2015年3月9日月曜日

木星の導き 2



歴史ドキュメント・「戦国九州奴隷貿易の真相に迫る」
事実ここで取り上げた奴隷貿易にしてもアフリカ大陸だけに限定されていたものではなかった。
過去にはアジア地域にも波及していていたわけで、日本や中国、朝鮮半島、東南アジア全域にまたがる奴隷取引と市場ルートとが形成されていた。





たまたま見つけたのですが
ありましたねやっぱり


九州はアフリカに対応するから
黒人の奴隷貿易のメッカだったアフリカで起きたことが
九州で起きてても不思議じゃない


女性だけでなく罪人とか子供とか
子供の人身売買は現代の中国やタイでも
問題になってますよね


九州の奴隷貿易が事実だったなら
本当にひどい話ですよ
あのアフリカの黒人奴隷の歴史と
まったく同じことが戦国時代の日本でも行われていた



戦国時代って戦国武将たちの武勇伝で
日本史の花みたいな扱いでしょう?

この時代をヒーロー物語にしているでしょう?


だから戦国時代の奴隷貿易について
ほとんど誰も知ることがない


お金がなきゃ戦なんてできない
戦ばかりやってられたのは
どこかから資金を得ていたからで
当時の日本にどんな資金源があったかと考えれば
奴隷貿易の存在が自ずと明るみになるはずなのに


この時代だけなぜか
英雄物語の華々しさに隠れて
経済からの考察が乏しいような気がする


いつの時代も
人の流れにはお金の流れがあるはずなのだから
これだけ人の流れが大きく動いてた時代
お金も大きく動いていたと考えられると想うんだけど


この時代の人口減の何パーセントかは
奴隷貿易のせいかもしれないし
戦国時代の戦死者のカウントに紛れてさせて
わからないのかもね・・・




世界各地のキリシタンの布教活動と
奴隷貿易が同時進行なように
17世紀の日本で同じことが起きていた可能性は
ちゃんと史実化しないといけないはずだわ
日本史だけでなく世界史の観点からも






ラッスンゴレライというネタが流行ってますが

これを  ラッスン  ゴレ  ライ

と分けてみると


ゴレ島というのが実在するらしく

アフリカ大陸に西端にあって

奴隷貿易で有名な島らしく  世界遺産にもなっている



このゴレ島のポジションは  


長崎の出島と対応するんです



ライというのは   来(ライ)でもあって


ラララライ体操で体操着姿で走っていたように

ライには連れて来るとかやって来るとか
そういう意味がありそう



ラッスンはよくわからないけど
私が奴隷貿易のことを想いだしたのも
今世間でこのフレーズが流れているせいかもしれない



死者の声が少しずつ大きくなっているから


さまざまな音に乗せて   死者の声が流れて来る


歴史の暗部を   暴き出していく





このネタはね  ちょっと怖いかもね

このネタを真似た  ナントカラジオが
このネタをやりすぎて急に声が出なくなったり

リズムネタで売れたことを批判したバイトリーダーが
その後ラジオを終了させられたり

面白くないと言った関西の大御所芸人が
川崎の事件でトンデモ発言してドン引きされたり



奴隷を連れてこいっていう
呪いの言葉ですからね。。。


平家のかけた呪いの罠に
どれだけ引っかかるかのかな






ちなみに長崎の出島の前に
日本三大名橋の眼鏡橋があるんですが
今DASH島で眼鏡橋作ってるらしい・・・w

もちろんこの三大名橋には
岩国の錦帯橋も入っていて  後は日本橋


DASH村は福島の避難区域にあったし
DASH島は姫島の近くを選んだ
岡山で女児誘拐事件が起きる前に
倉敷でロケしてたり
まあこの番組は自然や地方に呼ばれて
製作しているので
お告げ体質がありますよ







