2013年11月14日木曜日

ものかたり

マドモアゼル愛先生のブログから

ゼロこそリアリティ

計測できるものはすべて滅びます。それがゼロです。

・・・たとえば、お金が無くなる、、無一文になる、、、という現象を例に考えましょう。

どんな大財閥もいつかはゼロになる、、、何年、何千年かかるかはわかりませんが、形あるものは必ずゼロになるのです。この法則から抜け出ることはできません。

百億が最大値だった財産家は、やがて十億に一億に一千万にそしてゼロになっていったとしましょう。実際には自分の寿命が先に来て、物質ゼロの地点に自分が先に行ってしまうわけですが、便宜上、生きていて財産がゼロになる状況を想定してください。

このとき、百億が最大とすると情報はゼロとなり、最大値において情報から途切れたエントロピー最大値で崩壊の過程に入ります。

崩壊の過程に入ると質量が減るにしたがって情報は増えていくのです。情報とは思念ととってもいいし、感情ととってもいいし、思いと思ってもよいでしょう。要するに心や魂の働きのように、間違いなくその働きはあるものの、数値とてしては存在していないものを情報という言葉で表現しています。神と思ってもいいです。

それは質量の減少とともに逆に増大していくのです。百億が10億になる崩壊過程においては、90パーセントの情報が逆に増えています。とうとう財産を失ったときには、情報はピークに達しているのです。

この際の情報は財産に関与したこの財産家特有の情報となりますので、財産家がゼロを嘆かずに受け入れれば100億など目ではない多次元の財を今度は引き込むことが可能となります。

人生の悲しみがピークに達したときは、だいたいは質量のある金や家や恋人などを失ってしまっていることでしょう。だから悲しく苦しく不幸なわけです。

しかし、情報はその時極大値に来ていることを私たちはつい忘れてしまいます。形あるものを失うことで、情報の極大値を得ているのです。それは多次元につながる入り口でもあるので、その後の人生の成功を得た人は、人生の最悪期においてのみ運を得られることになります。

おそらくこの方程式は間違いないと思います。形を失う比率に従ってあちらの世界からの情報が増大してきているのです。

人間の死ですら、この原理から抜け出ることはありません。肉体という質量がなくなるにしたがって、情報の世界のエネルギーは増大していきます。そしてエントロピーゼロ、すなわち死によって私たちは多次元の入り口に立つことが可能になるのです。




崩壊の時代は
質量が減るに従って入って来る情報が増えて行く
そんな時代に物に執着すれば
情報が入らないまま崩壊の過程に巻き込まれる

100kgの人がどう敏捷に動いても
10kgの人の身軽さには敵わない

人が若さを失うとともに賢くなっていくのは
それだけ死に近づいているから
肉体というエネルギーを少しずつ失っていくとともに
その分賢くなっていく


野生の動物たちにいち早く自然の情報が入るのは
彼らが何も持たないから


持たざる者に情報が集まるのも自然なこと
平和な時代=結界内の時代と違って
崩壊が始まった時代は
エネルギーの法則が違うものになるのかもしれない

たくさんの物・資産を持つことが
富であり力である世界
これからの時代
それはただ100kgの肉体のようなものだとしたら



強固な結界に護られた時代は
物こそ力の象徴だった
ゼロの先とアクセスできないから
閉ざされた世界で
物によって支配することが可能だった
目に見える物以上に大きな力がこの世界にはなかった
だから呪術が成り立った
物を使って呪いをかけることができた


でも今結界が緩み穴が空いている世界では
ゼロの先へエネルギーが流出する
物の力は以前のように大きくはない
物のエネルギーはゼロの先へと
見えない世界へ転換される
それは情報へと姿を変えてこちらに戻って来る
封印に使われた物は情報へと形を変え
その正体が本質がこの世界にバレていく
こうなるともはや呪術や封印は不可能になる
呪術や封印は物の力によって誘導し錯覚させることだから
錯覚させることができたのは
私たちに入って来るエネルギーが
情報よりも物の力の方が大きかったから

