2012年10月2日火曜日

彼は歩いて去って行った

うとうとしているとき    あるイメージが浮かんで離れない


第三の目が   反応する






部屋の天井の角に   緑色のトレーナーを着た男性が


スパイダーマンよろしく   へばりついていて


それが飛び下りてくる



それとは別に


古代の男性が横たわっている


アラブ人のような   ユダヤ人のような   中東系の


横顔しか見えない   


びっしり髭が生えていて   頬にまで   髭が伸びている


時々目を開ける


死んでいるのか   眠っているのか


よくわからない   


表情はちょっと   漫画チック


草の冠を   つけている





天井から男が飛び降りる映像が   何度も繰り返される内


その男性から   トレーナーが消え


腕を広げ   へばりついていたポーズは


キリストが   十字架に掛けられていたときの


ポーズだった


男はどうやら   キリストのようで


十字架から何度も   飛び降りる映像に変わった


そして   スタスタと歩いて行った


その映像がまた   繰り返される



私はキリストは   もう崇められるのを


止めたんだなと想った


彼はもう   信仰の対象から下りるのを   決めたようだ







朝起きて   目が覚めて


また同じ映像が   始まった


眠っていたはずなのに   違う夢も見ていたはずなのに


同じ意識に戻ったのか


まるでワープしたように   巻き戻される


一瞬   時間がわからなくなった






何度も答えを求めるかのように   映像が繰り返される


ぼーっとしてたら


なぜキリストが   天井の角に  


まるで蜘蛛のように張り付いていたのか


蜘蛛!?


ああ   そうか





彼は   蜘蛛の巣の蜘蛛


天井脇に張られた   蜘蛛の巣の主だった


人類の集合意識の一つ   ネットワーク


蜘蛛の巣の蜘蛛は   キリストだった



信者が彼に問いかける


主よ


という言葉は   正にその通りだった







なぜそんなものに


すると   キリストが   ゴルゴダの丘に磔にされている


シーンが出てきて


高い高い丘の上から   町の風景が   絵のように見えて


空は神々しく   雲間から   光り輝いていた



キリストは   絶命する寸前


激しく   神に絶望していた


神はいるんじゃなかったかと


いるならば   なぜ私を助けない


そして


息絶える瞬間





神がいないならば   自分が神になってやる






そう怨んで   亡くなった



そして彼は   死して   神と呼ばれる存在になった


キリスト教の始まり


それは   彼の絶望から始まった






キリストが死ぬことによって   彼の願望が達成されたのは
   

ヒトラーのある言葉を想い出す   (想い出しただけ   関係はないです)





ヒトラーは   自分が死ぬことによって


ナチス帝国の野望を


次世代の人間が実現すると   宣言していた


自らの死をもって


より多くの影響力が   後世の人間の意識に浸透する


ナチス帝国は存在しないけれど   後の歴史は


彼の野望を実現した社会となり


大量破壊兵器や殺害技術の進展   人類を二極化する格差社会の出現


人類はナチスを受け継いで   ナチス時代以上にナチス的になって


彼が目指した世界を   実現している





キリストは   神の愛を説いたけれども


キリスト教が   多くの争い   悲劇を生むのは


キリストが亡くなるときに   自らが神になることを誓ったからだ


それは一種の   呪いのようなもので


彼は人類に   神の愛を説いた彼を殺した人類に


呪いをかけた


それは彼を信仰する   宗教という形で


彼自身が神になることで   達成された


彼が神になったのは


彼が   神はいないことを   知ったから


死の直前に   知ってしまったから


だから彼が神に   なることにした




そうやって   人類の集合意識を司っていた


それを信じる者は


それは彼の人生と同じく   


愛に満ちながら    最後は悲劇に終わる  


悲劇を生む


なぜなら彼の現世での意識が   そこで終わっているから


一人の男の   絶望が生んだ宗教


その絶望が創った世界


それが今の世界


   


けれど   彼は


それをもう   降りることにした


だからある意味で   もうすぐ   いやもうすでに


彼の呪縛から   人類は解き放たれるだろう




おそらく彼は   人類が幸せになることを


望んでいたわけではない


もし彼が本当にそれを望んでいたら


彼が神になったとき   それが実現したはずだ



ヒトラーが死して   世界を彼の野望に陥れたように



キリストは   人類が幸せになるよりも


人類の意識が   進化することを   望んでいた


果たしてそれが   進化と呼べるものかどうか


怪しいけれと


それが今   


私たちがたどり着いた現在








シナイ山


緑のトレーナーは、昔会った白人のドイツ人が着ていたもので、そのとき彼の年齢は30歳くらいだった。神と崇められるキリストが亡くなったときと重なる。彼はまだ若かったのだ。キリスト教の教義、彼の残したものは、いわば20代の若者の青春の軌跡であり、彼を信仰するというのは、20代の若者に付いていくということを意味する。それが何を意味するか。

天井から、十字架から自ら降りたキリストは、まるで夢から醒めたかのように、歩いて行ってしまった。大人になる前のキリストをずっと信仰し続けた人類・・・。

横たわるアラブ系の顔、それがキリストだとしたら、彼が目を開けたり閉じたりしているのは、彼が人類の集合意識の番人であることを意味しているのか。横たわる男性は、最初古代のエジプト人かと想った。

この夢を見る前の晩、シナイ山について調べててその写真を見たりしていた。シナイ山について書いたことはないが、このブログの検索キーワードに入っていた。

シナイ半島の南、ど真ん中、中心にあるのに少しびっくりした。シナイ山はモーセが十戒を授かった場所であり、ユダヤ人を率いて脱出する「出エジプト」の舞台となったキリスト教の聖地でもあるらしい。コプト教という、古代エジプト宗教と原始キリスト教を合わせたような宗派があり、イエスの死後エジプトがローマ領になった後伝搬し、首都アレクサンドリアは古代キリスト教世界の中心地だった。

コプト教は、イスラム教が征服する前にエジプトが信仰していた宗教なわけで、つまりエジプトは7世紀まではキリスト教国だった。現在は国民の1割に留まっている。その迫害が激しいようだ。なんと、いま世界中で発生している反米デモを誘因した映画の製作者がコプト教徒だった。
反米デモ誘発映画、ロス近郊のコプト教徒が製作

コプト教のwikiを見ると、ドイツにも教会があってその写真が。ドイツ人の彼はコプト教徒だったのか?
それを確かめる術は今はもうないが。

私はキリスト教信者でもないし、いかなる宗教にも属していない。しかし、実はイスラエルに行ったことがある。エジプトにはない。今想うとなぜ何の宗教にも関心のなかった自分がイスラエルという多くの聖地を抱える場所に行くことになったのか。前世の因縁だろうか。

信者の方や気分を害された方が居ましたら、先にお詫び申し上げます。ただの妄想ですので。



古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ
エジプトのコプト教徒差別
エジプトに生き続ける初期キリスト教の伝統 コプト教とは?

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