戦国九州の奴隷取引の実態を追跡する 戦国九州奴隷貿易の真相に迫る(2)
一説によると、火薬一樽は日本人の娘50人で取引されたという。(注:6)
始 めて耳にする者にとってはこれはいささか衝撃的な数字であるが、当時のアジア地域の交易市場ではそれが通用していたということに他ならない。おそらくこの 数字は当時の相対的な取引相場の伝承口伝であって、火薬一樽が20人とか30人、需要が急増すれば最大50人でも交換取引されたということになる。この件 についての信頼できるはっきりした記録そのものは伝承以外に原本史料としてどこかに残されていると推測されるが、いまのところその確認を取ることは困難で あろう。

ここらには戦後の占領下で欧米史観一色に塗り替えられた複雑な歴史的経緯が絡んでいる。日本人奴隷についての研究書は戦前はあったが、戦後GHQが出版社や図書館からすべて精査回収した焚書文献については、「総目録・GHQに没収された本」(占領史研究会刊)に紹介されている7,119冊の中にそれらは大方含まれている。

いわゆる当時の西洋やキリスト教を批判するといった欧米文化を冒涜する書物はこれによって悉く排除された。




GHQの占領政策で出版禁止とか
言論統制があったのは知ってるけど
それは大日本帝国に関するものや
せいぜい明治以降のものだと想ってた


戦国時代の黒歴史まで及んでいたとは
からゆきさんのこととかも
都合の悪い資料がどうりで出てこないはず


調べてみると焚書とは大袈裟みたいで
販売ルートを止めた程度だとか
じゃあ探せばあるんじゃないの




火薬はそんなに高価じゃなかったと言う人もいるんですが
高価じゃないものをふっかけて売りつけるから
莫大な富が生まれるわけで
自分たちの所になかったら言い値で買うしかないですよね


日本人が早々に鉄砲技術を学んだのも
もの凄くふっかけられてたからでしょうね
いつまでも奴隷を用意できないでしょうし


女一人も牛や馬と同じ扱いか
それ以下の取引だったとか





アジアにおける日本人奴隷の悲惨な実態 戦国九州奴隷貿易の真相に迫る(4)
当時、ポルトガル商人は争って日本人の女奴隷をアジアで買い漁っていたという事実がある。商人に従う使用人や水夫までが、そうした日本人奴隷を安価でたやすく手に入れることができた。ポルトガル人などの南蛮諸国の白人の間では、日本人の女奴隷は特に珍重されていて、マカオなどの奴隷の集散地や市場でもアジアの女性の需要が多かった。(注:3)

そのため中国人、日本人の女性だけを満載した大型のガレオン船がマカオやマニラを拠点として、そこからアカプルコ、ゴアを経由する定期航路を経てヨーロッパ市場へと続々と輸送され売られていった。1555年当時からそれ以降、中国、朝鮮半島、九州各地から人買い商人によって奴隷要員は集められ、マカオがもっとも大きな集散地となっていた。

少なくとも、ここでいう奴隷とは人間扱いされない意味での奴隷であって、家畜売買のそれと同等の意味ということであることをここでははっきりと確認しておかなくてはならない。そうした奴隷は買い入れられた価格の10倍以上の値で転売されていて、商品としての利幅が大きかったが、輸送時に熱病などで死亡すればゴミ同然に海中に棄てられた。そうした劣悪な環境での輸送では奴隷の死亡率はきわめて高く、航海が長い場合は3分の1から4分の1が死亡し廃棄された。

・・・奴隷貿易が盛んになると同時に奴隷船の寄港地の港やその周辺で売春宿が増え続け、感染力の強い梅毒が広がり続けた。
ここで注目されなくてはならないことは、当然のごとくそうした非人間的扱いを受けた女性たちの多くがきわめて短命であったことである。

