2012年12月26日水曜日

縄文の海を越えて

伊豆のイルカ



四国の吉野川は   中央構造線沿いに流れていて


その河口から   構造線沿いにまっすく行った先には


紀伊半島の   吉野川(紀ノ川)に   繋がる


川の北側には  金剛山地があって


南側には   高野山などの   険しい熊野の山々が連なる



金剛山地の北   大阪湾を望む所には


河内長野市があって   ここにも   長(ナーガ)の名がある地名が


長の国・阿波に近いこのエリアには   


長髄邑だけでなく   この地域一帯に


長の国の勢力が   すでに有ったことを   示している





大阪の   縄文海進を考えて


三輪王朝や   ヤマト朝廷が


奈良南部に座したとしても   海から離れ過ぎているのが


不思議だった



調べてみると   縄文海進は   60mまで遡るという


縄文海進について調べていたころ   関東では


貝塚などの跡地から   10~20mとされていた


ところが   神武天皇にまつわる場所は


全て海抜60mの所にあるという


そして洪水マップで確かめてみると


確かにー60mのところには


神武が即位した   橿原の地も


河内長野も   ナガスネコヒが居た   生駒エリアも


海岸沿いにあり


四国にある   神武天皇の橿原神宮の元宮


樫原神社も   海水の侵入から   免れている   



-60mの縄文時代には   大阪湾は生駒山まで広がり


奈良盆地は   巨大な湾   河内湾を形成して


大阪湾と繋がっていた


これなら   海から来て  上陸し


三輪王朝を建てたり   ナガスネヒコと戦ったり


橿原の地で大和を開いたりした場所が


海から来た民族によるものであることがわかる


そして   登美の長の邑   河内長野


長の字が付いた地名は   いずれも陸地にあり


それ以外の周辺は   ものの見事に   水中に沈んでいる


長の国   阿波の古代民族は


どの渡来民族よりも   この地に早く   辿りついていた





橿原神宮がある   畝傍山の側には


呪術的に配置された   忌部山があり


天皇の歴史に関わる   三大神社の一つ


桜井市の大和神社が祭っている   倭大国魂神は   


倭大国魂神社が   阿波にあって   しかものこの神社は


阿波にしかない  



神武を天皇にしたのは   倭の国   日本を創ったのは


阿波の古代人なのだろうか






縄文河内湾

古代阿波の謎を暗示する、大和三山、他
大和盆地の大湖について判明していることは、標高60m以上まで、縄文遺跡の存在があり、それ以下は、当時、湖面・湿地帯であったこと。その後、1800年ほど前の弥生期・古墳期は、標高50m以上までが生活域であり、それ以下は湖面・湿地帯であったこと、などだ。つまり、大和地域の50m線、60m線の周縁部には、多くの遺跡が散在するが、中央の平野部には、縄文・弥生等の遺跡はないということ。それらの時代には、そこは、広く湖底であり、人が住めなかったのだから。


Flood map -60m

忌部山の呪術配置
忌部山配置


剣山と大和忌部山


大和三山が成す二等辺三角形の垂線の延長が、なぜに阿波国、そして剣山を指向するのか。


三輪山~橿原神宮(畝傍山)~忌部山~剣山

全部一直線に繋がっている・・・

忌部山
弥生時代の遺跡としては特異で軍事的・防塞的(ぼうさいてき)集落と考えられていますが、よくわかっていません。

忌部山は100mぐらいの高さしかない。呪術の配置のために作られた山と想われる。

剣山まで伸ばすと奈良の呪術の配置が崩れるので、三輪の大神神社~忌部山の矢の呪術配置は、それで完成しているように想う。一方で、大神神社から剣山までの線を九州まで延長すると、高千穂神社に到達した。

三輪山、大和三山、剣山、高千穂は全部ピラミッドらしい。
日本のピラミッド

うーん。現在の正確な地図でほとんど誤差がないほどの技術があるとしたら、それは高度な天文学の知識がなければ無理だと想う。1㎞ほどの誤差を許すとしたら、上記のピラミッドは全て直線上にある。

エジプトにしてもマヤにしても、天文学の知識が発達した文明には、ピラミッドがある。
エジプト系の民族が阿波に来ていても不思議じゃない。持ってきたのは、天文学の技術と動物使いの呪術か。
この二つは、遠い地からも海を渡ってやって来るのにとても役立っただろう。


河内の長の時代が三輪王朝だとしたら、三輪、橿原が忌部山を指し、それが阿波剣山に伸びているのは、大和を作ったのは阿波の勢力だと示していないだろうか?「長」は、徳島の那賀という地名から来ているが、それは剣山の南。矢印はもしかして剣山というより、「長=那賀」の地を指しているかもしれない。それともこの矢印を指すピラミッドの呪術は、大和の国のエネルギーが那賀へと流れる仕組みなのか?
古代人オソロシヤ~~~

那賀の町に豊後神社というのを見つけた。なぜ九州の豊がここに・・・?
地図を見ると、高千穂の隣町が豊後大野。どういうことだろう?

一説には四国には日本中の神社の名があるという。
また、記紀は全て四国内での話という説も。

神武の九州と四国が敵対していたら、こんな風に橿原→忌部→那賀→高千穂、と繋がったりはしないんじゃないだろうか。神武の神話の始まりから即位まで、阿波長の国が入っている。豊後が阿波にあって、阿波岐原が宮崎にあるし。持ちつ持たれつのような。豊後神社というのは全国でも阿波にしかないようだ。なぜ豊の地になくて阿波にあるのか・・・?

那賀川の先は物部川になっている。なんかもーてんこ盛りでなんでもあるのねここは。
実際にその時代にいろんな勢力が居たのとは別に、記紀は四国の勢力の創作なんじゃないの?
創作というか、自分たちの血筋の話を日本の建国神話にしてしまったとか。

高知県の大月町から上陸したと考えると、高千穂も豊後大野市も豊後水道を挟んですぐ向かいにある。その下には阿波岐原の日向灘があるし、むしろルートからいったらこちらの方に先に上陸していそう。つまり、海を越えて中東エジプトからやってきた船団が、各々別の場所に流れ着いて分かれたのかもしれない。また、船を利用して各地を訪れたんだろう。


より大きな地図で ピラミッドライン を表示

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