刺身を食べ過ぎて 苦しくなって横になっていたら
ひどい眠気に襲われて
うたた寝をしていたら 深い眠りに入っていた
病院の夢を見たのは これで二回目
他愛もない夢だったけど
メモ代わりにちょっと書いてみる
現実で母親が医者を探していたので
それが夢にも出てきたらしい
私は母親を連れて 病院の廊下を歩きまわっていた
そこは病院というより 教会のような
洋館のような建物で
アーチ型をした天井がある
来たこともないのに 東大病院にいるようだった
廊下を歩きまわるけど 医者も病室も見つからない
あ 奥の方にお医者さんの影が見える
でも忙しそうに動いている
母親と私は あきらめて
広いロビーに出て 黒い革の椅子が
たくさん並んでいる所で 座っていた
そこでここは東大の大学病院だから
頭のいい人がいっぱいいて
株の話を 説明してくれるんじゃない?
と言って なぜか私と母親は
暗い闇から現れた教授に 聞いてみた (現実で401Kの話を眠る前にしていた)
教授は痩せた色白の 白髪の男性で 白衣を着ている
そう 北朝鮮に拘束され
今は佐渡にいる ジェンキンスさんだった
彼は嬉しそうな顔をして 私と母親に微笑みかける
何を話したか覚えていないけど
株の話は よくわからないみたいだった
釈然としなかった私たちは
いつの間にか 会議室のようなところにいて
株をどうしようかと想っていたら
コミュニティデザイナーという人たちが目の前の席に現れて
��現実で眠る前にこの職業の人の記事を読んでいた)
でもそれは すごく商売っ気のある証券マンのような男性二人と
就活しているようなスーツ姿の若い女性で
私たちの前でプレゼンを始めた
どうやら私たちは 大富豪のようで
寂れた村落の復興に 自分たちの資金を当てることを
考えたらしい
彼らの後ろの窓から 青い空が見えて
明るい光が差し込んでくる
私はぼんやりと聞きながら
でもそのプレゼンは 昔私が学んだ現代アートを
商売にしたようなもので
そんなことなら私が自分でできる!
と怒り出してしまった
その女性は プレゼンしていた人たちは
気を悪くして 押し黙ってしまったので
私が取り成そうとしたら
泡のように消えてしまって
目が覚めた
目が覚めると 胸が苦しくて
動悸がしていた
最初に病院の夢を見たのは
数か月前
病室はとても狭く 歯医者の診察台のような
座るタイプの診察台
手術用の緑色のカバーをされて
横になっている人がいる
その患者を 3人の医者が
青い手術服を着て 取り囲んでいる
診察台にぴったりと 寄り添って
患者を見張っている
ずっとずっと そうしている
患者は苦しんでうなだれているのに
横にもなれずに
診察台に座らされて 見張られている
上は東大病院の建物。
このアーチ型の回廊が病院の中ににはいくつもあった。
行ったこともないし、多分見たこともないはずなんだけど・・・。
そういえば、この様式って明治時代に大量に建てられた洋風建築にみられるものだ。
こいういう形で日本人の集合意識が囲われて日本は欧米の養分になっていたのかな。
日本銀行とか国会議事堂とか、明治以後の国家機関が入っている歴史的な建造物は皆ヨーロッパの建築様式を取り入れている。
日本の近代化がそもそもドイツやイギリスの議会制度を参考にして進められたから、向こうの建築様式を形から取り入れることになったんだろうけど、同時にそれは根っこの部分が潜在意識的にずっと子分の分際でいることを認めているようなものだ。
この時から日本は、潜在意識的に中国の子分からヨーロッパの子分に鞍替えしたのか?国家機関の建造物への新たな建築様式の導入は、この時期行われた夢殿の再構築の反映でもあるかもしれない。
人がたくさん集い長時間過ごす建物は、一つの大きな集合意識を形成する。建造物の特性や様式は、その集合意識に付けられた印となる。
東大の教授がなぜジェンキンスさん・・・。
そういえば、その日サンデル教授の白熱授業がTVでやっていたのを見かけた。
それで最高学府の教授として出てきたのかもしれない。
でもジェンキンスさんには何の覚えもない。
軍人だったジェンキンスさんはベトナム戦争に送られることが恐ろしくて酔った勢いで38度線を越えたらしい。そして人生の大半をかの国で拘束された。亡命したとはいえ、ある意味米国の被害者でもある。
そのジェンキンスさんに笑顔が戻り、名誉も回復された?でも白衣を着たジェンキンスさんは、東大病院の暗い闇の中にまだ居るような感じだった・・・
数か月前の夢では、病室で診察台に座っている患者は病院に閉じ込められている人のようだ。
病院に監禁されている人というのは、鍵で閉じ込められているのではなく、見張りが付いて弱らされて動けない状態になっていた。
3人の見張りは、現実でも閉じ込められている魂に関係のある人だと想われる。微動だにしないで張り付いていた。
東大病院では病室に行けなかったけれど、この夢の場所は東大病院だったのだろうか?
寝る前に過ごした出来事が夢と重なって、ほとんど雑夢ともいえる程度の夢だけれど、じゃあ何の意味もないのだろうか?
現実というのは映画のようなもので、私たちは映写機のようなものと考えたら、潜在意識にあるものが現実に映し出されている。
夢は映画の原作のようなもので、映画化されて初めて原作があることを知ったりするように、映画化されていない原作というのは星の数ほど存在する。
現実に起きた出来事を記憶の整理として夢を見ていると想っていたけれど、本当は逆なんじゃないだろうか。
現実に起きることというのは潜在意識にあるからこそ現実化されるとしたら、現実と関係した夢というのは、雑夢と済まされない何かがあるはず。
つまり、どんなつまらない平凡な夢も、それは数ある原作のうちの一つとして既に存在しており、現実に関連した夢を見るのは、その現実が生まれる何かしらの原作があることを教えてくれたのではないだろうか。
夢を見る前に母と医者の話をしたことも、サンデル教授をTVで見かけたことも、コミュニティデザイナーの記事を読んだことも、それらは潜在意識の世界で起きていることを伝えるためのファクター(要因)だったのかもしれない。
それは東大病院に関する何かを、ジェンキンスさんについての何かを、コミュニティデザインの本当の姿を伝えるために、ある意識の層が私の現実に滲み出たもので、その染み出たファクターが切っ掛けとなって、夢の意識の世界で重なり合う別の姿を、真実を知ることができる。
意識は幾つもの層になっていて各レイヤーはそれだけ見たら部分的なものしか表していない。
些細な詰まらないものでしかないかもしれない。
でもそれを建築図面のレイヤーだと考えてみたらどうだろうか?
各レイヤーだけ見たら、大したもののように見えないかもしれないけど、全部重ね合わせてみると、その建物のそのフロアの詳細な設計だったことがわかる。
全体像も浮かび上がってくる。
たくさん食べたお魚さんが見せてくれた夢だったのかもしれない (^ ^;)
アジとヒラメのお刺身。竜宮城にでも行ったのかなw
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