でも私たちの元に物よりも情報が入ってくれば
錯覚だったと知られれば
呪術はもう何の役にも立たない


封印のために置かれていた石は
それが封印だと知られればもう封印ではないし
封印されていると想われなければ
封印にならない


物によって隔たれていたゼロの向こうの世界と
物を介さずに繋がってしまえば
物によってなされた呪術は何の意味もなくなる





この国を裏で支えていたのは
物部氏の物部神道

支えていたというより
表で支配できるよう
裏でこの島の怨霊を抑えていた
封印していた


物部氏による鎮魂の儀式
鎮魂祭は毎年新嘗祭の前日に行われる

鎮魂祭は物部氏の招魂によって(元祖ニギハヤヒ)
天皇に霊力を授けるというもの
それによって翌日の新嘗祭で
天皇はフレッシュな霊力を身に着け
この国を治めて行く

鎮魂祭はもともと旧暦の11月寅日
冬至の日に近い寅日に行われ
長らく宮廷祭祀の秘儀であったという
寅といえば鬼門・東北
鎮魂しているのは縄文の魂
鎮魂の儀を新嘗祭の前日に行う物部氏は
封印係として裏に控えた
下ったのかなあと

軍事の専門であった物部氏が
いつの間にか祭祀を司る物部神道の祖となったのは
元祖封印係である彼らの霊力がどこから来たのか
想像がつくもの


表向きは古代の天皇の魂を招魂して
現天皇の体に込めるという呪術らしいけど
新嘗祭の前日・鬼の日に縄文の魂を鎮魂し
古代に征服した天皇の力を蘇らせるというのは
侵略した当時の支配者意識を呼び起こすようなもので
ちょっと恐ろしい

私たちよりもずっと支配者たちは
その原点を忘れていない
毎年儀式を行うことで侵略者たる自分たちの立ち位置を
常に振り返っているということ
丑年丑日に伊勢神宮の遷宮が行われるように
鬼の寅日に行うのは
天皇の原点が島の封印であるから
支配の霊力はそこから生まれている


太陽の力が弱まる冬至の季節に
新たな霊力を身に着けて
新しい年をスタートする




「鎮魂祭」、新嘗祭前日の天皇家祭祀(一)(二)


そもそもが天皇の霊魂を呼び返し、体に込めようとする、一種の魂返しの呪法で『日本書紀』「天武紀」天武天皇十四年(六八五年)などでは、「招魂(たまふり)」という字を当てているのです。

鎮魂祭の儀式の「ミタマフリ」の所作が、ニギハヤヒ命(饒速日命)が所持していた十種の神宝に由来することも謎ですが、天皇家の祭祀(宮中祭祀)は、あまりにも謎が多く存在します。

大嘗祭・新嘗祭とその前日の鎮魂祭は本来別々の祭儀ではなく、一続きの祭儀であったようです



ニギハヤヒの復活だとか
ちょっとバカらしいと想うのよね
物部氏主催の鎮魂祭も新嘗祭・大嘗祭も
全部一つの祭儀として何千年も行われていたんだから
ニギハヤヒのどこが封印されているのかと
ニギハヤヒはちゃんとこの島を封印していたじゃないか

軍事を司っていた一族が祭祀をしきるなんて
きれいごとのような気がする

祭祀といえば聞こえはいいけど本当は
祟りや復讐に対して呪術を駆使して
恐い顔で睨みを利かせるという役だったんじゃないの

DQNはあんなに血の気が多くて
ケンカばっかしてるのに
エネルギーに敏感で強運なのが多い
憎まれっ子世に憚る

ホームレスをいじめたり
公共のエネルギースポットに落書きをするのもDQN

物部氏の方々には悪いけど
軍人の専門家で祭祀を司る物部氏の先祖って
現代のDQNに近いイメージw



呪術は物によってかけられる
物部というのは呪術師の系譜ということ
役小角の弟子も物部氏だった


こうなると少しずつ物語の本質がみえてくる
悲しいかな
物語というのはもともと呪いのようなもの
クリエイターはストーリーテラーは
呪術をかけて世界に誘い込む
呪術師のようなもの



