江戸時代は 銭湯が社交場のようになっていて
そこで若い男女のお見合いも 行われていて
やがて夫婦になる二人
体にキズがないかとか
裸になった姿を 見せ合うのが
町人のお見合いだった
そんな話を読んだことがある
昔の女性は 着物姿だから
スタイルなど ほとんどわからないし
長い一生を 共にする夫婦
結婚してから 期待外れや 誤解がないように
すべてを了解した上で 結婚すれば
長く続けることができる
そんな意味もあったかもしれない
でも ちょっと想像を働かせてみると
裸体を見せ合っていたのは
互いの骨を 骨格を見ていたのかも
骨伝導というのがあるように
私たちは 骨を通して
おとを受け取っていて
また
骨を通して エネルギーを おとを
放っているもの
一緒に生活する二人は
それぞれが発するおとが それぞれの骨に
木霊していて
仲がいいときは 心地のよい
ハーモニーを奏でていて
険悪になると 不協和音が
聞こえてくる
二人の営みは
二人の響きが 骨を通して 奏でられる
演奏なようなもの
骨が響かせるおと 震動
バイブレーション
おとは 音色というより 震動のエネルギー
人が顔の美しさに 惚れるのも
顔は 骨が 骨格が
一番細かく わかりやすく 現れている場所で
日本人の顔は どちらかというと 平坦だから
骨よりも 目の大きさ 唇の厚さ 鼻の肉付きが目立つ
肉付きで 美しさを判断するけど
彫りの深い 白人や黒人 中東の人々など
その立体的な顔つきは 骨の中に 顔があるようなもの
彼らにとって 顔の美しさは 骨の 骨格の美しさを指している
ヘップバーンは
大きすぎる目が コンプレックスだったらしく
日本人には理解しがたいけれど
ギリシャ彫刻のような
骨が作る立体的な美しさが 顔の美である彼らにとって
大きな目はむしろ そのバランスを崩すもの
骨はおとを伝えるから
私たちの骨格は 楽器のようなもので
一人ひとり 奏でるおとは 微妙に違う
これから 恋の時代が 始まるとしたら
骨が奏でる 繊細なおとが 聞こえるようになって
互いの骨のおとが 響きだすとき 自然と恋が始まって
本当の縁と 結ばれて行く
骨のおとが 聞こえ辛かった時代は
誰とでも 繋ぐことが出来た
それは恋であって 恋じゃない
おとを聞かずに 繋いでいただけ
そうしてどんどん 遊女たちは 王様たちは
エネルギーを集めることができた
骨が発するおとは 彼らには邪魔なもの
おとは想いが発するものだから
眼力は 想いから生まれる
強い想いを持つ人たち
たとえばオタクさんたちが マスコミに 世間に
なかなか騙されないのは
強い想いがあるから
眼力を授けられる
眼力は 想いのある人に 身についていくもの
イケメンだとモテるというのは 大きな勘違いで
イケメンでも 想いが強い人は
モテなかった
なんとなく わかるでしょう?
想いの強い人が本当は エネルギーもあって
眼力もあって 魅力もあるはずなのに
結界の中では 想いが強い人ほど
運もチャンスも 減って行って
想いのない人に そうしたチャンスが
どんどん流れて行った
恋に恋している
彼らを見て 人はそう言うかもしれない
恋をするなら 恋をしてはいけない
想いがあると 邪魔になる
いつも恋をしている人の話には
本当に恋をしているの?と 疑わしく想ってしまうほど
淡々としていて 想いはあまりない
だからこそ いくつもの恋ができる
恋多き人は 情熱的で
想いが深いように 見えるけど
その芯は とても冷たく
冷え切っている
恋の数ほど 別れがあるのだから
それに耐えうる冷たさを
身に付けているもの
その冷たさが 自分の命を
冷やしているとも知らずに
恋の国 フランスで青春を過ごした
芸術家 タローは
愛を囁く フランス男が
実際はどんなに女性に冷たいか
書いていた
この世界の仕組みが 想いと逆作用するように
仕掛けられているから
想いの強い人が発するおとを
聞こえないように しているから
私たちはだんだん 想いが邪魔になることに
気がついていく
想いは 重い
人の動きを 重くして
運の流れを 留めていく
この世界では
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