2014年6月22日日曜日

風立ちぬ

映画『風立ちぬ』を観た


戦闘機マニア   兵器マニアの監督らしく


日本の戦闘機開発の歴史が   詳しく描かれていて


映画のほとんどが   飛行機への憧れ


戦闘機の開発に   費やされていて


私はそれを見ながら   第二次大戦が起きた理由が


分かったような気がした






航空機が初めて実戦で使われたのが   第二次大戦で


技術の進歩と   戦火の拡大は


鶏と卵のようなもの


監督の飛行機への強い憧れは


まるで男の子が腕試しにケンカをするように


自分たちの開発した技術が   どれだけ通用するか


どれだけ素晴らしいか


それを試したくて   戦争を起こしている






飛行機の開発者に   戦争責任はないというのは


嘘だ


それは   作品の制作者に   その作品の責任がないというのと


一緒



戦争を起こした   起こしている   深いところでは


金融資本家が   金のためというのは


現実的な理由の一つであるけれども


それよりももっと強く   もっと深く


戦争を起こさせているのは


鉄の塊の   強い誘惑





原爆を作った科学者たち   戦闘機を開発したエンジニアたち


そういった   国家よりも   普遍的な分野にいる


創造者たちの方が   戦争の種を作り出して


想念の世界に   ばらまいている


国家はそれに   水を撒いて


大きく育てただけ






なぜなら   作り出された現実の前に


想念の世界で   必ずその設計図があるから


国は実働部隊に過ぎず   想念の世界で


文明を興しているのは


学者やクリエイターのような   頭脳の世界の住人


戦争は   彼らの発明品が


どれだけ効果を発揮するか   どれだけ優れているか


それを見たいためだけの   競技会のようなもの


それが証拠に   開発者たちは決して


競技会には参加しない


高見の見物で   内心とても楽しんでいる






若きゼロ戦の設計者が   夢を通して導かれるのは


映画の最後まで   彼を導くのは


航空機設計の先達   異国の伯爵


天国と地獄を作り上げたと   夢の中で語っている











宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「嘘八百」「神話捏造」
もちろん、自身が『風立ちぬ』で基にした零戦設計者・堀越二郎の戦争責任についても言及。堀越の著書である『零戦』は共著であり、もう一人の執筆者が太平洋戦争で航空参謀だった奥宮正武だったことから「堀越さんは、自分ではそういうものを書くつもりはなかったけど、説得されて、歴史的な資料として残しておいたほうがいいんじゃないかっていうことで、書いたんだと思うんですけど」と前置きし、「堀越さんの書いた文章っていうのは、いろんなとこに配慮しなきゃいけないから、本当のことは書かないんだけど、戦争責任はあるようだけれども自分にはないと思うって書いています。面白いでしょう? 僕はこの人は本当にそういうふうに思った人だと思います」と弁護。




 

