2011年10月19日水曜日

縄文時代をオカルト的に考察してみる 1

稲作は土地の気を落とす


お米には随分お世話になっているから  申し訳ない気がするけれど


森が近くにある田園と  一面に広がる田んぼの中では


受け取る気が全く違う


森や林がある田園地帯から  車を走らせて  見渡す限りの田園風景に入った途端


気が落ちて  退屈になった


日本人の生活にはお米が欠かせないから  田んぼは必要だけれども


必要最低限に抑えても  いいのでは


恐らく地方の気が落ちたのは


稲作のための  大規模な開拓もあるのではなかろうか


特に東北や九州でも米所と言われている所の方が  


他の産業が育たず  貧しい気がするのは  気のせいか


原生林をもっと保持していたら  気を都会に奪われても


まだエネルギーを補充できたのではないかと  思ってしまう


人の生活というのは  植物を育む森と  生活上必要な畑や田んぼが


共存した中で  森と共に暮らす集落が  


人の霊性にとって  理想的なのかもしれない



一ヶ月前にこんなことを書いてから、縄文時代に関する本を読んでみたら、縄文人の生活は森と共に暮らし、森を育てていたことがわかった。

狩猟採集のために森を移動していたわけではなく、食べ物となるクリの木を育て、植物の採集と狩猟の生活で定住していた。流浪の民じゃなかったのね。

縄文人は森を育てていたのか・・・(゜o゜)

雑木林を育て、生活の中で活用していく里山の文化は、縄文DNAから来ているのかもしれない。
弥生人は、森を開拓しちゃうからね~。

縄文人が一番多かったのは意外にも関東地方で、人口密度も遺跡の数も一番多い。
私はてっきり弥生人の入植で東日本に追いやられてたと思っていたけれど、実は元々東日本に住んでいたらしくて、西日本は人口的に空白地帯だったようだ。

東日本といっても中部地方まで含んでいて、南アルプス~北アルプスの高地にたくさん住んでいた。
西日本も、九州南部や紀伊半島の東側では、縄文遺跡が多く見つかっている。

小山修三の人口推計に用いた遺跡分布図
遺跡分布図



縄文時代は、今より平均気温が二度ほど高かったらしいけど、それでも東北は寒かったろうし、関東周辺が気候的には住みやすいんだろうね。
関東は今と違って内陸まで東京湾が入り組んでいたから、人口エリアはもっと内陸。現在地震で地下水脈が動いたとしたら、恐らくこの時代の水脈に近いものになるのかもしれない。こう見ると、都心と呼ばれる場所はほとんど埋立地だったことがわかる。どうりで気がよくないわけだ。液状化が心配なところ。都心はアウトだけど、他は縄文人が暮らしていたくらいだから、この地は一万年以上前から人間が暮らしやすい土地なのかもしれない。何せ縄文メッカだったわけだから。

縄文の子孫と呼ばれるアイヌの人たちの1割以上が、首都圏にいるのが不思議だったけれど、何となく納得。彼らの故郷なのね。1割を多いと見るか少ないと見るかもあるけど。


縄文海進期の南関東の海岸線(春成秀爾による)
縄文関東海岸線

ところで、中沢新一氏がアースダイバーという本で東京の縄文マッピングをやっている。

これを見ると、川で漁をする生活には最適だけど、この水脈が蘇ったら現代的な生活や流通は無理だよね・・・。

アースダイバーマップ
アースダイバー




縄文人は飲んべえだった―ハイテクで探る古代の日本

アースダイバー

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