旧暦では 今 出雲に神々が集っている
どうして出雲に 集まらなければいけないのか
それがどうして 自然界が 血のように赤く染まる
秋なのか
ヤマタノオロチをなだめるために 封印するために
集まっているの?
ヤマタノオロチは 秋に 力を吹き返すの?
はる なつ あき ふゆ
季節を表す言葉
あ で始まる あき が
一番最初に来ないのは 不思議な気がする
1月1日が なぜ1年の始まりなのか
天文学的な理由も 気象学的な根拠もなくて
確かな理由がなく 憶測ばかりで
謎に包まれている
そして 長い歴史の中 自然の変化が全くない
自然の変化と リンクしない
意味のない日になっている
もしかしたら
1年の始まりは 秋だったかもしれない
そんな妄想にふけってみる
日本を征服した神様たちが
集結しないと抑えられないほどの力を持つ
ヤマタノオロチ
それを封印することで 1年の幕が開ける
本当は 神無月が 1年の始まり
出雲の神迎祭は 毎年旧暦の10月10日に行われる
もしかしたら この日が
本当の1年の始まりを 意味するのかもしれない
1ケタの始まりの月日が 現実の 暦の上での始まりなら
2ケタの始まりの月日が 想念の世界の 始まりかもしれない
��は有限 でも 0は無限 だから
欧米の学校は 秋入学で
日本も始めは 秋入学だった
政治的な理由から 春入学になったけど
本当は 人の深い 潜在意識下の感覚では
動物的なレベルでは
秋が始まり
そう感じている そう知っているような気がする
だから 秋は あ から始まる
始まりの季節
自然が赤く染まる 秋の 赤は
あ と か
母音の始めと 子音の始まりが
結びついて できた言葉
それは 原初の何かを
表していて
秋が
あ と き
なのも 赤の次に来る子音なのも
秋と深い結び付きが あるためのような気がする
学校や会社など 組織の始まりが4月になったのは
明治政府が 軍隊の入隊を 4月にしたせいで
天文学上の始まり 春分点の次の月を
始まりにしたのかもしれないけど
桜の咲く季節に 始まりを持ってきたのは
それも 桜のための ような気がする
春に気がふれる人が多いのは
始まりを狂わされて
私たちの何かが 狂わされていることを
感じているためかもしれない
秋は大地の気が強くなる季節
収穫が訪れるのも
自然が実りを 形にしてくれるから
人の怨霊は 水気の多い夏に甦るけれど
大地の気は 土地の力は
秋が一番強くなるんじゃないだろうか
自然が実りという 子供を産み落とす季節は
それだけ 力に溢れているのかもしれないし
また 自然の子供という形で
甦りやすい時期なのかもしれない
ヤマタノオロチは 原住民のことであり
龍脈のことでもあるのだろう
この島の 大地の気が強くなるのを 抑えるために
日本中から 神様を呼ぶ
食欲の秋 読書の秋 というのは
秋が一番 エネルギーが強くなることを
意味していて
また
スポーツの秋 というのは
狩りの時代に 落葉樹の森が
葉を落とし始める季節
動物たちの 姿が追いやすく
動物たちが 冬眠入る前の わずかな季節は
狩猟にとって 絶好の季節だったに違いない
そんな時代を想わせる
葉が赤く染まるこの時期に
古代の狩人たちが
葉を落とした森を駆ける 勇ましい姿
喜び勇んで 動物たちを追う 威勢のいい姿が
目に浮かぶ
秋のお決まりのフレーズが 三つ揃うと
まるで 収穫をするように
養分の魂から エネルギーを補給せよ
と聞こえなくもない
はる は 封印の季節
「 張る 」季節
封印のお札を 「 貼る 」季節
あき は 本当の始まりの季節
自然の怨霊の季節
日本のアカデミックの頂点 東京大学が
秋入学を検討すると発表したのは
ピラミッドが 少しずつ ほころび始めている証
自然のエネルギーの緩衝が 始まった
空間だけでなく
時を支配する結界が 崩れ始めている証拠
結界は 時も 封印している
時 空間
その両方に張られている
1月1日 1年の始まりが
自然の動きと 何の関係もない日にしてあるのは
時に張られた結界が いかに人工的で
空虚なものなのかを 物語っている
白い花桜
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
0ゼロは無限を意味する?! ゼロの哲学的概念とは?
0 コメント:
コメントを投稿