2012年12月12日水曜日

安房は阿波 2

伊豆の海



「阿波国の秘密考」
さて、『古語拾遺』は古代、天日鷲命(『新撰姓氏録』によると、斎部氏=忌部氏の子孫)の一族が四国の阿波に入り、さらに阿波の忌部氏が関東の安房へと移住したことを伝える。日本探検協会はこの斎部氏=忌部氏の伝承に特に深い関心を寄せたようだ。

「賽の河原」の賽は、賽銭の賽=斉というが、忌部氏が斎部氏になったのはそういうこと?  
 
・・・となると、海上のアワ・ルートを通じて房総へ巨石文化を持ち込んだ人々の正体はやはり斎部氏ということか?」
また、有賀氏のこの記事には、房総半島が大和朝廷の関東進出の足がかりになったことについて、「実際には、古くから黒潮潮流を利用していた斎部氏に案内されて、ようやく大和勢力の関東進出がスタートしたということでしょう」という高橋氏のコメントも引用されていた。


ああ、やっぱり。阿波の部族が大和を仕向け房総を襲わせたというのは、こういうことか、
そう。海の水先案内人が居たはずなのだ。
大和を房総へ導いたのは、東征をリードしたのは、阿波の者だった。
裏切り者がいたということか?

 宇野正美氏は、次のように述べる。「長きにわたって四国は“死国”とされてきた。四国について書かれた小説はほとんどないし、四国についての歴史教育はほとんど行われない。日本中に高速道路が張り廻らされたとはいえ、最後にそれが完成したのは四国の中でも阿波の国、徳島県だった」(前掲「古代ユダヤは日本に封印された」)。

ヤマトタケルと養蚕
ヤマトタケルは製鉄民を率い鋳造に用いる水銀を求めて東進したとしています。確かに伊吹山や秩父製鉄民が移動していった痕跡はあるのですが、茨城の筑波を通ったことがいまいちわからなかったのです。しかし、この製鉄民とともに養蚕をつかさどる民も東進していったと考えるとある程度の納得は行きますよね。・・・そういう意味ではヤマトタケル神話はかつて讃岐の地を通り、東へと移住していった渡来人の養蚕の担い手たちによって語られた英雄譚だったのかもしれませんよね。

阿波歴史民族研究会
阿波忌部は麻を扱い、その祭祀力と航海力・技術力をもって、ヤマト王権成立の立役者となり、日本各地に進出し、衣食住に関係する様々な文化を伝播した産業技術集団でした。


「ユダヤ人は、その支配する勢力(アシュケナージ)によって滅びる」

夢を見たときは意味がわからなかったけど、日本のユダヤについて言っていたんだ。
パレスチナも国家承認されて、世界の動きも連動しているが。

同じ民族でも、強い者に付いて敵に分かれるのがユダヤのやり方だとしたら、阿波の中東系民族も大和について身内を売ったのかもしれない。

伊勢神宮で祭られている阿波の神様大宜都比売神は、「おおげつひめ」と読むのだが、おおげつ=大月だと想う。オオゲツヒメは、古事記の国産みにて、阿波国の名前として出てくる。
オオゲツヒメは、高天原の神様たちに自分の肉体から出たものを調理して食べさせていた。死後はその肉体から蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆が生まれたという。これは渡来人であるオオゲツヒメ=阿波人がこれらの穀物を伝搬したということじゃないか。

オオゲツヒメはちょっとグロいけど(笑、自分の汚物を混ぜて神様に食べさせていたというのは、似たような話を聞いたことあるぞ。呪術だよねこれ。自分が作った食べ物に唾や血を混ぜて提供するという。まさに、食べることは食べられること。
それは古代からの伝承なのか。古代阿波人の一面を表しているように想う。

「道は阿波より始まる」
践祚大嘗祭(天皇の即位儀式)では天皇が皇祖に献上され、ともにお食べになり、皇祖の霊威を体得されるための三種の御膳(みけ)があります。当然、儀式上、非常に重要な食膳なのですが、その内容は以下の通りです。

��.「天都御膳(あまつみけ)」:阿波国忌部が貢進する高天原の産物の山幸(木綿(ゆう)、橘子(たちばなのみ)等)
��.「長乃御膳(なかのみけ)」:阿波国那賀郡潜女が貢進する海幸(あわび、したたみなど
��.「遠つ御膳(とおつみけ)」:遠い第三国の貢進物(淡路・紀伊の貢進物)

��の「長」は阿波国は旧名が長国(なかのくに)と呼ばれていたものです。


今でも天皇の儀式では阿波の食べ物が食べられている。つまり今も呪術は行われているということか。
食事だけでなく、この儀式で着る衣装も、阿波忌部木屋平村の三木家のものしか使用できないとか。

古代王国や神話、天皇の系譜を探ると必ず阿波が出てくる。それは常に権力の近くに彼らの存在が見え隠れしているということで、今も昔も変わらない。

ちなみに、イザナギが禊をしてたくさんの神様を生んだとされる筑紫日向橘小門阿波岐原にも「阿波」の文字が。ここは宮崎県宮崎市阿波岐原町を指しているらしい。天孫降臨、高天原の近くに阿波が。



想念が集う場所

時系列が一番わかりやすかった
~忌部の末裔たちの巻~
大和朝廷成立のためにこの阿波忌部は大きな役割を果たしている。

徳島県の吉野川流域から大和(奈良県)に進出し、大和国造(国造:自治体のトップ)や伊勢国造になるとともに全国各地に開拓事業を行った。この時期に讃岐、石見、 出雲、伯備、隠岐、丹後、大和、伊勢、三河、遠江、伊豆、武蔵、安房、上総、下総 、下野、上野に進出したと考えれられる。


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