もののふ【武士/物部】とは。
1 武勇をもって主君に仕え、戦場で戦う人。武人。武者。兵(つわもの)。もののべ。
2 (「物部」と書く)古代、朝廷に仕えた文武の官人。


物の怪

当時の古語では「もの」は鬼、精霊、荒魂(あらみたま)など、もしくは明確な実体を伴わない感覚的な存在のことを指しており、『大宝令』で疫病のことを「時気(ときのけ)』と書いているように「け」とは病気のことを指していたことから、「もののけ」とは「もの」によって生じる病気のことを指していたものと見られている。


もの(鬼、精霊、荒魂)を扱う係りだから
物の部


『もの』が物質の『物』に転じたのは
古代は物とは人が精魂込めて作るもので
物=エネルギー、は当たり前だったのかなと

また『もの』を封じ込めるために使うから
物質を『物』と呼ぶようになったのかも

『物』は『もの(エネルギー)』が形になった
転化したものだから
『物』が『もの(鬼、精霊、荒魂)』を封じ込める


呪術はそういう思想によって生まれたのかもね



 
物語りは物騙り





寅といえば鬼門=東北=縄文
ずっとそう書いて来たけど
最近本当にそうなのかなと想ったり

寅は虎でネコ科の動物
縄文時代にこの島にネコ科の動物が居た形跡がない

封印しているのは縄文というより
鬼に代表されるような
製鉄技術を持って真っ先にこの島に入った
古代渡来人かもね~と

彼らはネコの起源である中東の民族で
本当の意味で縄文を一番初めに侵略した人
縄文文化に鉄はないからね

私が知らないだけかもしれないけど
どうもここら辺の渡来人の歴史が
曖昧な気がする

記紀以前の時代だからか
稲作の到来は語られても製鉄技術の到来が語られていない
日本の歴史の中に書かれていない

ヤマトタケルや神武天皇に始まる弥生時代の前の渡来人
稲作を携えて来た天皇の系譜以前に
製鉄技術を持ってやって来た渡来人の系譜
ここが原住民と一緒にされている
(確かに後から来た稲作組からしたら原住民だろうけど)

稲作組が鬼門として封印しているのも
先に居た製鉄組の系譜で

天皇の系譜を倒したいのも
これから台頭してくるのも
製鉄技術を携えてこの島にやって来た
もっとも古い渡来人の血筋


ヤマトタケルが征伐した地は
出雲や上総の阿久瑠王など
製鉄部族が勃興していた地だった
支配者の歴史に都合よく
敵対する者は鬼や悪者として扱われる

今までそう想っていたけれど
本当に鬼のように恐い人たちだった可能性もある
なぜ鬼の武器に鉄器が欠かせないのか
子供や人を喰うカニバリズムが付いて回るのか


縄文の魂は
製鉄とともにやって来たネコの系譜(鬼)に封印されていて
さらにそれを封印しているのがヤマトの系譜

でも鬼が甦れば鬼が封印していた縄文の魂に
一歩近づくことができる

縄文の魂はもうほとんど自然と同化してしまって
魂としては存在していない

封印に封印が重なり
もう土の奥深くへ
海の奥深くへ潜ってしまった


自然災害による結界の崩壊
そんな形(エネルギー)でしか
もう私たちの前に姿を現せない


日本の風土の中に姿を消したように
私たちの意識の奥深くに封印されていて
個人個人よりも国民性や県民性という集合体の無意識の中に
縄文は浮かび上がる

名もなき人の見えない所に縄文は生きている



なんとなくそんなことをぼーっと想った



最近ね
テレビで急に柴犬の顔が
画面いっぱいに映ったの

犬の顔が違って見えた
あんな風に見えたのは初めてで
一緒に見ていた母も私も
一瞬固まった



結界が壊れたら
動物の顔も変わるよ


動物に罪はないよ






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