パヤオ監督が   同じ時期に  同じ年に公開される


ゼロ戦映画を   毛嫌いしたのは


左翼思想を持つ監督が   自分の作品と


同じように見られたくなかったから



でもね   同じ時期に世に出されたということは


どんなに表向きは   反戦思想を持っていても


想念の世界では   同じ現実の種から生まれたから


同じ時期に   世に芽を出して   


現実という   花を咲かせているんだよ


想念の世界からみると   どんなに反戦思想を表に出しても


動機は   ゼロ戦映画と   同じ種類のものなんだよ


だって   永遠の0だって


別に戦争賛美の映画ではないらしい


共に   決して戦争を肯定はしないけれど


否定しているわけでもない   


そういう表現の仕方の方が   意識の上で   拒否反応を起こさせないから


余計無意識に   戦争の種を刷り込むことができるんだよ




作品を作ることで   戦争の種を   


想念の世界で撒いている


パヤオ監督が激しく拒絶したのは


そんな自分の姿を   まるで鏡に映すように


ゼロ戦映画が   自分の映画に続いて   公開を待っていたから


自分の正体を   見たくなかったのかな






監督が   開発者の心理   


戦争責任を自覚できないでいる


クリエイターの心理を   理解できたのも


無自覚だからこそ無邪気に   戦争を起こす種を撒いてしまう


そんなクリエイターの罪を


監督自身が強く   知っているからかもしれない





大量殺戮を可能にする   兵器の開発


鉄の誘惑によって生まれた   前世紀の


世界を炎で包んだ戦争は


古代に製鉄民族によって   世界中の先住民族が


征服された歴史を   再現している


パヤオ監督が   もののけ姫で撮りたかったのは


巨大な   深い緑に覆われた


この島の森が   たたらの製鉄部族によって


焼き尽くされて   


焼け野原(草原)となった姿で


それは   東京大空襲で


この島の縄文の地が   鉄の炎で


焼け野原にされた歴史と   重なっている






監督の戦闘機への憧れは


古代に鉄によって富を得た


鉄によってこの世界を制する力を得た


すべてを得た


製鉄民族の記憶が   突き動かしていて


それは鉄によって呼び覚まされる   力の幻想







風立ちぬがなぜ   ゼロ戦の開発者と


サナトリウム文学の   作家の作品と


ミックスされて描かれたというと


それは大正昭和のあの時期


想念の世界   夢殿を司っていた


大きな勢力が   文学であったのと


あの時代   西洋文明の流入で


夢殿崩壊の危機があって


肺結核の流行は   夢殿の危機によって


引き起こされていた


大きな集合体が崩れるとき


現実では   疫病の流行という前兆が現れる


実際肺病は   明治大正昭和と


日本が大きく変わる時期に   発生して


大流行して


敗戦後   新憲法と   象徴天皇によって


新たな体制が敷かれた後   鎮まった






ゼロ戦の完成が近づくにつれ


妻の病気が悪化する


特攻隊を死に追いやった罪の代わりに


大切なものを失ったのかな


そんなセンチメンタルな気持ちで


私は感動しながら見ていたけれど


最後の最後で   あの世のゼロ戦の墓場で


墓場の上で   にっこり笑う亡き妻が   


現れた場面を見て


私はゼロ戦がなぜ   神風特攻隊を生んだのか


突然理解した





映画は文学作品を合わせた創作だけど


あの映画が与えているヒントは


ゼロ戦を作らせた誰かが   その誰かはおそらく


肺結核で長くない命か   


それとも夢殿の主そのもので


崩れゆく自分の運命を   この世を呪って   


道連れを望んでいた


そんな誰かが   あの戦闘機の開発の裏に


潜んでいて


ゼロ戦の開発に   夢を通して   関わっていて


ゼロ戦という   空飛ぶ死神を   誕生させた


そんなイメージが   頭に浮かんだ


あの最後のシーン


地獄かと想ったら   天国だった


とうとう一機も帰ってこないものを   作ってしまった


そんな戦闘機の墓場で   にっこり美しく笑うのは


戦闘機を開発した   男の妻


誰が地獄を作ったか   誰が地獄を望んだか


パヤオ監督の後ろに   常に同業者の妻が控えているように


暗に監督は   黒幕の存在を   晒してみせたから


風立ちぬは唯一   パヤオ監督の妻の


承認を得られなかったのかもしれない






主人公は   妻と結婚してから


ゼロ戦を開発した


妻と再会したときには   妻はもう


肺結核にかかっていた


まるで自分を襲った病の怨みを晴らすよう


たくさんの道連れを   妻は夫に作らせた






作品は作者の子供のようなものであり


それは作者が発した   指令でもあり   呪いでもある


作品の影響によって起こされた犯罪や   影響に


罪はないとよくいうけれど


そんなのは大嘘



作品によって   いい影響が生まれたら


その作品のよさを   賞賛するのに


悪い影響の時だけ   罪はないとどうしていえるの


作者が全員   善人だとでも


想っているのかしら?


