団が あったのだ
神社が 儀式と称して
性行為で生まれるエネルギーを
吸収しているというけれど
山の民は 夫婦の営みを
野外で行うことも 多くて
発散されるエネルギーは
自然のエネルギーと交換されて
彼らの生命力を
一層強いものに しているのではないかと
思ってしまう
私の前世の記憶か 何か知らないけれど
まだ 性の知識も体験も 未熟な頃
男女の営みが 密室で行われることに
違和感を 覚えていた記憶がある
自然の中で 動物と同じように 営むほうが
生と 性の エネルギーの解放 共鳴 交流が
自然のエネルギーと一緒になる
そんな純粋で 原始的な 体験でもあることを
どこかで 覚えていたのかもしれない
自然の中で 交われば
自然のエネルギーを受け取れる人には
身体はリラックスして 解放されて
とても大きなエネルギーが 入ってくる
人間の生活の中で これほどエネルギーが
交換され 流れる行為は ないわけで
とある秘密結社では
衆目の下に 行われる儀式があって
それは 場を共有するだけで
コードが繋がれるということなら
森の中で 行えば
樹木のネットワークと
繋がるということなのかな
神社で 行わせて
そのエネルギーを
自分たちのものにして
ネットワークを繋いでいるということは
宗教は その行為が
個人的なレベルを超える 力があって
人間の 動物脳に作用させる行為は
生物が持つ シンパシーや 第六感など
根源的な部分 個の意識を超えた繋がり 生物としての記憶の向こうに
深い影響力があることを
知っている
自然の中で 森の中で
同じことをすれば
森の 樹木のネットワークや
強く繋がれ
星や 月のパワーを
受ける 手段でもあるのかもしれない
女性の体は 大地や 海に 近いから
より開かれ 解放される
身体に眠る 原初の記憶を 目覚めさせ
自然と 強く 響きあう
最も簡単で 効果的な方法であるのかもしれない
住宅事情が悪かった昔は
特別なことではなかったから
案外こんな方法で
人は 自然から
採気して
命を繋げていたのかもしれない
森の中で 受胎すれば
森の精の エネルギーが
水の中で 受胎すれば
水の精の エネルギーが
新月や満月を浴びながら
星の光を浴びながら
受胎すれば
月の 星の エネルギーが
子供に宿るかもしれない
人はエネルギーで できているから
自然のエネルギーが
こんな風に
人の中に入っていて
そうやって 自然の護りのある
子供が生まれて
現代になって
人と自然の繋がりが
希薄になったのは
案外こんなところにも
理由があったり するのかもしれない
そんなことを ふと思った
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