海といっても砂浜とかは見えない 高い建物が二つ、太陽か月が建物の上にあった
海中が真っ赤に小さく爆発みたいになって、収まりまた小さく爆発
そのうち火災のようになっているのを遠くの埠頭沿いマンションから望遠カメラで撮っている
でも「たいへんだ!」という意識はあまりない「えっ?」という感じ
自分は埠頭沿いにもマンションにも住んでいないし望遠カメラも持っていない
あと上の夢とは関係なく、「だいだらぼっち」男性の声でこの一言が大きく聞こえて目が覚めた
376 :本当にあった怖い名無し:2013/05/26(日) 23:27:04.99 ID:HDYk2ddn0
他のスレにも書いたんだけど今朝(っても8時過ぎ)男性の声で「だいだら(でいだら?)ぼっち」っていわれて目が覚めたんだけどこの男の人の声がいうことって意味わかんないこともあって100%とはいえないんだけど、意味わかったときはそのとおりになるんだよね
だいたら云々しらべたら巨人で池とか作ったとかだけど、この意味わかって教えてくれる人いないかなと思って...
ダイダラボッチ
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人である。数多くの類似の名称が存在する。このため本稿では便宜的に名称をダイダラボッチとする。山や湖沼を作ったという内容が多いことから、元々は国づくりの神であった可能性が指摘されている。
最近現れる 巨人のイメージの謎が
少し 解けたような気がする
だいだらぼっちの伝承を読むと
山や湖を作ったとある
今 頻繁に現れている 巨人のイメージは
昔の人が 昔の人の集合意識が
作り出した巨人のイメージと 同じように
今まさに 大地が動いている 火山の噴火や地震
地殻変動の時期に入っていて
昔の人と同じように
私たちは 人知を超えた 自然の活動を
巨人の仕業のように イメージしてしまうのかもしれない
伝承のだいだらぼっちは 人を食べないけれど
アニメに現れている 人を食べる巨人のイメージは
地殻の活動によって生まれた災害に
人が呑み込まれる恐怖を 重ね合わせているのかもしれない
そして その巨人の中には
まるでキグルミのように 実は人間が入っているというネタは
自然災害が 人工的に起こされていることを
物語っているのかもね
海中の赤い爆発は 核爆発かもね
私が見た夢では 上野か Big eggかで
巨人が孵化するから
もしかしたら
都内のそこら辺で 大きな地盤の異変が
起きるかもしれない
自然災害の夢が当たった実績は
うーーん あったかなw
天変地異に直面している 私たちが
巨人の幻想を 抱きつつあるのと
日本の各地で 巨人の伝承が残っているのは
昔の人たちも
今の私たちと同じように
地殻の変動の時代を 生きて
大きな自然災害や 天変地異を体験したと
いうことなのかもしれない
科学的には 地殻変動は
年数ミリ数センチレベルだと 言われている
地球が穏やかな時代は そうかもしれないけど
よっこらしょと 本気を出す活動期に入ったら
まるで巨人が 土を運んだり 穴を掘ったりするような
大きな変動が 一夜にして起きるのかもしれない
だから 巨人の伝説が
各地方で 生まれたのかもしれない
少し前に ライフオブパイという映画が 上映された
盛大にネタバレしてしまうと (いつもだけどね)
主人公の少年は 漂流して 保護された後
自らが体験した 極限状態に陥った
人間同士の 凄惨な有り様を
船から脱走した 動物たちに例えなければ
他人に話すことが出来なかった
人は あまりにも辛い 悲惨な体験をすると
それをそのまま 人に伝えることが出来ない
ファンタジーのもう一つの役割は
人が直視できない現実を 語れるように
擬人化したり 動物に例えたり
姿を変えて 伝えられるようにすること
だいだらぼっちの伝承は
科学などない時代に 大地震や大災害を
何が起きたのか どうして起きたのか
理解することもできない 人々が
巨人という形を借りて 伝え残しているもの
科学のない時代に 災害の体験を記録するには
伝承や言い伝え ファンタジーが
唯一の手段 知恵だったはず
311で 津波に遭った地域は
過去の津波の体験を伝える 神社や伝承 石碑が
随所に残っていた
科学的な分析に頼り
昔の人の知恵を 忘れていたために
その教えを 生かすことが出来なかった
富士山を作るため 甲州の土を運んだ
赤城山に腰を掛けたから 赤沼が出来た
だいだらぼっちの伝承を 昔話の一つとして
もはや微笑ましく聞くことができないのは
伝承のある地域は
現在進行形で 異変が起きているから
巨人の仕業が伝えられる場所は
その地が昔 大きな自然災害に遭った 証
だいだらぼっちの伝承がある所は
自然災害が予測されるような
海や川が近かったり 山や湖があるところに
限られている
巨人が動いたあとなんだから 当たり前かもしれないけど
巨人が川で足を洗えば 洪水が起きるだろうし
巨人が歩けば 大きな地震が起きる
山に躓づいたり 腰かければ 山が崩れて
手を付けば 陥没して 湖が出来るだろう
巨人という表現で 自然の驚異を表した
昔の人たちの想いが 静かに甦って来る
だいだらぼっち 巨人伝説という ファンタジーが
生まれたその裏には 人々が体験した
とても大きな恐怖や 悲惨な出来事が
あったかもしれなく
時とともに その恐怖や教えは 忘れ去られ
巨人のイメージだけが 残っていったのかなと想う
山を作る・運ぶ
- 富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった[15]。
- 上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。
- 浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
- 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
足あと・手のあとを残す
- 上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである[15]。
- 長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。
- 茨城県水戸市中央部の千波湖は、かなり大きいがダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウ)の足跡である。
- 遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。
- 現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)やさいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)はダイタラボッチの足跡である。
- 静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。
- 相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。
- 小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた(現在もその跡であるという伝説の足跡が残っているが非常に小さい)。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
- 愛知県東海市の南側に加木屋町陀々法師(だだほうし)という地名があり、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説が残っている。名古屋鉄道八幡新田駅西側にあったが2000年(平成12年)頃に埋め立てられて現在はその形跡はない。
休む・洗う・食べる
- 榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もある)。
- 羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
- 長野県塩尻市の高ボッチ高原はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという。
- 「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石造が創られている。
人間を助ける
秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった。このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。太平山及び山麓の太平地区の名は現在「たいへい」と読まれるが、明治期までは「おいだら」と読まれており、由来を巨人「オイダラボッチ」であるとする説(秋田の今と昔)がある。
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