2012年6月29日金曜日
グスコーブドリの予言 後編
「神の計らいか?」悪天候の中、夏至に伊勢・朝熊山山頂から富士山現る
富士山の山頂から 真っ赤なマグマが吹き出し
上空に 煙がもくもくと上がっているように見える
すわ 富士山噴火の前兆か!?
と想うよりも
自分は 富士山噴火するかも!?っていう
集合意識によって起こされた
現象のような気がする
311の巨大地震によって
地底はかなり圧迫されているから
M9以上の巨大地震後は 活火山が噴火するらしいけどね
富士山が 藤の山なら
藤の力がなくなったとき
富士山のご威光も 力も
大分減るような気がする
富士山の噴火のイメージは 潜在意識の世界では
富士山によって集められたエネルギーが
集合意識が バラバラになることがわかっていて
それが
富士山が爆発するような イメージや恐れとして
現れているのかも
山に変化があるとしたら
山に集められていた集合意識がバラバラになるなら
巨大な爆発を起こすというより
なんとなくだけど
地底の圧力が 山の裾野に掛かって
脇腹から噴火し 崩れ落ちるようにして
その美しい姿形を
自ら葬り去るような気がする
もう派手に爆発を起こすほどの
力があるとは想えない
力があるのは 他の山
でも私は予言者でも能力者でもなんでもないので
ただの希望 望まないことは考えたくないだけ
火山の爆発が人々を救うと
東北の地で物語に描かれたのは
富士山の爆発=藤(富士)の封印が解かれる
ことを 暗示しているのか
そしてそのために 最後に イーハトーヴの主人公が犠牲になるのは
私には 東北の震災で
犠牲になった魂を
偲ばせる (/_;。)
火山を人工的に爆発させるのも
なんだか人工地震を暗示しているよう
東北の震災は やはりそういうことか
そしてもし火山が本当に噴火するとしたら
やはりそれも・・・
既にそういうことが 一世紀近く前に 夢想され 伝達され
作品として残っているくらいだから
現実の世界で 転写されても
何も不思議なことはない
物語では 冷害で苦しむ地を
火山の爆発によって 温めようとする
それはそのまま
東北の厳しい寒さが 山の封印によって施されているのを
示しているようでならない
賢治は 自分たちの終わりを 見ていたの
そういえば 私にとって 賢治の作品は
村上春樹の作品と同じくらい
難解で 曖昧で 訳が分からない
『銀河鉄道の夜』に挫折した経験があって
ファンタジーとはそういうものと言われれば
私の想像力が足りないんでしょうね
でもこの作品で ファンタジー嫌いになったのに
そういえば 同じ時期に読んだ ミヒャエル・エンデの『モモ』は
面白くて面白くて その本は私にとって 長い間大事な宝物だった
『グスコーブドリ~』でも
火山の噴火で 冷害の地を温めるなんて
そんなのおかしいって 子供でもわかる
火山が噴火したら 火山灰で太陽が隠れ
ますます土地は冷えるのに
夢殿の作品は 内容よりも 情報伝達のため
象徴的な意味しかない
意味不明 巫女のお告げのようなもの
それにしてもこの時期に
火山の人工噴火の話を アニメとはいえ
映画化するとは・・・ (-_-;)
これは全く個人的な想いなんだけど
東北の復興が進まないのも 腹が立つし
一方で 東北の復興を
自分たちの活動の新たなチャンスにしたりしているのも
なんだかすごく 忌々しく想う
あそこが流れた意味というのは
また復興させるためではなく
新しい何かを築き上げるため
東北の復興が進まないのは もしかしたら
私たちの意識が その新しい共同体に
移ることを 待っているのかもしれない
東北を復興させようと想っている間は
東北は復興しない
東北には 新しい意識によって
新しい何かが 築き上げられる
私たちがそのことに気づいたとき
あの地のエネルギーを ようやく活かすことが 使うことが出来る
あの地にあったものを 築くことが出来る
その時初めて 東北は息を吹き返す
東北の復興が遅れているのは
私たちの意識が 次の段階に成熟するのを
時が満つるのを
ただ待っているのかもしれない
1 コメント:
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グスコーブドリの伝記にでてくる山は一応岩手山ってことらしいですけど
岩手に住んでる身としては富士山の噴火と共に
各地方の富士と呼ばれる山も噴火したりして
岩手山もまた噴火するんかなぁとか思ったりおもわなかったり
宮沢賢治の詩も小説もイマジネーションそのままを書きつづった感じがして難解ですねぃ
火山技師が犠牲になって~ ってオチからして おばばが好きそうな結末だと感じてしまいまする
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