2011年10月3日月曜日

信州のオカルト的考察  番外編

8月のお盆のとある日


長野に住む大叔父が亡くなった。


アルツハイマーを患っていたが


生活には困らない程度で  お盆に帰省した娘夫婦や孫たちに囲まれながら


久しぶりに一杯やって  つまんだ刺身を喉に詰まらせた。


まるで眠るように安らかな最後で


皆に看取られながら  あらかじめ予定されていたエンディングのように


息を引き取った。


独りになった大叔母は


東京に住む娘の家に  今後は身を寄せることになり


結婚してから数十年  半世紀経ってもいまだに余所者扱いされるという信州の地を


最後まで愛することなく  


長い長い封印が  ようやく解けた瞬間だった。



南国の明るい太陽の下で育ち


都会で大学生活を送った大叔母は


長野行きを余儀なくされる大叔父との結婚で


見知らぬ土地に嫁ぐことに


家族中から反対されたけれども


婚期の遅れを気にして


信州の地を踏むことになった。


商売人の娘で  気さくで大らかな大叔母の気質は


保守的で  排他的な土壌に とうとう慣れることもなく


質素倹約で 寡黙な役人の大叔父は  そんな大叔母の救いにはならず


一家は  末娘の自殺という悲劇に


見舞われることとなった。


娘の死に  感情を表に出さない大叔父は  


涙一つ見せることもなく


娘の墓から離れることができずに  大叔母は  


二度とその地を去ることが  できなくなってしまった。




今年は娘の死から三十年が経ち


虫の知らせか  大叔父は


死の数ヶ月前から 


知り合い筋に筆をしたため 


まるで遺書のようだったと  大叔母は言う。


回収の季節が始まり


お盆に死者の魂が還って来てすぐ


大叔父が連れて行かれたのは


末娘の魂が  母親を救うためなのか


それとも  封印をしていた父親から  取り返すためなのか


それはわからないけれども


私にはやさしかった  大叔父の死に涙しながらも


一月経って 胸に迫ってくるのは


無念のまま死を迎えた  末娘の想いで


知らない時代の出来事なのに 


とても生々しいものであった。




亡くなった大叔父についてのことを  書いていいものか迷ったけれども


自ら命を絶った娘さんの生々しい想いが


私に筆を取らせることになった。




転勤によって信州に封印された大叔父と


結婚によって封印された大叔母に


娘の死でさらに輪をかけて施された封印。



NHKの朝ドラで、安曇野を舞台にした「おひさま」が流行っているんだよ、と言ったら


松本は文化的でいいかもしれないけど、長野の人間はあんな人達じゃないという。


大叔母にとっておひさまは  南国のまぶしい太陽のことで


信州の太陽は  大叔母の心に陽が射すには  日差しが全く足りなかった。



大叔父が亡くなってから数日後


役人仲間の訃報が大叔母の元に届き


信州の地でも  着々と無念の魂が  想いを晴らしているようだった。



噂によれば  この土地は  五代続いてようやく認められ


土地の人間になるには  およそ二百年かかるという。


「土地を守る」というのは  尊いことのように思っていたけど


封印係として  土地の気を帯びた人間が  


務めを果たしているようにも聞こえて


二百年も経てば  立派な封印係として  家系的な要素より


完全に土地の気に染まった  


人間が出来上がる気がする。


この地の人間になるには  


封印係になったかどうかということで


地元の人間の言う言葉には  


時折空恐ろしい事実が隠されている気がする。



封印を解くということは


もしかしたら そんな人たちから解放することであれば


今後も犠牲は避けられず


田舎といわれる地ほど  因縁にまみれているようで


横溝正史の小説の  おどろおどろしさを思い出した。


小説の多くが  古い因習に捕らわれた村を舞台にし


奇妙なほどに禍々しく 


人の心を引き付けるのは


潜在意識で多くの人が何かを知っており


今となっては  怨霊さんの取り返しの話のようで


小説の舞台に  岡山が多いのも  


作家に憑依して  書かせていた気がしてならない。



封印係となっていた人々が去りつつあれば


まだまだ道は長いけれども  


信州の長い長い封印が  少しずつ解け始め


この地の空気も少しずつ和らぎ


閉じ込められた魂が  自由になって  解放されることを  


祈っている。

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