2011年9月20日火曜日

森へ還る

植物の中に想念を移した女性の話がある。


まず根にはいって茎を伝わり葉脈まで流れていく。
その流れの間、まばゆいばかりの光と喜びに包まれて恍惚としたそうだ。


植物は私たちが思っているより、ずっと喜びに溢れている。植物は至福の塊。


そのエネルギーと同化していたβの魂は感謝と喜びに満ち溢れている。


恐らく病気もなかったし、死も恐くなかっただろう。なんの問題もなかったはず。


人の不幸は恐らく、森を出た時に始まった。



人間にとって不要なものが、他の植物や生き物にとって必要だったり恵みだったりする。


だから世界は循環している。


人間が出すCO2が、樹木にとっては栄養であり、


樹木が出す酸素が、人間にとって必要であることは


人間が樹木と共存することを あらかじめ定められて生まれてきている。



緑との共存といって、公園を作ったり、特定の場所に樹木を集中させて


人が樹木や森と離れて暮らすのは  実はあんまり意味がない。


公園などの緑地にある樹木よりも、居住地や街道にある樹木の方が


二酸化炭素の吸収率が高く  実は樹木にとっては栄養豊富であるのだ。


アスファルトの下でたくましく根を張り


排気ガスの中でも成長が止まらなかったり


年々大きくなる街路樹に手を焼かされたり


放射能でかえって植物が巨大化してしまうのは


人間が出す無駄なものが実は樹木にとってご馳走であり


市街地に生えている樹木が意外にも強い気を発していて


実は公園や山地の樹木の方が


寂しそうな気を漂わせているのは


樹木は本当はこんな私たちと一緒に居たがっていて


人間の側にいて


人間に見られて 人間に想われて 人間に観賞されて 人間の意識の中にいて


人間に風を送り 人間にエネルギーを送り 人間と交感し合う方が


彼らの生命力を輝かせているのである。



森を出てしまった人間が 地球と共に生きることを選ぶなら


それはまず森へ還ることであり 森の中で生きることである。



森ガールという言葉が出来たように、恐らくこれから時代は少しずつ意識を森へ移していく。


これから自宅の庭先に木々が増え始め、市街地の多くが森を貯め始めるだろう。


樹木は人々を強風と豪雨から守り、水を蓄え、酸素を与え、健康を与える。


人々が樹と共に暮らすことを選択したら


樹や植物と意志を通じ、木々の多幸感が人々に流れ


その時世界は表情を変え  何千年も続いたお祭り騒ぎから 目が覚めるのではないかと思う。





isan_phIS013屋久島

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