2011年12月6日火曜日

飛沫(しぶき) 

「瞑想」という言葉を  入力しようとしたら  


「迷走」に  変換されてしまったw


瞑想を行うことと  瞑想状態になる  瞑想に入るのは


恐らく  全然  違うこと


雑念を消して  鏡になるのと


潜在意識のエネルギーに  アクセスしているのでは


心の在り方が  違ってくるのかも


瞑想は苦手で  やらないけれども


考え事をして  煮詰まると


ふと思い立って  台所に立って


洗い物をしたくなる


すると


すぐに  瞑想状態になって


アイディアが  次々と  生まれてくる


これまで書いてきた  記事の


かなりの  言葉が


洗い物から  生まれているw


時には  トイレに入って  手を洗った途端


気付きを  得ることもある(〃∇〃)



潜在意識に問いかけているときに


流れる水に  触れていると


意識の変化が  起るらしい


お風呂に入っているときに


気付きを得る人も  多いけれど


きっと  その人たちは  


シャワーを浴びて  いるんだろうな


だって  お風呂の中で  何かが生まれたことは


ほとんどないのに


シャワーを浴びながら  目を瞑ると


瞼の裏に  誰かが思い浮かぶのは


ほとんど  習慣のようになっていて


禅僧が  滝水に打たれて


修行するのは


流水に  特別な力が


あるせいだろう


もしかして  水は  気の集まった  濃い状態で


そう  確か  理科の時間で


水蒸気が  水になるのを  習ったっけ


水蒸気の  湿度が飛んで  乾いた状態が  空気なら


水が作られる過程には  水分と  気が  エネルギーが働いている


水は  水分と  エネルギーで  できていて


水の正体は  循環するエネルギー体で


流水は  そのエネルギーが  発散されていて


それに触れると  水のエネルギーが


身体に  浸透するのかもしれない


水が体に  浸透するのは


構造上  限界があるけど  


エネルギーは  気は


全てを通すから


そう  だから


たとえ  流水に  触れなくても


それを見ているだけで


潜在意識にも  送られるから


広場に  噴水があるのも


噴水の周りに  人が集まるのも


子供が  噴水で  水場で  


はしゃぎ出すのも


そこには  エネルギーが


飛び交っているから


チャンネルを  合わせると


そこに  居るだけで


とても  大きな  エネルギーを


受け取ることが  できるのだろう


街の中心に  公園の真ん中に


モニュメントのように


噴水が置かれるのは


エネルギーの  循環装置として


そこに集う人々の気や  自然のエネルギーを


風車のように  回している



サーファーの  ダイナミックな  力学は


波が作る  エネルギーに


身体を  任せることで


彼らの  潜在意識と  水の力で


波に乗ることが  できる


その力に  魅せられて


彼らが  こよなく  海を愛するのも


サーファーは  波に乗りながら


気の流れに  乗っているから


まるで  キン斗雲に乗っている  孫悟空のように


空を飛ぶ練習を   しているのかもしれない


気が集まってできた  高い山に


人が登るのは  エネルギーを  貰えるから


波乗りをする  サーファーや


山の斜面を  滑る  スノーボーダーは


キン斗雲に乗った  孫悟空のように


太古の昔に  エネルギーに乗って


空を飛んでいた  記憶を


思い出して  いるかもしれなくて


彼らに  どこか  反社会的な


イメージが  付きまとうのも


それが本当に


今の社会を  脅かす


目覚めを  促す


反社会的な  行為だからかもしれない



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