2012年12月29日土曜日
Hot springと時の車輪
お風呂に入って 閃いたとか
お風呂でイメージして 夢が叶ったとか
お風呂タイムを 読書やケータイ テレビとか
いろんなアイテムで 楽しむ人もいる
洗い物をしたり トイレで手を洗ったり
湯船につかるまえ
蛇口に手を当てるとき
湿気のある 洗面所にいるときに
小さな覚醒のような 気づきが生まれるのに
湯船につかると ぼーーーーっとして
何にも生まれない 何にも考えられない 何にも閃かない
ずっと わからなかった
何が違うんだろう
それが 数か月くらいまえから 9月ぐらいからだろうか
湯船につかっていると 考えがまとまるようになる
これまでのように ぼーっとして 何かが抜けていくような
頭の中の 脱力感が なくなって
逆に 気づきが降りてくる 入ってくるようになった
9月といえば 海のコードが 還って来た頃
お風呂を通して 抜けていたのは
海のコードだった
お風呂に入ったあと 疲れる人も多い
お風呂は 疲れさせて 安眠させるということらしい
現実的には 身体的には
そういう理屈になるのだろうけど
私はなんとなく
お風呂に入って パワーを得て
元気になって よく眠る人と
エネルギーが 流れて
ぐったりして 眠りにつく人の
二つのタイプが あると想う
お風呂に入って きもちいい~
血行がよくなって 血巡りがよくなって
エネルギーが入って 循環している人と
脱力感が襲う人
その後に どっと疲れがやって来るのは
エネルギーが抜かれている証拠
そして 眠りに入ってしまえば
夢を見る 気力も残っていない
ユダヤが 湯 に こだわったのは
そこが 厄を落とすだけでなく
海のコードが 得られる場所だったからかも
そういえば 千と千尋は
湯屋に来た 神様が 垢を 厄を
流して帰るけれども
なぜか後半 不自然?に
湯屋の外の 海のシーンに 移って
大海原を 電車が走って行く
電車は線 海へと繋ぐコード
映画は 湯屋が 夢殿と いっているだけでなく
それが 海のコードと 繋がる場所
そう言っているのかもしれない
電車は 湯屋から出ている
潜在意識=海 だから
当たり前かもしれないけれど
本当なら 海の種族に流れてくる
海の 地球のコードが
ある種の 種族に
湯を通して 水を通して
流れて行っていた
血筋は 温泉で 想念体を作って
持って帰る
それは 一見 自然のエネルギーが
想念化したように みえるけど
本当に それだけだろうか
そこには 温泉に入った人間の
エネルギーも 入っているんじゃないの?
まるで 神社で想念体を連れて帰ってくるように
温泉で 人から 海のコードも
持って帰っているんじゃないの
神社では 海のコードは 奪えない
水を通して 流れていくの?
千と千尋の舞台は 日本で一番古い温泉を
モデルにして作られた
それは 九州でもなく 信州でもなく 関西でもない
四国 愛媛県にある 道後温泉
漱石が 坊ちゃんを書いた場所
近代文学の 幕開け
四国に行ってから 漱石は 作家になった
海のコードを 欲しがったのは
陸の種族 陸の人
彼らは 自分たちが持っていない
自分たちに入って来ない 海の情報を 欲しがった
城を築いた者たちは
城を維持するために 城の外を 知りたがる
陸の人間に 現実化する力があったのも
彼らに 海のコードが 流れていたから
夢を現実化する力は
潜在意識にあるのに
陸の人間に その力があるのは
本当はおかしな話
海のコードが 狙われたのは
夢を現実化する 力があるから
そして多分 それは 女性にしかないコード
人類がミトコンドリア・イブから 始まったなら
地球のコードは 女性が持っている
遺伝子の分析によれば いずれ男性がいなくなるという仮説
女性だけで 命を生むことが できるようになるという説は
本当に 男性がいなくなるというより
現実に 女性だけで
命を生むことができるようになるというより
女性の遺伝子は もともと地球由来ということを 示していて
男性の遺伝子には もしかしたら別の何かが あるのかもしれない
そんなことを 暗示していて
人間が 科学と呼ばれるもので予測する 遠い未来のことや
SFの世界で展開される 世界観は
実は 遠い過去の出来事だった
そんな風に 最近想う
宇宙から地球にやってきた 何かがあるのは
もう否定できなくて
もしそれらがやって来て 地球に住む私たちの祖先に
何かをするとしたら
生命が生む 女の生き物に
注入したり 細工をしたと考えるのが
自然なわけで
その逆となると ちょっと面倒くさいような
宇宙のエネルギーが 循環しているなら
時のエネルギーも また循環しているわけで
私たちが 未来と呼ぶものは
実は過去と繋がっていて
それは 尾を飲み込む 蛇のウロボロスのように
未来が 過去に至ることで
転がる車輪のように 時のエネルギーを生み出している
そんなことを 妄想してみた
私たちは 世界の 宇宙の始まりを知りたがるけど
もちろん 私だって 知りたいけれど
車輪やタイヤの 継ぎ目がどこにあるかなんて
転がるタイヤから 探せないように
廻る時のエネルギーの 始まりと終わりをみつけるのは
到底不可能なように
私たちのいる世界の 宇宙のエネルギーは
始まりがどこか わからないほどに
それだけ見事に エネルギーを生み出している
パンクしないで 走っている
そう想うしかないような
もし宇宙の この世界の始まりを知りたいなら
それは タイヤを止めるしかなくて
それがどういうことになるのか
想像できない
311以前は 火星の話題が真剣に 語られることも少なくて
ましてや人類が そこから来たとか
愛好家だけの 世界で
自分も含め 興味を示す人は ほとんどいなかったのに
今ではそれが ネットでもテレビでも
陰謀論や都市伝説と一緒に 流れていて
もしかして 本当かも?!
と想う人が増えたのは
もうそろそろ 私たちの未来が
過去と繋がり始めている 兆しなのかな
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