2012年10月28日日曜日

プリズム

最近のアニメを観れば


小顔で   大きな目   小さな鼻   小さな口


けれど開けば   大きくなる口


まるで猫そのものの顔が


アニメの作画を支配している


最初はデフォルメされた   それらの顔が


幼すぎて   面倒くさくなる


けれど慣れてくると   今度は


当たり前の絵が   猫のようにデフォルメされずに


もっと写実的な作画の絵が


面倒くさくなる


多分アニメは   そんな感じで


猫化がエスカレートしていったのだろう




猫に関する作品が増えている


それは   武士の時代の価値観が崩れていくから


起きる現象


でも多分   本当は


猫だけじゃなく   その先の


狼や   熊や


野生を残した動物たちの復活が   復権が


始まることを   意味している



人間の側にいる   犬と猫は


野生から   遠くなった存在で


その中でも犬は   オオカミが絶滅寸前で


自分たちの原種   ルーツからさえも


遠く切り離され   野良犬も


ほとんど居なくなって   久しい


犬は最も   野生から遠ざかった   遠ざけられた


生き物と言える



猫は人間の側に居ながらも


まだ野生を強く残した存在で


両方に   両足を突っ込んでいるようにも見える


猫ブーム   猫の人気は


犬のような序列社会の終焉を意味していて


それは   行き過ぎた管理社会に対する


野生の復活の兆しともいえる




猫を見ていると   猫の額とはよくいったもので


絶えず怒って   ケンカばかりしているw


他の動物に比べて   気性が激しく   闘争的


怒りっぽい性格


それが猫


象のように   大きな動物は


のんびりしているけど   カバだって怖い


猫はそれらの動物よりも   器が小さいのか?


エネルギーいっぱいだから


喜んだり   怒ったり


できるのかもしれないよね




野生には   いろんな色があって


そればいろんな種類の   エネルギーがあることで


プリズムのように   互いを照らし合っている


その響き合いが   新たなエネルギー   力を生み


様々な種の   変化と発展を


促している   






エネルギーを抜かれていると


人はイライラしたり   怒りっぽくなったり


不安になったり   悲観的になったりする


そういう感情を押し殺していると


今度は


体に異変が起きて


気づいたときには   体が参っている


怒りを溜め込むと   肝臓を悪くするという


肝臓は   沈黙の臓器と言われ


気付いたときには手遅れ


お酒が過ぎると   肝臓を悪くしやすいけど


それは怒りをアルコールで   紛らわしているだけかもしれないのだ


逆に   怒りを露わにしていると


常に自分に緊張を強いていると


心臓を悪くする


アメリカ人は高血圧で   心臓病が多いという


それは彼らが罪深いのかもしれないけど


いつもどこか駆り立てられている


いずれにしても   体は嘘をつかない


そして   生きるためには


同じことを   他人にするようになる


吸血鬼が   吸血鬼を生むのと同じ


無意識に   どこからか調達してくるようになる


そうしないと本人が   参ってしまうのもあるし


単純に


気は濃い所から   薄い所へ流れる


構造的な仕組みにもよる





正当な怒りを抱えている人に   魂に


器が大きい人は怒らない


怒るのは   器が小さいからだ


これから取り返しを始めようという存在に


怒りを溜め込んでいる存在に


そういえば   どんなに効果的だろうか







エネルギーを抜く人は


とても静かにしていることが多くて


気が薄いから   もともとのエネルギー量が少ないから


怒ったり   笑ったり


喜怒哀楽をはっきり見せる


無駄な浪費を   したりはしない


一見器が大きく   人格者のように見えるけど


実はヒルのようにべったりと


エネルギーの塊に


感情を放出する存在に張り付いて


自分の力にしていたりする




人の器など   そんなに簡単にわかるもんじゃない


そして   そんなものを気にするのは


特定の人たちだけ


多くのものを   集めて溜め込みたい   


そう想っている魂たちは


潜在的に   器を探す






今都市が   何とか持ちこたえているのも


多くの養分を   吸血鬼化させて


吸血鬼が築いた社会に   組み込ませているからで





働かないと生きていけない


通勤しないと生きていけない


お金がないと生きていけない




実際現状はその通りに社会は仕組まれているから


その通りでもあるんだけれど


その仕組みはそもそも


皆がそう想っているから


そういう仕組みとして   機能している


そんな矛盾に   多くの人が組み込まれているから


雁字搦めにされて   動けない現実


逃げられない現実が   作られる




錯覚させることで   全ての詐術


この世界は   築かれた




古墳やお城


権力を示す   昔の造成物には


人柱として   生贄が作られた




私がふと想ったのは


もしかしたら   建築物


人が作る人工物は   それだけでは


自然の力   緩衝に


抗うことができないと


信じられていたから   人柱が作られた



なんというか   どんな仕組みも


人工的なものは


最後に   それに命を吹き込むことで


生きた命を   吹き込むことで


自然物としての存在を許される


そんな意味もあって


人柱というのは   ずっとあったんじゃないだろうか


人工物を   自然の物だと錯覚させる


自然の想念体に   見えない想念体に


生き物だと錯覚させる


人柱というのは


自然の想念に対しての


一種の詐術でもあったかもしれなくて


そうすれば   建築物や造成物は


厳しい自然の環境の中でも


生き延びることが許されて


しかもその大きさにより   多くの想念を集めたのかもしれない


そしてそれが   それを築いた者の


パワーになった




ああだから   今の都市は


都市に集う人々は


古代建築の   人柱のようで


それがために   それが成り立っているけれども


いつかそれが


錯覚だと   詐術だと


自然に   想念体に


気づいたとき


気づかれたとき


彼らはどこに   私たちはどこに


行くのだろうか







サボテン

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