●使い捨ての日本人傭兵
一方では日本人男子も当時の東南アジアのバタビアやインドなどの植民地での戦闘員、少年兵、傭兵としての需要が少なからずあった。 奴隷貿易・奴隷取引ポルトガルの植民地政策によって、それらの拠点には城砦などの軍事施設があり、相当数の兵士が常駐していたのである。日本人傭兵がそう した地域の戦闘や争乱に、頻繁に戦闘要員として駆り出されていたことが記録に残されている。ポルトガルによって占領されたインドのゴアの要塞では、特に勇 敢で好戦的ということで、度々襲ってくる原住民と戦う庸兵としても多くの日本人奴隷が使われていた。

・・・しかも当時のゴアは火薬の原料となる硝石の一大産地であったから、採掘労働者としても日本人の奴隷が従事させられていた可能性も否定できないところである。


今までに行われた売却は、日本司教の書面による同意を得て行われた。(中略)彼ら(日本人)は非常に好戦的な国民で、戦争のためや、攻囲にあるいは必要に際して奉仕をする。少し前に、オランダ人たちのためにその必要が生じた際に見られた通りである。ゴア市から1 人の妻帯者 が、鉄砲と槍を持ったこれら従者7、8 人を従えて出征した。というのはインディアにおいては、兵役を果たすことの出来る奴隷は日本人奴隷だけだからである。ゴアの如き大都市では、その城壁の守りのために必要な兵士に不足することがしばしばあるのだ。 (1605 年、ポルトガル公文書148・「大航海時代の日本」高瀬弘一郎訳註)

こうした日本人の奴隷(建前は傭兵)は、ヨーロッパ市場より格段に安く買い取ることが出来たため、(それこそ牛馬以下の安値で取引されていたので)ポルトガル人はアジア地域の奴隷貿易でも莫大な転売益を上げることができた。

しかも奴隷売買に必要な輸出許可書(同意書)は、仲介業務に携わるイエズス 会がすべて発行するわけである。




スペインには四百年前の日本人の末裔が、少なくとも六百四十五人確認されている

戦国時代に奴隷となって海外に売られた日本人カップルがポルトガルの教会で挙式!しかしトンでもない悲劇が!



ちゃんと末裔が残ってますね

日本人奴隷の話が出てくると
必ずそれはねつ造だという反論が出てくるのですが
それは日本側にちゃんとした記録が残されてないからなのと
その事実を認めたくない気持ちがあるからでしょうね


でもスペインやポルトガルでは当たり前のこととして
自国の数ある栄光と黒歴史の一つとして記されている




豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎



826 2015/02/24(火) 06:11:41.95 PyUq3xj10
戦国武将なんかは人間狩りやるしそんなもんじゃね~の?
捕まりゃ奴隷市に売られるからな

















2 コメント:

奴隷集めとかそういうのまとめてたのが、寺だったりするんでしょうかね。今もキリスト教が子供を奴隷とか?臓器売買目当てで、とか噂ありますよね。。。
 
ねぶたの掛け声はラッセーラーでしたね。棟方志功はねぶた祭りが大好きでしたからね。
根蓋をしたものから年に一度だけ「ラッセー(出せ)」ということなのでしょうか?

そうか。出せ、ということなら、ラッスンが封印解きの呪文になっているのかも。
どんなに下らないことでも寛容なのに某たけしがこのネタに珍しく拒絶反応起こしたのもわかる気がする。黒いサングラスに赤い衣装も怨霊っぽいですもんね。

ねぶたは15年近く前にすごく行きたくて、行こうと約束していた友達が勝手に一人で行ってしまったんですよね。それ以来行く気持ちがなくなってしまって。屋久島にも行きたかったんですが、それも別の人物(たち)によって行けなくなってしまった。この人たちは私が行こうとする場所、私が好きな場所にいつの間にか行ったりしてて気持ち悪かったです。屋久島もねぶたも南北のコードが集まる土地。そこに呼ばれている気がしている時って土地を介して運や情報が降りて来ているかもしれないですしね。自分と縁のある別の人物が行けば、成りすましみたいなもんですね。あんまりこんな風に考えたくないけど何度も経験すると考えちゃいますね。
 

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