心の底に秘めた悪意を   消化するために


作品に昇華させている   クリエイターはたくさんいる


ある作品の影響によって   犯罪が生まれたら


それはその作品が密かに   指令を送っているから


まるでサブリミナルのように   DO  IT   が


作品の根底に   流れている







犯罪が増えた時期や   猟奇的な犯罪が生まれた時期の


少し前の人気作品を調べてみれば   


その作品の指令が   見えてくるよ


想念の世界に撒かれた種は   しばらく経って


現実化するから   ほとんどの人は


その影響に気づかないけれど






私の偏見だけれども


ゆうゆう白書が   大人気になって


その後から   猟奇的な事件が増えた気がする


私はこの漫画の   初期を読んだことがある


初めはコメディタッチの   よくある無害な


楽しい漫画だった


ドラゴンボールの最初が   ドラゴンボールを探す旅


ギャグ漫画だったのが   いつの間にか


天下一武道会で   バトル漫画になったのと同じで


ゆうゆう白書も   ある時期から   コマ割から


背景が消えて   気がつくと


真っ白な世界に   血が飛び交うような   


残酷な描写   バトルシーンが増えて


あののどかなコメディタッチは   どこへ行ったの?


シリアスな   オカルト漫画に一変して


とても驚いたのを覚えている


もともと   キャラのタッチは   学園ドラマっぽい


かわいい画風だったから


オカルト色が濃くなっても   


まるでかわいい子供が   殺戮を犯すような


恐ろしさがあって   人気もうなぎ上りになった





多分   途中からこの作家に誰かが  


乗り移っていて   指令を出していて


今の作品は   前作の人気を引き継いで


オカルト色な人気作品なのに


何度も休載しているのは   作者にやる気がまったくないのは


作家自身が描きたくて描いているのではなく


何者かに動かされて   描いているから






恐らくこの作家のファンに


作家に指示を送っている   霊能者   集合体がいて


というのは   平家の末裔の   予言者が


とても強くこの人を支持しているのが   とても奇妙に想えたから


私はこの作者の   のんきな頃の時代を知っているから


今の作品を作者が   好きで描いているとは想えないし


それを支持している   ファンにも


疑惑の目を向けている


もし好きで描いているなら   あんなに何度も休載して


いやいや描いたりしないよ



血みどろな作風に変化したとき


こんな残酷な漫画を   どうして載せるんだろう


どうしてこれが人気になるんだろう


いくら漫画とはいえ   ひどい


だけどそんな漫画が   少年誌で大人気になっていて


嫌な予感がしたのを   覚えている








ゼロ戦が特攻隊を生んだのは   ゼロ戦の開発に


生贄を作らせる   呪いが込められているから


それは古代にこの島を襲った   鉄の悲劇の再来






考えてみれば   日本が口火を切った   太平洋戦争は


結局   自分たちが一番   被害が大きくて   死者を出していて


まるでこの島の民を大量に   生贄として捧げたようなものだった


兵士が死に絶えるまで   戦を止めようとしなかった


その象徴が   無駄に若い命を散らした   ゼロ戦の特攻隊


海外から   日本兵が狂気の沙汰のように見えたのは   当然で


日本人自身が   死の呪いにかけられていた











特攻隊を美化した   永遠の0の物語と


それを生み出した   開発者の美しい物語


罪深いのは   どっちかな





暗い映画館で上映される   スクリーンに映し出された映画は


想念に対しても   訴えている


ゼロ戦の物語を   美しくまとめあげた映画が


2013年に   相次いで公開されたのは


あの世の英霊たちを   鎮魂しようとしているのだけれど


彼らの怒りは    悲しみは


もう誤魔化されないで   あの世とこの世の


結界が   境界が


崩壊するまで   


陸と海の境界を   波が超えるまで


もうそんなに時間がないかもしれない




















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