2012年4月19日木曜日

西と東

昨日の「江戸の遊郭」の記事を書いたブロガーや、以前ググっていて見つけた縄文や古代について書いていたブロガーなど、気が付けば東北出身の方だったりする。私などは元々支配者の歴史である日本史などには大して興味もなく、教科書の基礎知識レベルにネット界隈で暴露されている情報や陰謀論などを知ってますます為政者への不信を募らせる→歴史に興味を失う、の悪循環を繰り返している。

古代史などを調べても、四国や関西方面のブロガーさんたちは、日ユ同祖論よろしく日本人はイスラエル十氏族とか祇園の祭りはユダヤの祭りとか、さかんに日本人の由来をオカルト的に説いているけれども、そこには征服者としての立場、元から居た原住民の存在は「海外から渡って来た選ばれし民族」という免罪符の下に巧妙に隠れてしまう。

けれど、東北出身のブロガーさんたちの目線は、「征服者としての日本人に対する根本的な懐疑の念」が絶えず見え隠れして、それが縄文だったり江戸の遊郭だったり、征服者が歴史から隠したがる暗部にいつの間にか行き着くことになる。

この対比、180度違う視点からの古代史や歴史の再発見が、この国の西と東できれいに分かれるというのが実に面白いなあと思う。日本人というのは単一民族だと思われていて、国民もそのつもりだけど、実はその内に本人たちも気づかない意識下での不協和音、戦いは実は終わってはいないし、永遠に終わることもないのだと思う。

遊女という存在は有史以来存在していただろうに、吉原の遊女がなぜ凄惨な扱いを受けていたのか、そうする必要がなぜあったのか。それは吉原の遊女が東北出身者だからではないだろうかと思ったりする。為政者にとっては異民族のような存在であり、根絶やしにしても構わなかった。第二次大戦でもアイヌ系の男子は激戦地へ率先して送られたと聞く。この国の支配者層は、潜在的に民族浄化の願望があるのではないだろうか。

たった100年前まで、日本と言う国は多民族国家とまでは言わないまでも、単一民族の国家とは誰も思っていなかったんじゃないだろうか。西と東は、江戸を境に意識下でも意識上でもきれいに隔絶されていたのではないだろうか。

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