2011年10月11日火曜日

ハメルンの笛吹き男

昨今流行の  陰謀論と  ナショナリズムの台頭は


本当の敵から目を逸らせるための  集合意識からの指令かもしれない。


日本は世界の雛形と考えれば


その原型が  必ず日本にあるわけで


フリーメーソンは  血筋の海外版


白人が 真綿のように締めてくるのは


日本の征服者と  源流が同じだから。


震災も  災害も  経済不況も


あたかも敵が  外部にいるかのように錯覚させ


人々の関心を外へ向けさせれば


日本で本当に起きていることに  気付かれない。
 

陰謀論を積極的に唱えていたり


ナショナリズムを  喚起しているのは


恐らく血筋の人たちだろう。



尊敬していたジャーナリストの青山氏が  


霊感の強い人だと


フクシマの取材で始めて知った。



まだ陰謀論の方が  救われていたかもしれない。


縄文を征服し  人々を自然から切り離し


エネルギーを独占して  この世の不幸を作りだし


何千年も人々を支配してきた存在が


市井の民として  静かに生きる  隣人だとしたら


一体何を 信じればいいのだろうか。



けれど  人の苦しみや悲しみは   日々の生活の中にあり


その大半が  血縁によるもので


人間の不幸が  血縁から起きていることを考えれば


魂を縛っているものは  


見えない悪魔ではなく


人間として  私たちの間に  潜んでいる。



力を握っている者は  


クリエイターや表現者  ジャーナリストや  予言者として活躍し


時代をリードしている存在でもあるから


私たちは  ハメルンの笛吹き男に   連れられていく子供たちと  


変わらないのかもしれない。


アセンションを高らかに唱えているのも  同じ存在だろう。



霊界のメッセージを受けて造られている作品には


βの魂の響きと  違和感があるものが多く


小説にしても  映画にしても  マスコミにしても


以前と比べて  離れつつある人が  


増えているように思う。


それでも彼らの真の姿に  永遠に気付かない人が  ほとんどだろう。


真実が明らかになる前に   彼らの魂は


地上を去ってしまうだろうから。



縄文スピリッツが残る  東北は


石川啄木や  宮沢賢治など  詩的想像力に優れていて


詩情豊かなイメージを持つ文化は


ちょうど東北に対応する  南米にもあって


ガルシア・マルケスや  パウロ・コエーリョなど


物事を  詩的に捉え  幻想的に表現する


芸術としての文学の  最後の地と言われている


それに対して関西は  小説や評論の世界らしく


言葉巧みに 語りつくす  饒舌な文化は


鷹揚として  朴訥な  東北の詩の世界とは


対照的



言葉は  対立を生むけれど


イメージは  浸透していく


争いを産む  言葉の世界から  旅立って


イメージの世界に  戻る時代が


少しずつ  やって来るだろう  




黒曜石

0 コメント:

コメントを投稿